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昏い道

 黄の離宮は、帝都の3層__二苑にほど近い、三苑の一角に鎮座していた。


 いくらか二苑に比べ開けて明るいが、寂しい感が否めない三苑。


 この神殿の他にも、この三苑には、長く住んでいるフィガロでさえ、その数を正確に把握していないほど多くの祠がある。祠というが、ただの岩であったり、井戸であったり、巨木であったり__自然物そのものを祭っているところもあった。


 神殿と呼ばれるものの中で、禍事の神、均衡の神、戦神の3つが大きなもの。その一つが、禍事の神の神殿__禍事の神子の黄の離宮。


 離宮というだけあって、ここはもともと、五宮家の宗家__現龍帝の家族__である黄篁宮が所有していた小さな城。


 フィガロが言うには、距離と瑞牆__玉垣とも言う__によって、隔離されているのだそうだ。


 黄の離宮は、街にあった均衡の神の神殿と作りは似ていて、その神殿を囲うように四角い壁のような建物がある。四角い建物は、神官職の者の居住区であり、砦の役割もなしている。


 物忌み中である神子は、神殿の最深部__中央に位置する、神子が居住している塔に閉じこもって、傍には誰もいない。しかし、そこにたどり着くまでには、四角い建物を通過しなければならず、ここで必ず神子守や神官と出くわすことになる。


 物忌み中では、いくら均衡の神子でも目通りはできないし、物忌みでなくても、禍事の神子を連れて出ることなどできるはずがない。


 それに、均衡の神子は各地を巡って、歪を正す旅にでていることになっている。加えて、出奔者ロンフォールと一緒にいるのであれば、余計に人目に付くことは避けたいというもの。__人目につかないところを通るしかない。


 __こういうところには、抜け道があるのよ。


 そう言って、フィガロは、黄の離宮からかなり離れたところにある、大岩へ案内した。


 大岩は見上げるほどの高さがあり、ロンフォールとイェノンツィアが両手を目一杯広げても抱えきれない大きさである。


 それは中央で砕け、その割れ目の隙間を貫くように、これまた大きな樹木が生えている。幹は大人の一抱えはありそうな樹木。まるで、その樹木が大岩を砕いたよう。__磐座いわくらと呼ぶ祠だ、と彼女は言う。


 その祠の裂け目に、よくよく見て見なければ気づけないほどの、大人ひとりが通るにはやや狭い穴が開いていた。


「あたしは、ここで待つわ。イェノンツィアは手筈通りに」


 是、と答え、イェノンツィアはロンフォールに一礼し、踵を返した。


「どこへ行くんだ?」


「気づかれないよう、まじないをしにいってもらうのよ。__さ、行って」


 シーザーは臆することなく、身をこすりながらも、その狭い穴へと入っていくので、ロンフォールも物怖じしてはいられない、とそれに続く。


 狭い入口を通過すると空間に余裕ができ、そこから階段状になっていた。一歩一歩、足元を確かめながら下りていくしかない__それほどの闇。下りるごとに闇が濃くなる。それに比例するように、ひやり、とした空気も下りるごとに濃くなる。


 背後から、ここからは一本道だと言われ、真っ暗な中を手探りで歩み始める。


 足元は、削った岩の上を歩いている踏み心地だが、目の前にかざした手の平さえ見えない闇の中では、確認する術がない。


 もちろん、前を歩くシーザーも黙視できず、彼の爪で地面を掻く音が場所を確認する唯一の方法だが、それさえも響く衣擦れの音にほとんど掻き消えてしまう。


 何かが迫ってくるような感覚がする。


 闇の中から、虎視眈々と何かが狙っている感覚も__。


 自分の手足はあるはずだが、闇に飲まれてしまっていて、感覚についても疑い始めている。


 実は、迫ってくる闇は、すでに自分を食ってしまったのではないか__そう思ってしまうのだ。


 これほど闇とは怖いものか__歩幅も無意識に小さくなる。見えるはずがないのに、目を凝らして闇を進む。


 四肢五体すべて、これ自分のものなのか__その疑念に押しつぶされそうになったとき、わずかに差し込む一条の光を見つけた。


 見つけた瞬間、転げるようにそこへ救いを求めて足を早める。


 とてつもなく、ほっとした。同時に、心を高揚させる。それほど光というのは、心強いものだということを、初めて__以前は知っていたのかもしれないが__自覚した。


 光を見上げれば、本当に僅かな隙間から差し込んでいることを知る。そんな光を掬うように手を置くと、仄かではあるが確かに温かさがあった。


 僅かな隙間から差し込む光は、さほど光の強さはないが、石畳に反射し、四方をにわかに照らしていて、階段の存在を教えてくれた。


 ひとつ気を引き締めるために、大きく深呼吸をし、その階段をのぼる。


 そして、天井にあたる部分に手を触れて、とりあえずはそのまま少し押してみると、ごっ、と小さく鈍い音とともに浮く。そこからは肩も使って静かに押し上げると、隙間に明るい石の床が見えた。


