龍の口
翌日__。
馬に荷を背負わせて、出発する雰囲気を感じ取ったロンフォールが、迷わず里の入り口へ足を向けると、子響が呼び止めた。
「今日はここから行きます」
呼びかける子響は、ロンフォールとは反対側__菜園近くの脇にある扉に向かって歩き出していた。
__もうひとつ出入り口があるのか。
そう思いながら慌てて彼らに駆け寄ると、子響はその扉を押し開けた。その先には半球状の部屋がある。
だが、出口らしいものが見当たらない。
怪訝にしているロンフォールを他所に、トヴェレリというスレイシュより2つ年上の青年と、装蹄していたケルヌンノが荷を背負った馬を引いて入り、続いてサミジーナとシェインとうスレイシュと同い年の少女も続いた。
「ここから外に飛べるように、まじないがされている」
リュングがロンフォールの背を押しながら言い、スレイシュがさらに部屋の中央へと誘った。
「……床」
短いスレイシュの言葉に促され注意深く見てみると、床になにやら黒く模様が描かれている。それも一面にだ。これがまじない、というものなのだろう。
「この里はタウゼント大陸のほぼ中央、首都州マルクト南部に広がる森に存在していて、主要な街とはかなり距離があるので、いつもこれを使って近くまで行くんです」
説明を受けて思い出した。よくよく考えてみれば、この里がどこに存在するのかさえ聞いていなかった。
「そっか、ここがマルクト州なんだ」
「言わなかったか? 前に、9州の説明したとき」
「ううん。してくれたのはしてくれたけど、ここがどこかは聞いてないと思う」
「あぁ……そういえば、そこは教えてなかったか」
「うん、たぶん。教えてもらってたら、俺、覚えてるから」
疑問にさえ思わなかったからかもしれない。
スレイシュがこの国の構造を説明してくれたときも、そうしたことにひっかかりもしなかったから、質問さえぶつけられなかったのだ。
「わからないことって、何がわからないか疑問に思わないと駄目なんだな……ちっとも疑問に思わなかった」
「いや、こっちも気づいてあげていればよかったんだ。気をつけるよ」
ごめんな、とスレイシュは詫びる。それをリュングと子響は驚いたように顔を見合わせた。
「スレイシュ、とても仲良しになったのよ、ロンフォールさんと」
リュングと子響に対して、くつくつ笑いながら言うサミジーナ。
「その様だが」
歯切れの悪い言葉で返す子響に、スレイシュは片方の眉を上げた。
「ことあるごとに目くじらをたてていたのが、嘘みたいでしょう?」
このところ、ロンフォールは子響やリュングといる時間よりも、スレイシュら里の皆と過ごすことが多いこともあり、彼らとの間ではスレイシュとはこうしたやり取りで当たり前で通っている。
最初の出会った頃を思い起こせば、2人の驚きは、無理もないのかもしれない。
なにか、とスレイシュに問われると、いや、と誤魔化すような笑顔を子響は浮かべる。
含みのある笑顔だったのもあって、スレイシュは訝しむが、気持ちを切り替えるために、ひとつ咳払いをした。
「これは<龍の口>って言って、行きっきりなんだ」
「行きっきり?」
「行くだけで、戻ってくるのは徒歩になる」
「内密にしておきたい智慧なんです、ケルビムの。だからいつも行くときは、これを目撃されないようにしていたんです」
だからか、とロンフォールは内心、納得した。
いつも荷物を馬に背負わせるところまでは手伝っていたが、終わる頃になると決まって誰かしらすぐに呼ぶので、戻ってくる姿は見たことはあるが、出かけていく姿を見たことがなかった。
「信用してなかった、と言われてしまえば否定はできないな」
「我々も、なかなか……あなたのことをどうしていいのか戸惑っていたので」
寡黙なケルヌンノに続いて、聡明そうなトヴェレリが罰の悪そうな表情を浮かべながら言った。
「軋轢を悪戯に作りたくはなかったんです。皆が納得できるかたちでした」
「いや、大丈夫。気にしてないし、そうした方がいいって思ってたんだろうし……。俺も自分がよくわからないから、そうしてくれていた方がいいんだ」
すべて、配慮しての行動だと理解しているロンフォールは笑った。
「さて、行きましょうか。__お願いします」
子響は、背後のリュングへと声をかけた。
頷いたリュングは一行から距離を取るように数歩下がり、手を前に翳して、ひとつ細く深く息を吸った。彼は半眼の双眸で一行を捉えてはいるが、さらに遠くを見つめているかのようである。
何がはじまるのか__ひたすら小さく呟くリュング。何を言っているのかは、ロンフォールでは小さすぎて聞き分けることができない。
ふわり、と柔らかく、それでいて冷たい風が頬をなでた。周囲をみるが、風が吹いてくるようなところは扉しかないが、外の匂いを孕んでいない風に、はて、とロンフォールは小さく首をかしげる。
突然、甲高い耳鳴りがして、小刻みに地面が揺れている感覚が襲った。耳鳴りに思わず耳を覆い、驚いて周囲を見渡し、足元を見る。確かに足には振動があるのだが、近くにある小石はびくともしていない。
隣で動く気配に弾かれるように見れば、それはシーザーで、彼は全くもって動じた風もなく静かに座ってリュングを見据えていた。
動揺を隠せぬまま、シーザーが見やるリュングの姿を求めて視線を走らせる。
視界にリュングを捉えた瞬間だった。
ふっ、と音が途絶え、足元の踏み締めていた床の感触が消えた。




