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遷ろう果ては

 白い狗尾が首を下げながら、周囲を伺うように視線を巡らせていたのだ。


「シーザーが、何故ここに……」


 思わず口からついて出た疑問を聞いた白い狗尾は、垂れていた首を持ち上げ、尾を振って、声の主の方へと駆け寄った。


 大きな体は、正座したロンフォールよりも大きく、すり寄られると押し戻すのに苦労させられる。


 御前であるのだから、失礼にならないよう、どうにか落ち着け横に座らせ、撫でごたえがある大きな背中を撫でつけた。


「俺が連れてこさせた」


 朗々とした声は、芯があり、聞くものの深くまで響くようである。


 天麒の声ではないその声に、はっとして、息を詰まらせるロンフォールは、玉座を見た。


 すでにその時、薄絹は引き上げられており、玉座が露わになっていた。__堂々と腰をおろす男の姿も。


 ロンフォールは慌てて、床に額をこすり付ける最高の礼をとった。


「面を上げろ。俺が面をつけず、階を降りてきたのだから、今は畏まった場ではない。煙も絶っただろ」


 ロンフォールは恐る恐る面を上げた。


 喉の奥で、くつくつ、と笑い、玉座を立って階を降りる男は、腰に二振りの剣を履き、白を基調とした纏う服は、肩衣があるが浄衣のようにも見える。


 白銀の長髪、透徹されたような紫の双眸__そして、特に印象的なのが額から頬に斜めに走る古傷。


 龍帝はロンフォールの目の前まで来ると、片膝をついて、顔を覗き込んだ。


「まったく、無茶をさせる。一言でも、言っておいてくれればよいものを」


「言い出したのは彼ですが」


 ダアトの言葉に、龍帝は彼を見た。


「お前は、ロンフォールには厳しいのだな」


「打てば響くので。期待しているのです」


「ガブリエラでさえ、やり過ぎだと思う時があると聞く」


 なあ、と同意を求めると、ガブリエラは困ったような表情で頷いた。


「団長殿は、自分よりも情け深いので。それで帳尻が合うというもの」


 さらっ、と言う彼は清々しいほど爽やかだ。悪意がないのがよくわかるほど。


 こいつめ、と龍帝も笑って、ロンフォールの隣に控える大きな犬を見た。


「すまんな、あの森では驚かせて、痛い思いまでさせて」


 シーザーは小首を傾げて、僅かに垂れた耳を持ち上げ、じっ、と龍帝を見つめた。


 帝都からノヴァ・ケルビム派の里がある森で、邂逅した男__それは、この龍帝である。


 __俺に剣を向けるとは、いったいどういう了見だ?


 あの時の状況、そして発せられた言葉は、本当にロンフォールの肝を潰した。


 恐ろしく重たいものが、その瞬間、周囲を覆ったのだ。逃がさないと言わんばかりの、目に見えない何か。


 戦神の片鱗を、わずかでも感じられた瞬間だった。


 シーザーも格の違いを感じ取ったはいいが、逃げればいいものを気圧され冷静さを欠き、咄嗟に刃を向けた。使えもしない刃を。


 __俺を守るために……。


 龍帝に刃を向けたという、事の重大さを問う以前に、シーザーはそもそも龍帝の顔を知らない。記憶があろうがなかろうが、ただ彼は、本能的におののき、ロンフォールを守るため、刃を向けたのだ。


 それでも、やめさせなければならない。可哀想なことをしたと思うが、当時はあれしか術がなかった。


「恨んでくれるなよ、ロンフォールを」


 龍帝はシーザーの頭を撫でつける。それを甘んじて、受けているシーザーは、目を細め、もっと撫でろ、と言うように手に頭を押し付ける。


「ところで__あの方針でよかったのだな?」


 誰に言うわけでなく、龍帝はシーザーを遠い視線で見つめたまま尋ねた。


「ご厚意、感謝いたします」


 ダアトは丁寧に頷いて言った。


「不安材料は、早々に叩いてもいいのだがな」


 龍帝は不可知の存在として、その力を大いに使えば、ノヴァ・ケルビム派は一掃できるだろう。


 だが、それが制限されている。自ら力を振るうには、天綱との兼ね合いで制限が生じるのだ。どのぐらいの範囲で、どれほどの__どういった力が振るえるのか、それは龍帝従騎士団でも知られていない。


 __その代わりに、龍帝従騎士団がいる……。


 自ら手が届かないところは、その小間使いを使う__そうした面もある。それが主な手段であるのは、言うまでもない。


「恐れながら……それは、軍部の意見では?」


 ガブリエラの指摘に、龍帝はくつり、と笑って、近くの椅子に腰を下ろした。


「俺もそう思っている節がある。国家安寧には、それが一番手っ取り早い。まあ、と言っても、俺としては争いを無駄に起こしたくはない。__だが、俺がいくらそう思っても、他のところはそう長く黙ってはおらんぞ。教皇でさえ、軍の意見を否定しなかった」


 神子のことが関わっている以上、神官も心穏やかではないのだ。


 ロンフォールは視線を落とし、奥歯を噛みしめた。神聖であって然るべき神殿を穢したのは自分だ。神官__特に教皇にとって、気に食わない由々しき事態。


 龍帝従騎士団とお互いを牽制しあう立場にある軍に、神官が沿う形になるのは、止むを得ないことなのかもしれない。好ましいことではないが。


「勅命はあまりだしたくない。__気を緩めるな」


 御意、とロンフォールとガブリエラは頭を垂れた。


 しかし、ひとり__ダアトは頭を垂れることはおろか、御意と応じさえしなかった。


「それは……」


 そんなダアトは静かな声音で、しかし芯の通った声で言葉を発し、鋭く龍帝を見た。


「__ノヴァ・ケルビム派へでしょうか? それとも、国内へ、でしょうか?」


 問われた龍帝は、頬に手を添え、胡坐にその肘をついた。表情は、あまりにも人の悪い笑み。


「どの方面へも__だ」


 わかるだろう、と言われ、ダアトはしばし龍帝を見つめた。


「御意」


 その後、恭しく礼をとる。それにロンフォールもガブリエラも倣って、頭を垂れた。




 軍や神官が危惧した事態は、その後おきることはなく、穏やかに当たり前の日常が続く。


 ロンフォールが戻った報せとともに、評議会での方針ということで、国の中枢ではノヴァ・ケルビム派への以前ほどの危険視思考の拘りは見受けられない。かなり国として寛容になったのだ。


 これが国民すべてに行き渡るには時間がかかるが、それでも緩やかに広がるであろう。


 余命僅かなロンフォールは、その先を見守ることはかなわない。しかしながら、一石を投じることができたことには違いなく、尽きるそのときまでは静かに見守ることができる。


 __ひとつ、死に向かう準備はできた。

 

 自分の限界が見える中での、できること。それはいくつかあるが、果たして間に合うのだろうか。

この作品はこれで区切りとなります!


最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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