均衡の神子 Ⅰ
ぱちぱち、と爆ぜる薪の炎の音は、不思議と心を静かにさせる。それは、不思議に人を魅了するようで、いつの間にかロンフォールはそれに遠い目で見入っていた。
揺れる炎の中に、時折あの顔見知りだったらしい龍騎士が現れ、ハッとした瞬間、炎にかき消される。
「大丈夫か? レーヴェンベルガー卿」
「ああ……怪我はないし」
怪我はないが、ぽっかりと空虚さが心の中にあって、何もないはずなのに重みがあり、しくり、と痛む。
そうではなくて、とリュングは言いながら、覇気のないロンフォールの肩に手を置いた。
「__子響殿のことは、心配するな」
リュングの言葉に、脇に立て掛けた得物を見る。
__結局なにもできなかった……。
教えてもらったにも関わらず、結局守られる形で離脱するしかなかった。
ロンフォールは下唇を噛みしめる。
殿というもの__この意味は、あとでスレイシュに聞かされた__を買って出た子響とは、そのまま合流することなく里へ逃げ帰った。別行動をしていたトヴェレリとケルヌンノ、そしてシェインは、ロンフォールが戻ってから程なく里へたどり着いている。
今、スレイシュをはじめ里の男衆が、戻るであろう子響と早く合流を図ろうと探しつつ、見回りをしている。
「子響殿は強い。そう不安がるな」
「不安もある。だけどなんだろう……よく、わからない」
子響はおそらく大丈夫だろう。あの龍騎士は戦意を失っている様子だったから、万が一にも殺されることはない__はずだ。
すぐ傍に腰を下ろしたシーザーの頭を撫でながら、ロンフォールは何度目かのため息を零した。
__なんなんだろう、この気持ち悪さ……。
「出奔の理由か?」
シーザーを撫でていた手が、無意識にぴくり、と反応した。
「少なくとも、我々__我が導師への仇ではないようだな」
「うん」
それだけはよかった。
そして、捕縛される命が下っている。捕縛れるほどの理由が、自分にはあるようだが、いったい何をやらかしたのか__。
「なあ、クライオン、ってなんだ? やっかいなそれを持っているから、と言われたんだが」
一瞬、驚いた表情になったリュング。
「そうか、それさえも覚えてはいなかったか……当然と言えば当然か」
ひとりぼやきながら納得し、向かい合う席に腰を下ろして、テーブルの上で手を組んだ。
「クライオンというのは、龍帝従騎士団の者なら持っている武具。かつての英霊たちの成れの果て」
「武具? ……これ?」
いいや、とリュングは、ロンフォールが示した太刀に首を振った。
「__形状は様々だ。太刀であったり、弓であったり……その太刀を介するようなのは確かだが」
「英霊っていうのは?」
「死んでいった龍帝従騎士団の魂を祭る廟がある」
「びょう?」
「墓に似たようなものだ。氣多廟と呼ばれる、その廟に祭られる先達の魂のことを英霊と呼ぶ。龍騎士は龍を駆り、英霊に力を借りるのだ。叙任されてすぐ、英霊に挨拶もかねて廟を訪れ、見初められて、力を借りる。英霊によって、さらには見初められる新参の龍騎士によって、武具の形状が変わるのだそうだ。その武具は、魔道に似た力を発揮できる」
リュングは言って、背もたれに身を預けた。
「大仰に、守護天使、とも呼ばれている。龍帝の使い__天の使いが守る、とのことでな」
「……俺のクライオンは?」
「誰かは知らない」
「誰か?」
「言っただろう。元々はヒトだったのだ。だから、誰か、ということ。__だが、やっかいな、という言い方が引っかかる。おそらく、かなり格が高い英霊なのだろう。格が高ければ力も強い」
「それは、返せないのか?」
「どうだろう。返せるとしても、私はどのようにするのかまでは知らない。知っているとすれば、龍帝従騎士団だ」
ロンフォールは頭を抱えた。
「導師なら、できる……?」
「あるいは」
愚問だった、とロンフォールは下唇を噛みしめる。__できたとしても、目覚めていないのでは意味がない。
「返したところで、ことが収まるように、私には思えないがな」
「……かもしれない」
具体的にどう、とは挙げられないが、なんとなくそんな気がしてならない。
最善の策はないのだろうか__。
ない頭で、考える。
もはや考えすぎて、何を考えているのか分からなくなり始めたころ、伏せていたシーザーが首をもたげた。
じっ、と扉の方を見つめているその様子に、声をかけようとしたその時、扉が開いてスレイシュと子響が入ってきた。
驚きに目を見開いて、ロンフォールは椅子を蹴る勢いで立ち上がる。
あまりの驚き様に、子響は笑った。
「無事だな」
髪の毛の乱れが目立つ子響は、ところどころ小さく裂いた衣服だが、幸いにして土埃以外の汚れ__出血等は見られない。
「はい。街なかでしたから、あちらはクライオンを出せなかったのでしょう。どうにかまいて逃げてきました」
「あ……」
言葉を逸したロンフォールの心情を察し、子響は柔和に笑んで深く頷く。
「__あの方も、無傷ですよ。いくつか打ち合いましたが」
知り合いを傷つけないでいてくれた子響のその気遣いに、目頭が熱くなった。
「……ありがとう」
「当然ですよ。むやみに殺傷することは、我々の信条に反します」
喉の奥から搾り出すように礼を述べると、子響は柔和に笑んだまま頷いていうが、すぐに真剣な面持ちをリュングに向ける。。
「それにしては遅かったように思うが」
「それが、遅れて耳長族の手練れまで加わってきて……あれにはひやり、とさせられました。おそらく元龍騎士ですね」
「元……?」
「退役した龍騎士だと思います。ロンフォール殿の同僚の方との会話から。しかし油断ならない太刀筋でした。やっといなせた感じで」
「まさか、元龍騎士にまで号令が?」
「たまたま居合わせた感じでしたので、それはないかと。近くでおこった魔物騒ぎに駆けつけたらば、やり合っている我々を見つけた、というかんじで……どうやら、私が魔物を呼び出した者と認識されたようですね」
「よく、戻ってこられた」
「ええ。手助けをしていただいたので」
「手助け?」
怪訝にしたリュングは、ロンフォールに振り返る。だが、ロンフォールには思い当たる節がないので、首を振るしかない。
「お連れした方がいます」
立ち上がったリュングは目を細める。
それに応じるように食堂の扉から身を引いて、背後の誰かに声を掛けた。
現れたのは、子響の鳩尾の高さほどの背丈の、幼い少女だった。その背後に、子響より細身だが背が高い青年が現れ、続いて入室した。
少女の纏う厚手の布地には、見事な刺繍。動きく度、装束についている小さな金色や玉の飾りがぶつかり合って、軽やかな音を奏でている。
恭しく礼をする少女は、黒髪で紅玉の瞳を持ち、目尻には白い角。
__どこかで見た気がする。
ぞくり、と悪寒が背中を走り抜けた。




