ローテンベルク
それは防壁の役目をかつては与えられていた。
壊れたのはずっと昔__帝位継承権の争いの頃まで遡る。国家が安定して直す必要もなくなった街を囲う堅牢な赤い壁は、そのまま放置された。
さらに、歳月によっても朽ちて行き、今のようにところどころ崩れ、もともとの高さの半分にも満たない岩の山が取り囲むような地形となった。
街道筋にあり、ケルビムの里の転移装置から徒歩で行ける最寄の街では、大きい部類に入る。
静かな里に慣れていたロンフォールは、人々でごった返す市場に最初は圧倒されていた。
広場をぐるり、と囲うように露店が連なるそこを市場といい、食材に始まり、その場で調理している店もあれば、武具まで扱っている店が軒を連ねている。ここだけで手に入らないものはないかもしれない、と思えるほどの品揃え。
逸れないよう皆についていくと、彼らは市場の端で慣れた手つきで露店を広げた。
この店を待ちわびていた人もいたようで、すぐに人が集まってきて、どんどん売り物が減っていく。
食材を求める客はお勧めの調理法を聞いたり、薬を求める客は効用を聞いたり__この店のお得意は、ほとんどが女で、買い物を目的としているだけでなく、サミジーナやシェインとの会話を愉しんでいる様子だった。
顔なじみの客は、子響とも話しをするのも愉しみにしているようだった。対してスレイシュは、声を掛けてくるその客の勢いにたじたじ、といった様子で応じている。
彼の引きつった笑顔を、初めてロンフォールは見た。
持ちきれない荷物や重い荷物は、トヴェレリとケルヌンノが客の家まで運搬を快くし、それぞれがそれぞれの役回りを手際よくこなしていて、場慣れしていないロンフォールには少し肩身が狭く感じられた。
露店の背後にある馬留め用の柵に背を預け、隣に体を横たえたシーザーの背を撫でていると、勢いのある客の会話から逃れてきたスレイシュが横に腰を下ろした。
「……ほんと、子響殿はすごいよな」
小声でそう言ってため息をつくスレイシュは、胡坐に片肘をついて子響を見つめた。
この街に入る前、子響から、決してそれぞれを本当の名前で呼ばないこと、と厳命されていた。故に、聞こえないよう小声でである。
しかしながら、ロンフォールという名前は、そこそこよく聞く名前らしいから、ロンフォールだけはそのままである。
シキョウという響きは、帝国ではないものらしい。片翼族と蓬莱人という組み合わせがノヴァ・ケルビムという認識に世間ではなっていて、呼び名で露呈しないように偽名で呼び合っているのだそうだ。
子響は体躯が帝国人に見劣りしないものであるから、身なりを帝国の衣服にしてしまえばそれだけで判別しにくいらしく、今日はそのなりである。
再びスレイシュはため息を零した。
「ご婦人方から……それも年配のご婦人には人気でさ。俺、苦手なんだ……ああいうの」
ご機嫌そうな婦人は、饒舌で子響に離れる隙を与えない。馴れ馴れしく笑いながら背中を叩き、さらに大きく笑う。
子響も子響で、それに嫌な顔せず、談笑を交えて応じる余裕がある。
「社交性が高い、っていうのか……矢継ぎ早な言葉に、良くついていけるよな。話もコロッコロ変わるし。さっきまで天気の話してたら、今度は娘の話だし……」
「そうなんだ」
「お前はいいよな、暢気で」
疲れた様子のスレイシュに、ロンフォールは苦笑を浮かべた。
子響をはじめとした皆の動向を見守り続けること一刻。あっという間に持ってきた荷物はなくなった。
敷いていた布を畳み、馬に括り付けた彼らは、これから買出しに行くのだそうだ。
一緒にどうだ、と誘われたが、眺めている分にはいいがその雑踏にあえて踏み込む勇気がロンフォールにはなかった。
そこでケルヌンノとトヴェレリ、シェインが買出しにいくことになり、彼らはそのまま里へと直行するので別れ、残った者で人の少ないところを探して、遅めの昼食を取ることになった。
スレイシュが静かな川の岸にある木陰を見つけ、子響とサミジーナが露店で食べ物をいくつか見繕ってくる、と言い残し去った。
