龍帝の狗
やがて視界が開けた。__眩しい光が、森の中の明るさに慣れていた目を襲う。
森を出て、草原へと至ったのだ。
爽快感と解放感に思わず深く呼吸をすると、自分の体が、草原の緑に染まるように感じた。果てまでも続く緑、帝都の山は遥か遠く。午の日差しの中、まるで幻のように揺らいで見える。
その方角に、黒い点が2つ。点は空を滑るように移動している。やがて、黒い点に翼が生えていることを目視できた。羽ばたく度に白く輝いて見えるのは、その翼の背が漆喰の壁のように白いから。
__来たか。
まっすぐ向かって来ているそれは__龍。
龍は徐々に高度を下げ、ロンフォールたちの頭上を一周した。まるで吟味するように、長い首をずっとロンフォールへ向けたまま__。
そして、ロンフォールの正面へと回って羽ばたきながら滞空し、蹴爪がある立派な脚を垂れ、ひとつ啼いた。
まるで、ここに降りるからどけ、と言っているようで、ロンフォールの周辺から、皆は数歩、距離を取る。
龍は巨躯に不釣り合いな軽やかさで、ほぼ音もなく草原に降り立った。ふわり、と風を周囲に広げながら。そして、双翼を一度大きく広げて伸びをする仕草をしてから、ゆっくりとたたむ。
蜥蜴や蛇のような冷徹な眼が、ぎろり、とロンフォールを見つめていて、まるで捕食しようと隙を伺っているようにも見えた。
しかし構わずロンフォールが鼻先に手を伸ばすと、その掌に龍は鼻先を軽く押しつける。触れた手で硬い鱗を撫でつけると、うっとりと龍は瞼を落とし、猫のように喉の奥を鳴らした。猫と言っても、かなり大物の、獅子を思わせる低さであるが。
その最中、追尾していたもう一頭の龍は、遅れてその背後に降り立った。
背の鞍に跨った人物は軽やかに草原へと降り、空を見上げた。太陽は、南中を過ぎ始めたところだ。
「……少し遅くなった」
龍帝従騎士団の制服に身を包み、肩に金色のオーリオルを乗せた白髪の男は、紅玉の双眸をロンフォールをはじめ一同へと移す。__と、耳長の元龍騎士の姿を認めると、居住まいを正して頭を下げた。
それに対し、元龍騎士は、気にするな、と言いたげに苦笑して片手をあげるばかり。
「小官は龍帝従騎士団団長ガブリエラ・リョンロート。ロンフォール・フォン・レーヴェンベルクを捕縛せんがため、参上した。__貴殿は、導師ではないようだが……?」
何者かを推し量るため、ガブリエラは吟味するような視線でリュングを見つめた。
直接的な面識はないガブリエラであるが、情報として、導師の特徴は伝わっていた。__両手十指の指輪、万能の目がそれである。
「こちらは、導師の名代で__」
「リュングと申します。お目にかかれて光栄です、リョンロート卿」
ロンフォールの言葉を途中から奪う形で、リュングは名乗る。彼は胸に手を置いてやや深めに礼を取り、控える位置に移動していた子響を示した。
「こちらは、子響。警護の長」
子響は両手を垂らしたまま、武人らしい礼をとる。
それに応じるように、ガブリエラもまた同様の礼をとった。
「この度は、部下が導師を__」
リュングは手の平を前に出して、ガブリエラの言葉を制した。
「当時の事情は、名代として彼から伺っています。それから、今回の彼の役目や目的も」
「左様でしたか」
そこまで硬い表情で言ったガブリエラは、ひとつ大きくため息を零した。そして、表情は真摯だが柔らかい印象を与えるものへと変える。
「__では、このまま彼を引き渡せてもらえるので?」
「よしなになさって下さるのであれば」
あらためてロンフォールを見る。彼は、龍の喉のあたりを静かに撫でていて、視線が合うと肩をすくめた。
「報告次第になります。__が、私としても、穏便にできるものはそのようにしたい」
「そうなることを願うばかりです」
ええ、と頷き、ガブリエラは次いで神子とその従者を見た。
「__神子はこちらの龍に」
言いながら、自分が騎乗していた龍を示すように、首の根元あたりを叩いた。
「イェノンツィア殿は、手綱をお願いします。この私の龍には、私を追うように指示しますので、手綱だけ離さないでくだされば、帰還できます。空を飛ぶ特技がある馬に乗っている、と思ってください」
「承知しました」
神子を負ぶったイェノンツィアは、ガブリエラが手綱を持つ龍へと近づく。その動きに合わせ、元龍騎士らは近づいて騎乗の補助をする。
一番上背が高く、四肢も長い元龍騎士が、御免、と短く断りを入れて神子を抱え、鞍へと移す。そして、勝手知ったるなんたるか。慣れた動きで、鞍の留め具や鐙などを、龍の身体を一周しながら確認し、イェノンツィアに手綱を渡すガブリエラと言葉を交わした。
