鷲獅子 Ⅰ
ロンフォールは、ぴりぴり、とした空気を肌で感じ取って、ただただ萎縮していた。
朝起きると、先に目覚めていた子響に促されて、朝食をとるためにともに食堂へ移った。
そうして、朝食をとり終えたところへ、リュングとスレイシュが入室してきた。彼らはすでに食事を終えていて、ロンフォールと話をするのが目的であった。
石の壁に彫ってつくられた暖炉の薪が爆ぜる音が、しばしこの空間に響く唯一の音だった。
ぴりぴり、とした空気の大元であるスレイシュを見ると、憤然とした様子で腕を組み、背もたれに身を預けて見下すようにロンフォールを見据えている。
「記憶はお戻りになられたので? レーヴェンベルガー卿」
スレイシュの棘のある問いかけに、思わずロンフォールは手にしていた湯飲みに力をこめた。
「スレイシュ、お前の態度は、慇懃無礼というやつだ。覚えておきなさい」
それを咎めたのは、ロンフォールの隣に腰を下ろした子響である。
「ロンフォール殿は、導師が招かれた……そう、謂わば客人。__胆に命じておきなさい」
「ロンフォール殿、ですか……仇に等しい者に対して、いささか馴れ馴れしくはございませんか? 子響殿」
「世間では、レーヴェンベルガーという姓は騎士として有名だ。対して、ロンフォールという御名は比較的よくある御名。我々と外へ出る機会があれば、そちらで呼ぶように癖付けしておけば危険は少ない」
「だからとは言え__」
「ほら俺……騎士っていう自覚が、あまりないし……」
スレイシュの苛立ちが子響へ向かわぬよう、ロンフォールは声を発した。
「__卿って騎士のことを言うんだろ? だから、普通の人と同じように呼んでくれ、って頼んだんだ」
うむ、とロンフォールの言葉に子響は頷く。
今のロンフォールにとって、呼び方は毛ほどにも気にならないことである。子響は大事なことだと言っているが、良いようにしてくれればどうでも良い。
口を一文字に引き結ぶスレイシュは、面白くない、と言いたげに、視線を反らしてしまった。
その態度に子響が呆れたため息を落とすと、居たたまれなくなったロンフォールが言葉を紡いだ。
「あの……ひとつ、質問があるんだけど……」
一斉に視線が向けられた。どうしても萎縮せずにはいられない。それでも、ロンフォールは自分を鼓舞するように、大きく深呼吸してから顔を上げた。そして、皆の顔と一つ一つ、湯飲みと交互に見て様子を伺いながら、選んだ言葉を発する。
「どうして……その……そういう状況になったのか……話してくれないか?」
「そういう状況?」
「だから……俺が導師を__」
スレイシュはギロリ、とロンフォールを睨み付けた。その視線の鋭さ。続く言葉を飲み込ませるほどの覇気である。
他の2人は視線でやり取りをした。
やがて、リュングが頷くと、子響が背筋を正して食卓に手を組んで置いた。
「私から、当時のことをご説明しましょう。リュング殿はおられなかったので」
彼は視線をその拳に落とし、やや間をおいてから、話し始める。
「その前に、まずは、神子、という存在をご説明しなければならないでしょうか。__神子、という言葉はわかりますか? ロンフォール殿」
「……ごめん……教えてほしい」
「謝られる必要は。__そう……神子とは、神の代行者であり、神の器。昨夜、申し上げましたが、神は不可知の存在です。次元が違う。その力の強大さゆえ、この世に干渉するには限界があります」
「やたらに干渉しようとすれば、この世の均衡が崩れてしまうからな」
「天地開闢し、幾星霜の神代の終焉と同時に、神々の間で取り決めがされたといわれています。それが、天綱です」
「これにより、この世に意図的に干渉する場合は、代行者を介さねばできなくなった。神子は、1柱の神に1人のみ。つまり、無数に存在するが、神の格によっては、神子を有することもできない神もあるし、時代によって、現れない神子もある。これは、神自身が決めるとされている」
ロンフォールは、腕を組んで視線を落とし、暫し考え込む。