少し疲れを覚え始めていたロンフォールは、同様に疲れているスイレシュと言葉も交わさず、ぼんやりと川を眺めて彼らを待つ。
きらめく川は涼やかな音を奏で、魚の影が素早く走り、時折、川の中ほどで飛び跳ねる。
鳥が啼く。喧噪がいくらか減ったから、啼いていることに今更ながら気付いた。
足元の花に気付いた。ころっとした親指ほどもない白い花弁の花。それがぽつぽつと咲いている。
何の花だろう__スレイシュに尋ねようとしたところ、子響らが戻ってきた。
彼らが買ってきた食べ物は、湯気がまだ上がるほど出来たてで、里では見たことがなかった。
薄い丸いパンは、大人が手の平を広げてもその半径にも満たないほどの大きさ。それに野菜や肉をのせて好みの味にして食べるのだそうだ。
皆がそのパンを適当な大きさに千切って、好みの食べ物を載せるのを真似しながら、ロンフォールも作って食べてみる。
里の食事は美味しいが、ここの食事は違い、肉そのものの味も濃厚で、ロンフォールは好みだった。
「ディートさんはよく、あのご婦人の話題についていけますね」
スレイシュが子響へ苦笑を向ける。ディートとは、子響の偽名だ。
「すごい勢いがありそうな人だったな」
やり取りを眺めているだけでも、迫力があるのだけはロンフォールにもわかった。
「私でも時々、腰が引けちゃうときあるもの。すごいなぁ、って思います」
サミジーナにまで言われ、子響は苦笑を浮かべた。
「ああいった話も、無駄なことではないんですよ。先ほどのご婦人、ご主人がマルクト州の役人なので」
「え、知らなかった」
くつり、と笑った彼は、声を潜めるために、やや前のめりになる。
「およそ1ヶ月と少し前、急に帝都へ召喚されて、ずっと戻られていないのだそうです。__龍帝従騎士団の中で問題がでたらしく」
「俺のこと?」
ノヴァ・ケルビム派と共同生活をするようになって、1ヶ月は経っている。その少し前に、導師と自分は相対していた。
時期としてはほぼ合致する。
「詳しくは知らないようでしたから、それ以上はわかりません。ただ、話を色々と聞いていくと、龍帝従騎士団で不祥事があった、ということは確かのようです」
「不祥事……ですか」
サミジーナの反芻に、子響は頷く。
「禍事の神子奪取を目論む導師セフィラー。それを取り逃がした騎士が行方不明。いまだ所在がつかめず、もしかしたら、導師に殺されてしまったのかも__帝都ドラッヒェンブルクでは、その噂で持ちきりなんだそうです。あの方のご主人は、様々に集まる情報の真偽を調べるため、帝都に召喚されたらしいですが……進展はないようで」
スレイシュは顎をさすりながら、視線を落とす。
「取り逃がしたことを咎められて、導師を追って、返り討ち。返り討ちなら、遺体は何処……って考えですかね。龍騎士が導師に殺されたとしたら、龍騎士団の面目丸つぶれだから、たしかに大事。巷を賑わすにはいい噂だ」
胡坐をかいていたロンフォールは、両手を置いていた足首をぐっ、と握った。
「そんな話をして、みんなは疑われなかったのか?」
「私たちは、ごくごく当たり前に過ごしているだけです」
「現にあのご婦人からは、ノヴァ・ケルビム派だなんて誤解されないようにね、とご忠告をいただきましたよ」
子響に続いて、サミジーナがくつり、と笑って言った。
だからずっと、こうして大衆の中でも、平気でやり取りをできていたのだろう。
__確かに、わざわざ言う必要もないことだろうしな。
スレイシュは、人間は欲深いと言っていた。その上、何でも優れていると勘違いをしている、とも。勝手に同族同士で争いあって、ほかの種族も巻き込むやっかいな種族。他の種族と比べ、自分が劣ると分かると嫉む__それが、人間だ、と彼は言う。
それに続いてリュングは、人間族はそうして自分で蒔いた種が芽吹くのが怖いのだ、と言った。多くの敵を作ってきた歴史があるから、それに怯えているだけだ、と。
__怖い、か……。
ケルビムである自分は、龍騎士であっても、人間族から恐怖の対象として見られていたのだろうか。