聞こえる範囲だが、差し障りのない労いの言葉の掛け合いである。
「__君も大変だったな」
「いえ。ブラウシュトルツ卿は、お戻りはどのように?」
「神子とは別行動で徒歩だ。荷と馬を回収していかねばならない。昨夜馬は好きにさせるために放したが、そんなに遠くには行っていないだろう。それよりも荷が多くてな。__まあ、気にしないでくれ。くれぐれも神子とレーヴェンベルガーを頼む」
「ええ」
その彼らを尻目に、イェノンツィアは神子の後ろに跨り、鐙に足を置いた。
イェノンツィアとガブリエラは、お互い問題なし、と頷き合う。そして、ガブリエラはロンフォールの方へと歩み寄った。
「レーヴェンベルガーは、私と一緒だ」
「御意。__シーザー」
龍を指差しながら名を呼ぶと、彼は軽い足取りで龍へと駆け寄る。そして、ガブリエラが開けて待機していた、龍のわき腹に垂れるようについている鞍袋に飛びこんだ。
袋には足場を安定させつつ、ある程度の空間を確保するために、固い板と綿でまちが底に作られている。慣れた狗尾であれば、そこで寝るようにもなる。
遅れて龍の元へと至ったロンフォールは、鞍袋の留め金や紐の装着具合を確認してから、ガブリエラに頷く。それを受けた彼は頷き返し、龍の鞍に跨った。ロンフォールは、その彼の後ろに騎乗する。
ガブリエラのちょうど膝裏のあたりに狗尾が頭を出たときに頭がくるので、狗尾にあたる冷たい風を、脚で切ることでいくらか軽減するようになっている。
ロンフォールはひょこり、と頭を出すシーザーを撫でた。
それを視野の広い龍は見逃さず、長めの首をゆるりと動かし、ロンフォールに自分にも撫でるように催促した。
図体に似合わない甘えに笑って鱗に覆われた首を撫でると、低く猫撫で声のような唸りをあげる。喜んでいるときや、甘えているときの啼き方だ。表情があまりつくれない分、彼らは仕草や声で気持ちを表す。
「子響殿」
見送る武人は、槍を携え静かに佇んでいた。
「もし興味があるなら、龍帝従騎士団に入らないか?」
蓬莱人ではあるが、彼はもともと龍騎士に憧れ、なることを夢にしていた。
「私亡き後になるが」
いずれは人員を補充しなければならない。大抵は最終試験に落ちた者や、軍から引っ張ってくるが、部外者から補充された例もある。
ちらり、と団長へ視線を向けると、彼は静かに様子を見守る様子で、手綱を持ったまま。
「皆さんの足を引っ張るばかりですよ」
「ブラウシュトルツ卿、子響殿の腕はいかがだったのですか?」
子響の言葉を聞きイェノンツィアが問えば、突然矛先を向けられた形のブラウシュトルツは、はっ、として組んでいた手をおろした。
「……かなりの研鑽を積んでおられるのは間違いない」
為人は十二分に龍騎士たりえるもの。仲間に迎えて__自分の推挙で加えるのに、恥ずかしくない人物だ。
「御冗談を。買いかぶっておられる」
「謙遜を。私は、過小評価も過大評価もしない」
元龍騎士に評価され、目をやや伏せた子響。その様子を、リュングも静かに見守る。
初夏の風が、森に向かって優しく吹いた。
そして、ゆっくりと彼は顔をあげる。彼は柔和に笑みつつもしっかりと、ロンフォールを見据えた。
「私は、導師とともにあります。この命は導師に」
導師を得られたことに、彼は心の底から喜んでいた。龍騎士になれなかったことを悔やまずに済むほどに。
「……愚問だった。だが、気持ちが変わったら言ってくれ」
会話の終わりを察し、ガブリエラは手綱を引いて、龍の首を帝都へと向ける。
「息災を祈念申し上げる。__任せてくれ」
何を、とは言わずとも彼らは分かったらしく、深く頷くノヴァ・ケルビムら。
__悪いようにはしない。
軽く頭を下げるロンフォールを合図に、ガブリエラは龍を舞いあがらせた。
離れる草原は、波打つ海原のように風にそよいでいる。離れれば離れるほど、それがまさしく海のように見えた。久しぶりに見た景色に、僅かに心が弾んだ。
飛ぶ、空を自由に舞う、というのは、本能的に片翼族は好きなのかもしれない。
眼下の海原に佇む青年2人__蓬莱人をちらりとみる。
__惜しいのは、我々のほうだな。
裏切れない、と思った。
同じ釜の飯を食らっていたかもしれない人物だ。誠意は示さなければ。
彼がかつて憧れていた龍騎士として、失望させないためにも。
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