接触者
食事を終えた頃、市場の最も栄える時間を過ぎたらしく、いくらか人も減っていた。溢れるほどにいた人々は、いったい何処から湧いていたのか__そう疑問に思うほど、今では人がまばらだ。
露店もそれに合わせて、数が減っている。
休息もとれたロンフォールは、子響の勧めもあって街を巡ってから里に戻ることにした。
人の数が少なくなれば、散策しても危険は少ないし、いくらか記憶を取り戻すきっかけになるかもしれないから、いい機会だろうということで__。
お陰で、改めて広場の景観を見ることができた。
まず目を奪うのが、広場の中心に聳える像。龍に跨る戦神を摸した像の土台部分に、継承戦争の頃の功労者の像が彫られていた。それらの像の全体の高さは、自分よりもはるかに高く、身の丈4倍はあるようだ。
これほどの大きさならば、初めて来たときに気付きそうなのもの。それをこのときまで気づけなかったのは、おそらく雑踏に圧倒されてしまっていたからだろう。
その像と広場を囲うように並ぶ家屋。それらは、2階建てか3階建てに高さがほぼ揃っている石造りの建物。見た目も似ていて、街全体に統一感がある要因となっている。
大通りに面した建物で幅が大きなものがあるが、それは宿屋。この街には定期馬車の駅もあって、まさしく宿場町としての機能がたくさんあるようだ。
子響が言うに、村や街といったヒトが集団で生活する場所には、必ず神殿__帝都よりは小さい__がある。
根源は別の場所にあって、他の場所にうつすことを勧請と言い、勧請した神霊を分霊と言う。そして、祭られた場所を今宮、あるいは、その規模によっては神殿とも呼ぶらしい。
「分けたら、小さくなるんじゃないのか?」
「神霊__不可知のものですが……これは、無限に分けることができます。分けても、元の神霊に影響はなく、同じ働きをします。このあたりの考え方は、蓬莱に似ています」
そうした神殿、今宮は、その周辺に住む人々の祈りを捧げる場であるとともに、地方を巡礼する神官の休む施設となっており、ここには神殿騎士が常に駐在している。
最初に一行は、その神殿__均衡の神の神殿を目指して歩みを進めていた。戦神の神殿もあるらしいが、こちらは国教に近いものがあるため、人の出入りが多い。故に均衡の神の神殿へ向かうことになった。
人気が少ないであろう神殿であっても、神殿騎士はいる。首都マルクト州の大きな街の神殿だ。その中に、ロンフォールを知っている顔があるかもしれないから、遠目からである。
目抜き通りを進むこと暫し。やや広い広場があり、今まで歩んでいた道よりも細い道が枝分かれするように現れた。分岐には必ずといっていいほど広場がある、と子響が教えてくれた。
広場から枝分かれした道の先に、また円形の広場。広場のその奥、立ち並ぶ建物とは違う白亜の建物が現れた。
平屋のように見えるが、その高さは3階建ての家よりもあり、遠目にも見上げるほど。
加えて、ただならぬ雰囲気をその建物は放たっているようにロンフォールには見えて、思わず息をのんだ。
「あれが見えますか? あれが均衡の神の御印です」
指で指す、というよりは、指をそろえた手で指す形で子響が示すのは、正面の押しつぶしたような三角の屋根__破風。そこに、彫刻がある。
中央の盾を両脇から支える一角獣。その盾にある文様は、天秤を摸した均衡の神の御印。
「あの一角獣は、均衡の神が駆るもので、空を飛べるそうです。神代の頃、角が折れてしまったそうですが」
一角獣を注意して見ててみると、確かに角が根元近くで不自然になくなっている。
紋章に彫刻__そのどちらも見たことがある気がするが、やはり、ぴん、とくるものがない。
「中には入れないよな」
「それは、やはり……」
__なら、これ以上居ても、意味がないな……。
足元に寄り添う大犬の頭を撫でて、ひとつため息をこぼしたロンフォールは、わがままを聞いてくれた皆に振り替える。
