均衡の神子 Ⅱ
その様子に気づいたのか、少女は微かにロンフォールに笑った。
ロンフォールは、彼女の笑顔に含みがあるように感じて、思わず半歩下がる。
「どうした?」
「い、いや……よくわからない」
自分がなぜこの少女に怯えているのか、わからない。
「私が神子だからでしょう。怖がる必要はないわ。__はじめまして。私は、均衡の神子のフィガロです」
利発そうな顔立ちの少女は、さらっ、と自己紹介をした。思いもよらぬ人物の登場__それも、かなり砕けた登場で、リュングは驚きを隠せない表情である。
「これはイェノンツィア。とっても働き者で、私の気に入りなの」
手で示したのは、背後に控える目を伏せたままの青年。髪を頭の高い位置でひとつに結わえている彼は、端整な顔立ち。子響をもっと柔和にした雰囲気だった。
「こちらの方が、あのとき、私に手紙を渡してくれた方です」
ロンフォールにそう言って、懐から手紙を取り出しリュングに手渡す。
「そして、あなた方が逃げられるよう騒ぎを起こして隙を作ったのも、拙めにございます」
目を伏せたままのその偉丈夫は、柔和に笑んだ。
「でも、みんなが魔物だって叫んでた。……じゃあ、その魔物をけしかけたのって__」
イェノンツィアは、ゆっくりとロンフォールのほうへ首を向ける。その動作に威圧感があって、ロンフォールは言葉を飲み込んだ。
「ロンフォール・フォン・レーヴェンベルク卿、お久しぶりです」
しかし、予想に反して、柔らかい声が挨拶をするので、思わず面食らってしまう。
「俺を……知っている?」
「勿論。私は均衡の神子の神官騎士ですので、目通りは何度か。もちろん、我が神子もございます」
相変わらず目を伏せたままの彼。
疑問が浮かぶと、すぐに聞くように癖づいているロンフォールは、ほぼ無意識に、いつものように口をついて出てしまう。
「イェノンツィアさんは、目が__」
「どうぞ、イェノンツィア、と以前のように」
青年はそこまで言って、くつり、と笑って明るく答える。
「__ええ、見えません。瞼を開けようが閉じていようが、明暗が分かる程度です。それでも、神官騎士の長を仰せつかっておりますが」
神官騎士は、神子に仕え護衛する職のはず。目が見えないということは、致命的なのではないだろうか。
「神官騎士などと響きこそいいですが、要は、使い走りのことです」
皮肉じみた言い方に、面白くない、と言いたげな表情をフィガロが浮かべる。
「誰のお陰で、おまんまありがたい、って暢気にしていられるのかしらね」
「均衡の神子が居られるからこそ、ですかな」
さも楽しげにジェノンツィアが笑う。
そのやりとに戸惑っていると感じ取ったのか、彼はロンフォールへと笑んだ。
「何でしょうね。以前もこうしたやり取り、レーヴェンベルガー卿にはお目にかけたので。改めてするのはなんとも妙な感覚だ。__色々、ご苦労なさっている様子でしたので、気がかりでしたよ、レーヴェンベルガー卿」
恭しく礼をとるイェノンツィアを鼻で笑って、改めて少女はロンフォールを見上げ、その視線をリュングへと向ける。
「では、本題に入りましょうか」
「お待ちを」
リュングが制止する。
何かしら、と少女は首をかしげた。
「__どうして、レーヴェンベルガー卿がこちらにいることを驚かれない? 顔見知りであったのなら、市場で見かけたとき、どうにでもできたはず」
少女は、今度は反対に首を傾げて腕を組み、ロンフォールを顎で示した。
「聞かれたのよ、導師がいる里はどこか、と。だから、教えた。__一緒にいても、おかしいとは思わないでしょう?」
えっ、とロンフォールは短く声を上げ、リュングは目を細め腕を組む。
子響もスレイシュも、すでに聞いていたのだろう、動じた風はない。
「導師を殺しかけた俺に? なんで?」
「話を聞きたい。とどめを刺しに行くわけではないから、と言っていたわ」
それにしても、とロンフォールは思う。
以前の自分がどういう者かは承知していないが、斬りかかった張本人が尋ねるのだ。彼女も片翼族なら、族長へ手傷を負わせた相手が、本心を偽って息の根を止めに行くかもしれない、とは思わなかったのか__。
フィガロは、食堂に集まっている面々を見渡した。
「それなりの顔ぶれね。いいでしょう。話します。__そういう話だものね、子響」
「お願いいたします」
深々と頭を下げる子響に大きく頷いた少女をみて、ロンフォールは首をかしげる。
「そういう話?」
「おそらく、皆が集まったところで、そのあたり__レーヴェンベルガー卿に、何故この里の場所を明かしたのか……理由をお話しくださるということだろう。いちいち何度もというのは、確かに面倒であるし、ここなら他所の目もない」
少女は大きく、その通り、と満足げに頷いた。
そして、改めて足元から舐めるようにロンフォールを見上げ、視線が交わると目を細める。
「龍騎士には、確かに導師が神殿へ踏み入った段階で、導師やその一行の殺傷が許可されている。あなたは従順だから、それに従った。でもね、斬りかかったあとで、疑問を抱いたようなの」
「疑問?」
「何故、自分に止めを刺さなかったのか__。神子を求めて来ているのに、その神子を探し求めもしない。すぐそこまで来ているはずなのに、それをなさなかった。手傷を負わせた龍騎士を殺さなかった。__神子を狙う理由がほかにあるのではないか、と」
そこまで一気に捲し立てた少女は、リュングに視線を移した。
「ノヴァ・ケルビム派の考えを伝えたわ。だけれど、自分で確かめた方がよい、と判断したの。その直後よ、ロンフォール・レーヴェンベルガーが出奔した、という話になったのは」
驚いたわ、とため息交じりに腕を組み、少女は呟く。
「__前々から、色々な話をしてきてたから、為人は分かってた。彼は取り込める、という下心もあったのは事実」
少女は組んだ腕を解いて、小さな頭をうなだれながら左右に振る。
「__どういうわけか、ロンフォールは行方知れずになった。出奔した、という話しか、あたしには入ってこない」
フィガロは、鋭い視線でロンフォールを射抜いた。
「龍騎士か、軍か……とにかく、どちらかに、先手を打たれたと思ったの。彼ら、あたしがノヴァ・ケルビム派へ近づくことを恐れていたから」
「恐れる?」
フィガロは再び腕を組んだ。
「あたし、神子よ。それも均衡の神の。__ノヴァ・ケルビム派とともに、国家転覆を目論んでいる、と思われているのよ」
「……馬鹿馬鹿しい」
リュングは吐き捨てる。彼が毒を吐くことは滅多にない。彼を見ると、奥歯を噛みしめて、両の拳を握りしめていた。




