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出奔者と追跡者

 気のせいだと思いたかったが皆がそちらに向くので、気のせいでも、ましてや聞き間違いでもなかったと悟る。


 耳にうるさいほど、大きく響く心臓。そう、あの森と草原の境目で魔物と対峙したときのよう。逃げたいが逃げられない。


 __ロンフォールというのはよくある名前。そう、よくある名前だ……。


 そう言い聞かせて自身を落ち着けてから、鳴り止まない拍動のまま、意を決して振り返る。


 振り返った先には、驚きに目を見開く同じくらいの年頃の、茶色の髪の青年がいた。


「__っ」


 しまった、と思ったが、手遅れ。__その青年の服装は龍帝従騎士団のそれである。


 違うのは、肩と腕と脚に翼を模した銀色に輝く甲冑を装備していることぐらい。


 __見たことがある……。


 ドクッ、と心臓がひとつ速く打った。


「やっぱり、お前じゃないか。よかった、怪我もなさそうで。シーザーも連れて今までどこに行って__」


 彼は安堵の表情を浮かべていたが、ロンフォールの取り巻きに気づいたらしく、腰に佩いた太刀に手を添えた。


「ケルビム? それに、お前その服……。まさかお前……本当に出奔したのか?!」


 __出奔……?


 その大声に往来の動きが鈍くなり、徐々にを動きを止めて周囲を取り囲むように人垣ができた。


「やっぱり、お前は、どこまでもケルビムだったんだな。だから導師が現れたのに、わざと取り逃がしたんだろ!」


 そう吐き捨てた彼は、抜刀した。


 その気迫。まっすぐ喉笛を向く剣先に、ロンフォールは気圧されて一歩さがる。


「信じてたのに……! お前は違うって! 俺は、お前をずっと擁護していたんだぞ?! そんなんじゃない! なにか事件に巻き込まれたんだって! 他の大隊だって……みんな……」


 やや明るい茶色の瞳が、僅かに潤んだように見える。


 __泣いているのか?


 彼は一度目を伏せて、呼吸を整えるように大きく深呼吸をすると、きっ、と鋭い視線でロンフォールを見据えた。


「お前には、出奔者として捕縛の命令が出てる。クライオンがまだあるからな」


「クライオン?」


「お前の、やっかいなクライオンだろうが!!」


 __俺の龍の名前だろうか?


 主がいない龍というのは、暴れまわるのだろうか。


 子響が言うには龍は強いはず。それが暴れまわっているとすれば、大事なのは間違いない。


 戻った方がいいのではないか。そうすれば、とりあえず、この場は収まるきがする。


「2人は、ロンフォール殿とともに先へ」


 だがロンフォールが行動に出る前に、子響が一歩前に出て背後に押しやった。


「子き……ディート__」


 槍を軽く構える子響に隙が見当たらない。別人のような気配に、ロンフォールは息を飲んだ。


 その子響の殺伐とした気配に、龍帝従騎士団の男は目を細める。


「槍使い……」


 青年はちらり、とシーザーを見た。


「シーザー、来い。ロンフォールは堕ちた」


 短い命令に、当の狗尾はしかし微動だにしない。それどころか、ロンフォールの傍に歩み寄る。


 それに舌打ちをする青年。


「ロンフォール、お前を拘禁する。ノヴァ・ケルビム派の導師と邂逅して、なにかしらあった可能性があるからな。そして、クライオンがそのままでの出奔は大罪。大隊長にまで推挙されているお前は、まさしく帝国の面汚しだ。大人しく投降しろ。もし、抵抗するなら__」


 得物を見せつけるように、彼は握りなおす。


 鋭く光を弾く様は、その切れ味を象徴しているように思える。そして、彼の意思も。


「……俺は……」


 そこまで言った彼は、言葉が詰まった様子だった。


 刃の光は小刻みに揺れはじめている。


 覇気が欠けた様子にロンフォールが怪訝にすると、それを認めた彼は、何かを振り払うように首を振って、一際低い声で言い放つ。


「__お前を殺さなければならない」


 グッ、と心臓が鷲掴みにされた心地に、ロンフォールは小さく息を吸った。


「評議会で決定されたことだ」


 評議会は、上三位__大賢者、元帥、教皇と、九州侯、令尹で開かれる会議だ、とスレイシュから聞いている。


 国としての方針や体制を決する権利を有する。


「……だけど、今ならまだ間に合う」


 眼光は鋭いままだが、キチキチ、と青年の得物から小さく金属が擦れる音がする。


「内々におさめろ、と団長が仰っている。生きたまま必ず連れて来い、と。__わかるか? 団長がまだ味方なんだ。理由があるんだろ? そっちに行ったのだって、しょうがなくだろ? 俺が力になるから、今度は。俺が助けになる。だから__頼む」


 青年は太刀を震えさせながら、苦悩の表情で訴える。


「__お前を殺させないでくれ……。ただでさえ、命が限られているんだろ? それに、班長が副班長に殺されるなんて、そんな滑稽なこと、ない……違うか?」


 そうだろ、と同意を求める彼の声は、震えている。


 切実に願ってくれているのだ。


 殺したくないが、殺すよう命令が下っている。その板挟みに、悶えている。苦しんでいるのだ。


「……俺は__」


 言いかけたロンフォールの声を遮って、騎士の背後の人垣の向こうで叫び声があがった。


 そちらに視線を向けるが、視界には人垣があってわからない。


 徐々に広がる阿鼻叫喚。人々が逃げ惑っているのが分かる。


「魔物だ!」


 誰かが叫んだ。


 その言葉に気をそがれて、青年が弾かれるようにそちらを振り返るのと、人垣が崩れて散り散りになるのはほぼ同時。


 子響がその隙を見逃しはしなかった。


く!」


 子響の叫びに応じたのはサミジーナとスレイシュで、スレイシュがまだ残る反対側の人垣を気迫で割って道を作り、その後をロンフォールの手をとったサミジーナが続いていく。


「ロンフォーーーーール!!!!」


 ありったけの叫び声をあげたのは、あの青年。


 手を引かれながらも背後を見る。


 慌てふためく背後の人垣を気にもせず、じっとこちらを見たまま、得物を手にその場に崩れ落ちる騎士の姿が見えた。

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