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暗がりと異形と

 視界がさっと鮮明になると同時に、耳に音、足元に地面が戻っていた。


 もともと転移する直前に、テーブルへ手をついたままの状態だったこともあり、ずっしり、とした体重に足が支えきれず、ロンフォールは地面に崩れて落ちそうになる。


 しかし、すかさず、イェノンツィアが二の腕を掴むことで防いでくれた。


 ありがとう、と掠れた声だが、辛うじて聴きとれる程度にそう言って、あたりを見渡すと、一行は森の中にいるのだと分かった。


 湿った森の香り。足元の分厚い落ち葉の層__ケルビムの里がある森だ。


「転移……?」


「不思議がることはないわ。あらかじめ仕掛けておいただけのことよ、まじないを」


 これも神子だからこその、なしえる業なのだろうか__。


 そう疑問に思っても、ぐわらんぐわらん、と頭の中が痛んで言葉を上手く紡げないので、飲み込むしかなかった。


 片手で頭を指が届く範囲で強にぎり、痛みを軽減させようとしてみる。


「顔色が悪いわね」


 見上げてくるフィガロに言われ、ロンフォールは彼女を見た。


「俺は__」


 誰なんだ、と言いかけたときだった。


 イェノンツィアがハッと背後を振り返った。


「どうしたの?」


「とても嫌なものが来ます」


「クライオン?」


「さあ、その類のようにも思いますが」


 頭を抱えたまま、ロンフォールはイェノンツィアが見つめる先を見た。そこには暗闇が広がるばかり。


 シーザーも身を低くして見据えている様子から、本当に何かが現れるのかもしれない。


「ロンフォール、これを持っていって」


 半ば押し付けるように握らされたのは、青いしずく形の小石だ。


「里の入り口がわかるわ。迷ったらそれを真上に投げて地面に落とすの。先端が入り口の方を必ず示すわ。さあ行って。ここは私とイェノンツィアで食い止める」


 __ああ、また……殿を……。


「でも__」


「行くのよ! 追いつかれて、里を荒らされたいの?!」


 フィガロが叫ぶと同時に、イェノンツィアの体が沈んだ。


 何かの攻撃が彼を襲ったのか、と思った。


 だが、沈んだように見えた身体は黒く膨れ上がり、細い四肢が伸びたように見えた。


 __馬……?


 馬鹿な、と瞬きをし、改めて吟味するが、間違いない。


 あれは馬だ。真っ黒い闇のような体の馬。だが、その巨体。そして、昏く輝く金色の眼と、額から伸びた湾曲する一本角。


 背中から、するり、と先ほどまでイェノンツィアが纏っていた衣服が地面に落ちた。


「……何が__」


「さあ、はやく!」


 皆まで言わせないその覇気。


 弾かれるように、ロンフォールは地面を蹴って走り出した。


 __なんなんだ、あれは。


 イェノンツィアはどうなっているんだ。


 それにあの神子。


 __神子はああいうものなのか?


 あんな化け物と平気でいるなんて。


 走り続けていながら色々と思案したが、徐々にそれができないほど息が上がってきた。


 枝葉から守るために腕で顔を覆い、その痛みに顔を歪める暇さえないほど、急いで駆ける。ある程度進んでから、里への方角を確認すればいい__そう判断して、遮二無二走り続けた。


 やがて、口がからからに渇き、喉の渇きも酷く、吸い込む空気に咳き込むようになる。それに気を散じた途端、何かに足をとられて腹から地面へ落ちた。


 柔らかい腐葉土は森が豊かな証だが、その柔らかさでも衝撃は吸収できなかったらしい。衝撃で肺の中の全ての空気が吐き出され、酸素を欲して吸い込もうとするが痛みで呼吸がままならない。咳き込みながら涙を浮かべてどうにか呼吸を続け、上体を腕で起こす。肩で息をするぐらいまでに落ち着くと、一気に全身の毛穴から汗が噴出した。


 気遣うように鼻を鳴らすシーザーは、鼻っ面で肩の辺りをつつく。


 心配するな、と念をこめて頭を撫でた。


 __2人は……。


 結構な距離を走ってきた。彼らは追ってきているのだろうか不安になり、背後を振り返る。


 だが、そこには真っ黒い森が広がるばかり。


 闇に引き込まれる感覚。その暗がりからなにかの視線が、自分をじっ、と見つめている。その視線は、無数に膨れ上がっていくよう__。


 夜の森がこれほど不気味だとは、ゆめゆめ思いもしなかっただけに身が竦む。


「お前らしくない。コケたのか?」


 突然の声。イェノンツィアの声のように深みがあるが、違う人物だとわかる。


 驚いてそちらに振り向くと、茂みから光が現れたように思えた。だが、その光は意識を向けるとふっと消え去り、代わって顔を出す青年がそこにいた。


 年のころは子響より年が上に見受けられ、巨漢ではないが偉丈夫である。月影のように夜に冴え冴えと映える銀色の髪は長く、その端整な顔には、額から頬にかけて斜めに古傷が走っているのが印象的だが、それにも増して神秘的な紫の瞳。


 そして、何よりその気配。言葉を発することさえ許されない、圧倒する何かが備わっている。恐怖ではない。もっと何か別の__。


「俺の勘は冴えているな。まあ、そうは言っても、お前は本当に分かりやすい気配だから、そのおかげかも知れんが」


 よく通る声だ。加えて、とても年齢以上に貫禄がある声。


「出奔だという話があるのだが……どういうことだ、ロンフォール。一言、言っておいてくれればよかったものを」


 彼は自分を知っているらしい。だが、彼の成りは龍帝従騎士団のそれではない。


 __もう、勘弁してくれ……。


 ケルビムでもないその男に、ロンフォールは注意を払いながらゆっくりと立ち上がった。


 恐怖ではないが、とにかくこの場から逃げたかった。


「シーザーを連れて、散歩に出かけただけではないのだろうが」


 ちらり、とシーザーを見れば、シーザーは身構える風もなく、偉丈夫の姿を見つめている。


 __どうすべきなのだろう。


 走って逃げることに決心がつかない。


 自分の一挙手一投足全てが、まるで許しがなければできないような感覚だ。だが、このままではまずい。部外者を連れたまま里へ戻ることは、避けるべきだと思う。


 ロンフォールは首を思い切り振って、ままよ、とばかりに佩いた剣をぬらり、と抜き、切っ先を男に向けた。

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