「……昨日、子響が言ってた、どこにでも神が宿る、っていうのは、どこに現れるかわからない、ってことか?」
「難しいですね……。どこにでも現れるが故、どこに現れるかわからない。その考え方は、間違いでないですし……。うーん……これを改めて説明するのは、なんとも……。感覚として、こういうものなんだ、と納得している、としか言いようがないので。おそらく、記憶をなくされる以前は、そうした感覚がわかっていたと思うのですが。__上手い答えでなく、すみません」
「……難しいな……」
「そう。神は難しい。……我々の理解を、容易にさせぬ存在だと思えばいい。天綱そのものなのだ、そういうものだ、と納得してしまうしかない。__少なくとも、私はそう思っている」
「子響もそう思ってる?」
「ええ。人知の及ばぬ、というのは、まさしくこれだと思います。そのひとつに、神子という存在があると。__蓬莱に、魂魄という言葉があります。帝国では似たような言葉……もの__アニマでしたか?」
ああ、と子響の問いにリュングが頷き、後を続ける。
「もの、アニマという言葉がある。霊のこと、魂のこともいい、広義に解釈し不可知の部分を指すこともある。この世の根源ともいわれているアニマに労せず、多大な影響を与えられる存在が神だ」
「アニマ……」
「上位の種族ほど、アニマへの影響力があります。神子はヒトでありながら、それが抜きんでている存在です」
「故に、造作もなく神通力を操ることができると思え、神子は。普通なら、魔術を会得するには並大抵の努力ではできぬもの。だが神子は、歩く、という動作を造作もなくするように、あたりまえに行使できるのだ。これを、奇跡の御業、というが」
へぇ、とロンフォールは感嘆の声を漏らす。
「帝国には、現在、信仰の対象としての神子が、御二人あらっしゃいます」
「信仰の対象?」
「神殿を建てられるほどの、格の高い神の神子のことだ。司教とも呼ぶ」
「均衡の神の神子と……禍事の神の神子。均衡の神は、この世のすべてが天綱に従うことを監視し、均衡を保とうとする神。しかしながら、後者の神は、闇の神__この世に災いしかもたらさない、とされています」
「……なのに、信仰の対象なのか?」
「いえ。正確には、禍事の神の信仰は、暗黙のうちに禁止されています。しかし、神子は神によってヒトの都合など汲み取らず、勝手に選ばれてしまう。龍帝はこの神子の存在を危険視され、戦神の名の下、禍事の神を鎮めるため神殿を整え、そこから神子を出さないようにしました」
「神子にかわりないのは事実。だから悪く扱うわけにもいかない。最高の礼を以って保護している、という体裁を整えるため、龍帝従騎士団から数名が神子守として、保護という裏で監視をしている」
「我々が、ロンフォール殿にしているのと同じですね。龍帝従騎士団の神子守が私、という感じでしょうか」
冗談でそう言っているのだろうが、子響のその言葉には、どこか自嘲めいた響きがある。どういった反応をしたらよいのかわからず、ロンフォールは困惑した。
その様子を察したのか、子響は気を引き締めるように、ひとつ咳払し、神妙な面持ちになる。
「そして、そのどちらの神子も、片翼族の者です」
「え……」
「あの事件当夜、均衡の神子には、お話をしたく伺っただけです。我らノヴァ・ケルビム派がいかなるものか、と。神子というお立場の方からの発言であれば、影響力は大きく、理解される度合いがちがいますので。これには、私があたりました。ケルビムの使者であること__導師の使者である証明に、導師のバンシーも連れて」
「そして、禍事の神子については、我らの手で……人間族よりも上位である片翼族の導師の手でしかと御すため、身柄を確保するはずだった。__これは、スレイシュと導師が」
「そこで、あんたが、導師を襲ったんだ」
だんまりを決め込んでいた様子のスレイシュの、強く区切る突然の言葉が、ぐさり、と心深くに容赦なく突き刺さるのだった。




