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深窓の神子

 掌を広げたぐらいの大きさの小窓__それは硝子のない覗き穴でもある。灯り置きになっもいるらしく、溶けた蝋で足元を固めるように蝋燭を置いたその小窓が、5段上がるごとにひとつという等間隔で配された螺旋階段。人ひとり分の幅しかないそこを、犬の背を追うように無言で登った。


 歩みを進めるごと、小窓から見える景色が徐々に高くなっていく。森が見えなくなり、代わって遠くに扇状に広がる家屋が見えた頃、目の前に重厚な赤い扉が現れた。


 それが現れた途端、足が止まる。


 __ここに……いる。


 破裂するのでは、と思えるほど早鐘を心臓が打つ。


 __黄昏の神子が、いる。


 目を閉じ、ぎゅ、っと胸元を握りしめ、深呼吸を繰り返して自分を落ち着かせる。こうも動揺するとは思いもしなかった。独りしかいないという不安が、そうさせているのだろう。


 そのとき、つん、と腕をつつかれた。


 見ればそれはシーザーだった。


 __そうだ……シーザーがいてくれてる。


 草原で目が覚めたときも、そして今も。


 これほど心強い味方はいない。


「ありがとうな、シーザー」


 頭を撫でれば、不思議と緊張が解けていくのが分かった。


 そして、ふぅ、とロンフォールは少し大きめに息を吐いて、ゆっくり大きく吸い込むと、シーザーの頭を撫でていた手で扉に触れた。


 何度か深呼吸をし、ロンフォールは意を決し、扉をノックする。


「__どなたです?」


 やや間をおいて、覇気を欠いた女の声が返ってきた。ロンフォールは、小さく息を詰め、フードの縁を持って引張り、目深にかぶる。


「__均衡の神子の使いです。届けるように、と仰せつかって参りました」


 これは、里でフィガロに仕込まれた口上。


 女の声だからといって、件の神子とは限らない。神子守には女も着任するのだ。それに、身の回りの世話をする司祭の可能性もある。それほどの頻度はないものの、従者を介してが専らだが、こうした交流があるのだそうだ。だから不自然ではない。


 そして、この言葉の返答次第で、どう動くかの指示を受けている。


 __違う声での入室を促す声であったらば、逃げる。


 部屋の者は、決して扉を開けることはない。神子守だけでなく司祭であっても、中で有事に備え、身構えているからだ。開けたら最後、お尋ね者のロンフォールとなれば、ただでは済まされない。だから逃げろ、とフィガロは言った。


 おそらく、答えを待つ時間はさほどではなかったはずだが、それでもやきもきさせられる程度には間があって、手に汗を握ってしまう。


「__入ってください」


 ひゅっ、と小さくロンフォールは息を吸った。


 同じ声で入室を促すようであれば、身の回りの世話人は愚か、神子守も席を外しているということ。


 __入れる……。


 手の嫌な汗を拭い、一つ呼吸を整えてからロンフォールは扉をゆっくり押し開けた。


 ふわり、と漂ってくる風は、いくらか冷たい。まるで、先程暗闇の中で感じていた空気だった。明るい空間だから生気があるように感じられてもいいはずだが、それが感じられない風が吹き抜ける部屋。