「……見させてくれて、ありがとう。もう、いいよ」
少しばかり期待していただけに、落胆の気持ちがあって、その言葉はやや静かであった。
スレイシュはサミジーナと顔を見合わせる。
気持ちを察してくれた子響は、そうですか、と労わるような笑顔で頷き、ロンフォールの背を押して道を戻った。
戻った目抜き通りには、いくらか人の数が戻り始めていた。
先ほどは雑踏が苦手に思えていたが、今の落ち込みかけた気持ちには、活力を与えてくれるような気がする。
真新しいものはないか、と周囲を見渡すだけでも、気持ちがまぎれるのだ。
そんな中、不意にロンフォールは振り返った。そして、異質なものを子響の背後に見る。
刹那の間に、人影が__雑踏を行く感じでなく、佇むだけの人影があった。
目深にフードをかぶり、表情を伺い知ることはできないものの、男だとはわかった。男は、ゆるり、とこちらへ歩み寄る。
__何だろう……。
違和感から、振り返ったロンフォールはずっとその男を見守った。一歩、一歩と、歩み寄る男。
ロンフォールが自分の向こうを見入っていると、子響が察した瞬間__。
「子響殿、というのは、貴方ですね?」
名を呼ばれた。
その刹那、ロンフォールに体を向けたままの子響は、最初こそ驚きに目を見開いて動揺していたが、すぐに律する。鋭い気配になった彼は、槍を握りなおした。
声をかけたのは、子響の背後の者__ロンフォールが異質に感じた者だ。
スレイシュとサミジーナは、ともにその人物を見て警戒しつつ、ロンフォールへと寄った。
「すみません、突然のお声掛けで」
今の名前を聞かれたか、子響は周囲をしきりに探る。
一行のまわりは緊張した空気になっているのに、雑踏を行く人々はそれに気づかない。
まるで切り離された空間にいるような錯覚。
ちらり、とロンフォールはシーザーを見た。シーザーは、その人物を見つめこそすれ、構える気配がない。__では、敵ではなく、危機もないのだろう。
__それにしたって、なにか変だ……こんだけ周囲から浮いているのに。
周囲から浮いているはずなのに、周囲はまるで男を気にも留めない__その違和感。
「ご安心を。そこまで馬鹿はいたしません。聞こえている者はありません」
そこでやっと振り返った子響。
「……貴殿は?」
目深にフードを被った男を注意してみれば、地面すれすれまでの丈の外套の、腰にあたる部分から長い何か__布を押す形から察するに、得物を携えているのが見て取れる。
「武人とお見受けする。名乗られずに誰何するとは、いささか非礼では」
「失礼なのは重々承知です。ですが、今は、名乗れない事情があります。このまじないが解けますので」
言って、男は徐に封筒を取り出した。
「これを」
半ば押し付けるように子響に手渡すそれ。
子響は、有無を言わさず受け取らされたその封筒を吟味しようと、視線を向ける。
宛名も差出人も記されていない封筒には、封蝋が施されていた。よくよく見てみると、その封蝋には紋章が施されている。
天秤の紋章が示す意味を、博識な子響はすぐに悟った。
「この紋は……!」
「どうぞ、お静かに。私の主から内々に託されたもの。お戻りになられたら、読んでください。そして、内容の通りにしていただけると助かります」
では、と言った男は、音もなく人の往来の中へ消えていった。
雑踏に文字通り、男の姿が消えてしまい見えなくなって、子響は封蝋を見つめたまま、口元を引き結んで難しい表情をしていた。
「どうしたんだ?」
「急いで戻った方がいい。戻りましょう」
ロンフォールはスレイシュとサミジーナと顔を合わせる。
さあ、と子響が先を促そうとしたときだった。
「お前……ロンフォールじゃないのか?」
今度は背後で聞いたことのない声が、自分を呼んだ。




