蓬莱人の子響 Ⅱ
ずっと生きられるということが、自分の余命さえ、ぴん、ときていないロンフォールには、今一つわからない。そればかりか、余命を考えると、まだずっと生きられる感覚になるから、頭がこんがらがるばかりだ。
もやもやして、後ろ頭を掻く。渋い顔をしていたのだろう、それを見た子響が声をかける。
「どうされました?」
「あ、ごめん……なんていうか、色々ピンとこないなぁ、と思って__それで……なんだっけ? 試験?」
話の腰を折ってしまい、慌ててロンフォールが先を促す。
「その入団試験ですが……当時、私は結局、受けられなかった」
「どうして?」
「家を捨てた、と申しても、あの当時は姓__苗字もない家でした。蓬莱では、苗字があるのとないのでは、地位として雲泥の差があるんです」
「苗字ってのは……俺でいうと、レーヴェンベルガー?」
そうです、と子響はうなずいた。
「__龍帝には、苗字はございません。姓は、帝が賜与するものです。龍帝は姓を与える超越的地位にありますから、ないのです」
不思議な話だ。
苗字がないというのは1番下の身分だというのに、一番偉い身分である龍帝が持っていないという。
「我が家も、いよいよ苗字を授かれるということになった。そうなってしまえば、私が家を出奔するという行為が不祥事となり、授かれなくなる。故に、父は私を亡き者にしようとしました」
ロンフォールはごくり、と生唾を飲んだ。
__それは、とても怖いことなのではないのだろうか。
先の魔物に遭遇したときの恐怖心が、ふっと己を包み込むようにまざまざと蘇ってくる。
「致命傷を負い、川に流されていた私を、親切で物好きな人が引き上げてくれました」
「もしかして、それが……」
「導師です。導師もまたエーデルドラクセニアに渡る直前で、まさに都合がよかったのですが……私はすでに死んだ者ですから、試験を受けられなかった」
自嘲めいた笑みを浮かべたかれは、一口お茶を啜った。
「……ですが、悔いはなかった。寧ろ、良かったとさえ思えました。導師を得られましたから」
ロンフォールもお茶を啜って、その湯飲みを覗き込む。
目指していたものが叶わなかったにも関わらず、それを悔いがないと思わせてしまう導師という人物。
自分はそんな人物の命を狙った__どうにも、気分が悪い。
「それはそうと、今日はいいものを見させていただきました」
何のことだか分からないので首をかしげると、子響は自分の背中を指差した。
「背中の彫り物。龍帝従騎士団の紋章です。本物を見られて、嬉しかった」
子響は嬉しそうにしながら、開いていた本を閉じて表紙を指し示した。
「これです」
「あれ、これ……俺が着ていた制服にもあったな」
汚れを洗い清めるため、彼らに預けてしまったが、確かに胸元に刺繍されていたはず。
「そうです。まさしく、あれのことです。この両脇はメダリオンでご覧になった獅子ですね。中央の円は太陽。これは法を表し、龍帝そのものを表すとも言われています。そこから下へ向かって伸びている放射状の線は、光なのですが、戦神の威光だとか意思だとか……そう解釈されていると伺っています。そして、龍帝従騎士団に叙された男性は、これを背中に彫られる」
「何のために?」
「危機に対して己が身可愛さに背中を向けて逃げること、龍帝の御意に反することは、あってはならないのだとか。生涯の忠誠の象徴ともいわれていますし、彫るときに痛みを伴うので、痛みで以ってその背中に、その身に、エーデルドラクセニアの全てを負っている、という責任を認識させるためだとも言われていますが、詳しいことは……」
「女はしない?」
「ええ。勅命でそのように」
「勅命?」
「龍帝が宣下され、方針として決められてしまって、覆りようがない決まりごとです。龍帝が行える、影響力がある絶対的な意思表示」
誰もがその言葉に従うということなら、嫌なことでも無理やりやらせる力があるのかもしれない、とロンフォールはない頭で想像する。
「龍帝従騎士団では、昨今、女性の騎士も増えているそうですが、全体で1、2割程度。騎士といえど彼女たちもいずれ子を産み育て、母親となることもある。であれば、どうやっても男性の守るべき対象に含まれますので、女性には彫らないのだそうです」
ふーん、と頷いて、ロンフォールは見えるわけではないとはわかりつつも、肩越しに背中を見た。
「それに、敵に捕縛されても、騎士ではないと誤魔化せますので、生存率もあがる。子供を生める女性は生きていて欲しい、というのが龍帝の御意思。生まれながら変えようがない性質がありますから、それを重視しているのだと思います」
子響はそこでお茶を一口飲む。
それに倣ってロンフォールも口に運び、揺れる水面を見つめた。
自分の背中にもその彫り物がある__らしい。今は痛みを伴わないのでわからないから実感はない。
彫られた当時は何を思っていたのだろう。とても誇らしく思っていたのか、守るべきものが明確になって嬉しくなっていたのか__。
「女といえば__」
「ん?」
口を離した湯飲みを覗く子響は、柔和な笑みをロンフォールに向けた。
「団長のリョンロート卿の御名のガブリエラ。これ、実は女名なんですよ」
「団長は女なのか?」
「いえ、男性です。__最初に聞いたとき、蓬莱出の私にはぴん、とこなかったのですが、可笑しいことのようで」
「珍しい?」
「昨今では、そのようで。導師が仰るに、子供にあえて女名をつけて、魔除けとする習慣が古来ではあったようです。種族を問わず。大抵は不便がでてくるので、戸籍上は別のちゃんとした名前のはずなのですが、リョンロート卿は違ったようです」
「変えたりはしない?」
「改名はできるはずですが、手続きが煩雑らしく……。もしかしたら、それがあるので、変えなかったのかもしれませんね。あるいは、そうしたことに、あまり頓着なさらない気性の方なのかもしれませんが」
子響がくつり、と笑うので、ロンフォールもつられて笑う。
「いろんな方がいらっしゃいますよ、騎士団は。__もし、入団試験を受けていたら、遭遇していたかもしれませんね、お互いに会場で」
明るく言い放つ子響は、お茶を一口すすった。
「……そして、合格していたら同期だったかもしれない方と、こうして話ができている。それに、本物の彫り物を拝見させていただいた。……なんとも妙な気分ですが、親近感を覚えます」
「なんとなく、俺もそう思う。心が温かくなるような……」
「そういう感覚を大事になさるといい。記憶を引き出す手助けになると思います」
胸元あたり、あたたかく解きほぐされるように感じる部分に手を添えて、うん、とロンフォールは笑って頷いた。
「__そっか、だから、いろいろ物知りなんだ、龍帝従騎士団のこととか」
「元々は、試験に臨むために蓄えた知識ですがね。今では、多くを調べて頭に叩き込んでおくことが、導師から求められているとおもいますので」
子響は言って、視線で壁際の机に並べられた本を示した。
「色々、遠慮なく聞いてください。どれがきっかけで、記憶が戻るかわかりませんから」
時間は限られている。生きている間に戻る保証もない。
とても不安だ。自分がこれまで辿ってきた何もかもに心当たりがない。
目の前で揺れる頼りない蝋燭の炎のように、不安定で消えてしまいそうなほどに。
それでも、この子響の親切さに報いるためにも、自分は努力を惜しんではならないのだ、と自覚した。