 部屋の広さは、ロンフォールと子響の部屋の倍はある。だが、あまりにも殺風景だった。


 椅子と机は窓際にひとり分、その近くに本棚がある。ひとりで使うには大きい丸テーブルは部屋のやや中央に鎮座し、床には大きめの毛足の長い絨毯が敷かれている。


 少しばかり重厚で、この部屋で一番装飾が綺羅びやかな卓は、祭壇。香炉からは紫煙が細く儚げに昇っていた。


 それと同じぐらい目を引くのは赤い扉。フィガロから大まかな間取りを聞いているが、その扉の向こうは寝室などの私的な部屋のはずだ。


 ただでさえ石造りの部屋は寒々しいのに、生活感があまりにもなくて、生気のなさが際立つ部屋。


 まるで時間も止まっているかのような錯覚を抱かせる。 


 ふわり、と視界の端で靡いたものがあって、そちらを見れば、光を弾く白いカーテン。その向こうに、露台が見て取れた。


 そこでロンフォールは、思わず息を詰めた。


 その直ぐ側に静かに佇んで、こちらを見つめる女がいたのだ。


 フィガロが纏う服に似た装いの女は、表情がない。


 __これが……。


「……シーザー……?」


 女は、抑揚のない声で大きな犬を見て言った。


 名を呼ばれたシーザーは、ひとつ尾を振る。


 女は、シーザーの横に立つロンフォールへと、視線を動かした。見られると、どくどく、と心臓が煩く打ち始める。


「迎えに来た」


 それを悟れられないよう、至って静かに言いながら、ゆっくりとフードを取り払う。


「……貴方は、誰?」


 身構えるように、彼女は両手を胸の前で握り締めて見つめてくる。華奢な体の彼女は、相変わらず表情の変化がない。


 そんな彼女に予想外の言葉を言われて、思わず面食らった。


 見知っているはず。自分は覚えていないが、彼女は毎日のように、自分と会っていた__はずだ。


「……俺だよ」


 そう答えるのが精一杯だ。


 怪訝にする彼女の様子に、どんどん不安が募ってくる。


「……貴方は、誰なの?」


 どうして尋ねるのだ。


 あの均衡の神子は、見知った仲だから、と自分を独りで行かせた。


 __見知った仲であるからこそ、違和感を覚えているのか?


 手を差し伸べるようにして、一歩踏み出すと、彼女は一歩後ずさる。


「何をしに来たの……」


「連れに来たんだ。ここから出よう」


「できません」


「ノヴァ・ケルビム派の皆が、待っている」


「ノヴァ・ケルビム派は、私を禍事の神の依り代にしようと目論んでいる可能性がある。執拗に狙うのはその為__貴方がそう言っていました」


 以前の自分をやはり彼女は知っている。当然のことだ。


 だのに自分は__。


「決して、彼らには渡せない。得体が知れないのだから、と」


 そして、かつての自分は、ノヴァ・ケルビム派に対して、少なからず含むところがあったのだ。


 そう突きつけられて、言葉がうまく出てこない。取り繕っても、襤褸が出てしまう気がしてならないのだ。__否、すでに出ているのかもしれない。出てしまっている。


「貴方は、誰なの?」


 __誰……?


 何故そんなことを聞くのだ。


「俺は……ロンフォールだ。あなたの神子守長のロンフォール・レーヴェンベルガー」


 言った途端に生じる妙な違和感。


 名乗ったはいいが、記憶の後ろ盾がないせいか、不安に思ってしまう。何故これほどに、動揺してしまうのか。これほどの、寄る辺のなさはなんなのか__。


 動悸が激しくなり、頭の中で心臓の音が響いている。それらはどちらも、痛みを伴うほどである。


「違う」


 まっすぐ見つめてくる彼女の視線が痛い。


 __違う……。


 どくん、と頭の中で大きく脈動があった。鈍い痛みに頭を抱え、喉へと競り上がってくる嫌悪感に胸元を握り締めた。


 __何かが……違う……。こんなんじゃ、ないはず……。


 そう、何かが違う。


 __なんだ、この違和感は。


 ぐらり、と視界が歪んだ。


 平衡感覚が薄れて、近くのテーブルに手を突いた。寄りかかる勢いに耐えられずテーブルは揺れ、置かれていた空の花瓶が床へと転げ落ちる。


 シーザーが足元に近づいて、不安げな表情で見上げてくる。


 それを視野におさめながら、胸元の違和感と頭痛をやり過ごそうと必死に声を殺していると、勢いよく扉が開け放たれた。


「勘付かれました。逃げましょう」


 イェノンツィアが冷静に、しかし語気を強め、足早にロンフォールへと歩み寄ってくる。


「ごめんなさいね、ゾフィー。騒がしくして」


 イェノンツィアの脇から現れたフィガロは恭しく礼をとった。


「均衡の君__」


「ほう」


 やや驚いた声をあげる禍事の神子だが、それとは別に男の感心した声が、開け放たれたままの扉から発せられた。


 振り返れば、そこには甲冑姿の男が姿を現したところだった。


「何を画策しておいでで? 均衡の司教様」


「元帥閣下がどうしてこちらに?」


「おかしな気配があれば、確認にくるものでしょう。一応、今は、禍事の神子の神子守長なのでね」


 扉近くの壁に寄り掛かって腕と足を組み、顎をしゃくってロンフォールを彼は示した。


「そこの男が出奔したものだから、誰かがやらねばならんだろう?」


 くつくつ、と笑う甲冑の男。


 口元が見える構造の兜は、何かの生き物の頭蓋骨のようで、さも頭蓋骨そのものが笑っているように、ロンフォールには見える。


「__で、司教様こそ、何故? 歪を正しに出ているはず。何を考えておられる?」


「後で、ちゃんと説明するわ」


 にやり、とフィガロが笑った。刹那、ロンフォールは踏み締めている床の感触がふっと消え、音も遠ざかった。

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