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見せかけの成りすまし

 イェノンツィアはロンフォールにそれを羽織らせ、慣れた手つきで首元の留め金をかける。


 ロンフォールは眼前に彼の顔を見るが、彼は細かな作業をしていても、その目を一切開いていない。


 __見えてないんだとしたら、本当にすごいよな……。


 視力を補うように、ほかの感覚__勘のようなものが冴えているのかもしれない。


 あるいは、と自分が身に着けている法衣を見る。


 __神官騎士っていうのに関係あるのか……。


 龍騎士とまた違う指令系統である神官騎士は、神子に仕える騎士らしい。その神子は神によって見出される愛ぐ子で、特殊な力を振るえる。


 実は、神官騎士もその恩恵にあやかっていて、いくらか使えているか、あるいは、影響されているということもあるのだろうか__。


「もう少し日が傾いたら、目的の宮へと向かいます。これからは、このフードを目深に被ってください。一切目線を上げず、一切口を利かず、私の足元を見てついてきてください」


「わかった」


「シーザー、こっちへ来なさい」


 フィガロは、つかず離れずのところにたたずむシーザーを呼ぶ。


 狗尾(いぬのお)の彼は、主であるロンフォール以外の言葉にはあまり応じない。それは、今回もそうなのだろう、とロンフォールが思った矢先、ゆっくり、と長い足を動かして、彼は神子へと歩み寄った。


 興味深い、とロンフォールはその様子を見守る。


 彼女は、歩み寄る大犬に、地面を示してから人差し指を立てて、その手に注目させるように前へ出した。すると、指し示したあたりまで来た狗尾(いぬのお)は、その場に座った。


「ちょっと我慢なさいね」


 座るシーザーに視線を合わせるように屈んでそう言うと、フィガロはイェノンツィアを指で呼ぶ。


 その呼び出しに応じるイェノンツィアは、立ち上がって足で地面の図を消し、自分の衣嚢から小さい巾着を取り出しながら近づいた。


 見えているようにしか見えない、その迷いのない彼の挙動。__目が見えないはずなのに、指で呼ぶ神子の仕草を知り、地面に描いた絵を消してそちらへと歩みを向けている。不思議でたまらない、とロンフォールは思った。


 彼は、やや背後に控える形で片膝を立てて跪くと、手にした巾着を掲げるようにして差し出す。


「こちらに」


「ありがとう。__では、お願い」


「御意」


 イェノンツィアは神子の脇から進み出て、腕まくりをすると、巾着の中へ手を入れて小瓶を取り出した。


 小瓶の栓を抜き、黒みがかったとろみのある液体を、両手の平に広げて馴染ませる。


「失礼を」


 シーザーに言って、彼は躊躇することなく白い体毛に塗り付けはじめた。何度も手が往復するたびに、黒く染まっていくその体毛。


 撫でられること自体、あまり好みではないらしいシーザーはしかし、嫌がらずにじっと動かず耐えている。


「まじないか何かか?」


「いいえ。単純に色を変えるの。あなたの護衛は、この(いぬ)しかいないのだから、ここで待たせるわけにもいかないでしょう。武器も携行してるけど、ほとんど役に立たないでしょうし」


 自分と神子と神官騎士、そして狗尾の少人数での行動。帝国の中枢に乗り込むにはあまりにも少ない人選だが、この選択肢しかなかった。子響をはじめ里の主力である数名は、先日の市場の事件で、顔が割れてしまっている。逃走することになれば、市井に紛れるのは困難だからだ。


 リュングを加えてもよかったが、それは名代という欠かせない立場だから、里に留まってもらった。


 狗尾を連れて行くというのも、危ういかもしれないが、この人選ではロンフォールには欠かせない護衛だ。


 シーザーの犬種ドラクセン・ウルフハウンドは、帝国には古くからある血統。狼を狩るため、また狼から家畜を守るため、ヒトと共存してきた歴史があるらしい。それは現在も同様で、一般的な犬種であるが、狗尾として本格的に導入されてはまだいないため、龍騎士でもない限り、狗尾シーザーを知る者は少ない。


「そんなもので、いいのではないかしら」


「__ですかね」


 イェノンツィアが塗り付けた色に染まったシーザーは、真っ黒ではないが、ほどよい自然な濃淡がある毛色になっていた。


 色が違うだけで、これほど別の犬になるとは思いもしなかったロンフォールは、へぇ、と感心した声を漏らす。


 塗り付けていた手が離れると、一度身震いをするシーザー。体毛にしっかりと染みているらしい液は、飛び散ることはない。


「司教……」


 恐る恐る、といった感じでイェンツィアがフィガロへ声をかける。


「__まことに恐縮ですが……こちらの衣嚢から、手拭を取っていただけませんか」


 黒い液体まみれの両手を示しながら、彼は苦笑を浮かべ、巾着を取り出した衣嚢とは反対にある衣嚢を示した。


 半眼になって呆れた表情のフィガロは、ため息をこぼす。


「手際が悪くて面目ない」


 イェノンツィアの謝罪は黙殺し、彼女は自分の衣嚢から白い手拭を取り出して、黒い両手の上に投げるように置いた。


「普段ならまだしも……あたし、斎忌(さいき)をしているのよ」


「ああ……そうでした。失敬」


 イェノンツィアはひとつ頭を下げてから、受け取った手拭で手を清めはじめる。


「さいき?」


「神事の前、心身を清めておくことです。穢れるので色々と制限があり、物忌みとも言いますね。場合によっては、引き籠ることもあります」


 さあ、とフィガロが手を打った。


「そろそろいいわね。進みましょうか」


 こっちよ、と手招きに従って、小さい少女の後に続く。


 森の中は鳥の囀りがにぎやかだ。まるで市場の喧噪のよう。それでも心地がいいのは、不思議に思える。


 遠目に鹿や雉も、兎も見かけた。この森は帝都にありながら、ケルビムの里のある森のように豊からしい。


 自然の摂理で起こる殺生は許されているが、ここで狩りをすることは禁忌で、だから動物も豊かに見かけられる、とイェノンツィアは言う。家畜のように飼っているわけではないが、ある種それに近い環境なのだそうだ。


 そう歩かないうちに、正面の木々の間から光があふれて目にまぶしくなる。木々を抜けていくと、眼前に湖が現れた。


 向こう岸は見えるが、地底湖の倍はある大きな湖。


 地底湖とは違い、こちらはさざ波が立つたび、夕刻の太陽の光を反射して輝いている。


 眩しさに目を細めていると、さざ波がこちらに向かって再び光る。その光が足元近くまで迫った直後、ロンフォールはひやりとした風に撫でられた。


 その吹き渡る風も、地底湖のそれと似ているようでどこか違う。


「あの川を下るわ。半刻もあれば三苑__(かつみ)の離宮よ」


 示されたのは、湖畔から流れ出ている川のその向こう。

 いつぞや見かけた神殿より小規模な石造り。その一角が角のように天へと伸びた建造物だった。

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