 張りつめたような空気が、隙間から流れ込んでくる。


 さらに石をあげて視野を広げ、人影がないことを確認し、その空間へ出る。


 圧倒されるほど高い空間で、広い。


 いくつもある柱は、まるで木の幹のよう。天井では幾何学的に枝分かれし、それはまさしく森で見上げる木の天井。


 少し霞がかっている空間に、高いところにある窓から差し込む光の筋が見え、一層森のなかにいるような感覚にさせる。


 床を戻し、周囲を観察していると、シーザーが勝手に進み始める。


 どこに行くのか__観察しているばかりの主が着いてきていないことを感じ、彼は背後を振り返ると、優美な尾を一振りした。


 こっちだ、と言っているようである。頷いて応え、彼に続く。


 彼が向かう先に、祭壇がある。そこに降り注ぐ光は柔らかく、光を辿って視線を移せば、色硝子。放射状に広がった花弁のように、細工された硝子窓__薔薇窓だ。


 それ以外の色味がない空間。なるべく足音を立てぬよう注意を払い、導かれるようにその色硝子の窓を見ながら、歩みを進めた。


 やがてたどり着く、最奥__祭壇の前の石段。


 祭壇の背後の大きな壁は漆喰で、その一面に手書きの絵が描かれている。


 荘厳の極みには、神話の描写がある__そう、子響が言っていた。


 その壁画には、豊かな長い髪の女が描かれている。__おそらくこれが、彼の言っていた神話の描写なのだろう。


 女は、水面を描いた壁画に浮くように身を預け、深淵の眠りについているようである。その水の静かで冷たそうな様。


 女は二度と目覚めないように、ロンフォールには見える。


 ロンフォールは途端に、ぞくり、と悪寒が走り抜ける感覚に襲われた。思わず、自分を掻き抱くように両の二の腕を強く掴む。


 __寒い……。


 掴んでいた二の腕を擦って暖をとろうと試みるが、芯が急に冷え切った感覚には、あまり意味がなかった。


 シーザーが立ち止ったままの主に歩み寄って、鼻先でつん、と突く。


 突かれて、はっ、と我に返ったロンフォールは、犬の頭を撫でる。


 ひやり、とした空気は独特の香りを孕み、張りつめているようで、ロンフォールは少し息苦しく感じられた。


 シーザーの温かさがじんわりと伝わる頭を撫でていることで、いくらか息苦しさを紛らわせるので、本当に彼の存在はありがたかった。


 __さて、どちらへ行けば……。


 周囲を伺っていると、シーザーの頭がそれた感触があったので、そちらに視線を落とすと、彼は壁画の脇へ視線を向けていた。


 つられてそちらを見れば、柱の陰に隠れて木製の扉が見えた。

「あそこか?」


 尋ねると、シーザーは尾をひとつ振って、迷う様子もなくその扉へと歩みを進める。


 それに続くと、扉の前でシーザーは腰を下ろし、長い前足で軽く扉を引っ掻いた。彼が扉を開けてほしいときに、必ずといっていいほどする仕草だ。


 木製の扉は分厚く、思いのほか重かった。それを押し開けると、シーザーは通れる分だけの幅ができたと同時に、扉の向こうへと滑り出た。


 ロンフォールも自分が通れる分だけの幅ができると、おいてかれまいと、向こうへと出、後ろ手で静かに体重をのせて扉を閉める。


 目の前に、岩の階段が現れた。


 シーザーは螺旋状のそれへ、一歩足を出した状態で振り返る。それに対して、ロンフォールがうん、と一つ頷くと、彼は登り始めた。


 __この先にいる。


 螺旋階段は塔の内部だということは、子響から聞いていた。その先__天辺に神子の部屋があるらしい。


 __いよいよか……。


 鼓動が早くなった。


 これから、自分は神子守のロンフォール・レーヴェンベルガーとして、連れ出さねばならない。


 ちゃんとできるだろうか__。


 自分という確固たる自信がない自分が、どこまでできるかわからない。しかし、やるしかない。


 目を閉じて深く息を吸いながら、両手を握りしめ、息を吐き出すと同時に握った手から力を抜き切って、眼光鋭く目を開く。


 まっすぐ見つめた螺旋階段を、ロンフォールは登り始めた。

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