蓬莱人の子響 Ⅰ
「……私は蓬莱で、導師にお会いしました。そこで拾って頂いたんです」
食器を下げて、湯飲みに改めてお茶を注ぎながら、子響は言う。遠い眼差しで、注ぐお茶を見る彼は、どこか憂いを帯びているようにロンフォールには見えた。
「蓬莱にもケルビムはいる?」
「いましたが、数の上では人間族が多かったですね。むしろ、遭遇することさえ稀でした。蓬莱人には、片翼族は畏れの対象でしたね」
「どうやって知り合ったんだ?」
「当時、私は家を捨て、エーデルドラクセニア帝国へ行こうとしておりました」
「この国へ?」
はい、と答え子響は湯のみに口をつける。
「__実は、龍帝従騎士団への入団を希望していた口なんです」
「えぇ?!」
驚きの声に対し、子響は照れたような笑いを浮かべた。
「龍を駆る、世界に誇る少数精鋭部隊ですよ。一騎当千とまではいかないまでも、一騎当百といっても過言ではない。憧れていました。他国民にも一応、門戸は開かれていますが、なかなか難しいもので」
「ちょっと待ってくれ……龍を……駆る?」
「龍に乗るんですよ、龍帝従騎士団は。えぇっと確か__」
席を立った子響は壁の机に向かい、本を物色すると一冊を手にとって戻ってきた。
「これです」
慣れた手付きで迷いなく開かれた項には、白黒の絵があった。
蜥蜴のような見た目だが、後ろ足が力強く発達し、前後の足の蹴爪も鋭い。蝙蝠のような翼を有し、背の上のほう__長い首の付け根あたりに鞍が乗せられている。
「これが龍……」
「龍帝従騎士団の龍は、腹が黒で背が白の種類ですね」
「俺も乗っていたんだ」
「そのはずです。__龍族は人間族よりも10の種族の中では上位。にもかかわらず、龍帝の威光により、従順に使役されている」
「どうしてそんなことが?」
開いていた龍の項にしおり代わりに指を挟み、彼は項を遡る。かなり序盤の項を開き、示した。
迷わぬそのめくり方は、彼がどれほどこの本を読みこんでいるかを教えてくれる。
「このお方の御威光__こちらが、龍帝です」
彼が開いた項は見開きの絵__龍にまたがり、二振りの剣を握る男の絵である。
筋骨たくましい男だが、顔は龍の面で覆ってしまっていてわからない。
「憚るので、龍帝は顔を常に面で隠しているとか。龍帝は、戦神の生まれ変わりなのだそうです。在位は、400年以上」
「400年……それはヒトでは普通?」
「ヒトのなかでも種族によります。龍帝の場合、お生まれは人間と獣人の子です。せいぜいよくて200年生きられる程度。人間は100になれるのでさえ稀なのです。獣人はその倍ぐらい。龍帝は即位なさった頃にヒトでなくなりましたので」
「……どういうこと?」
「その御身に、神を降ろしておられるのです。神と等しいのですよ。内乱が続き、それを平定するため、危険を承知で儀式に臨まれ、神を降ろして神と同化された。それができるのは、生まれ変わりでなければならないので、生まれ変わりなのだそうです。__ヒトとしては死んで生まれ変わる、とも称しますが」
合点がいかないロンフォールは、腕を組んで首を傾げる。
その様子に、子響は苦笑した。
「戦神は戦を司ります。この世のあらゆる戦を」
「神っていうのは、10の種族のひとつ?」
「ええ。ただ、不可知の存在で、特異な事象を司る傾向があります。10の種族の中では、別格も別格です。他の種族を否応なく巻き込みますから」
「事象……」
「出来事、ですかね。戦神なら戦、水神なら水といった具合です。その戦神は、深紅の龍を僕とし、在りし日には駆っていました」
「在りし日?」
「神代とよばれる、はるか昔の__神話の時代です」
「ずっと昔?」
「ええ。気が遠くなるほど。現実味がないほどの過去。神々が肉体を有し、この世界に現れていた時代とされています」
子響は再び席を立ち、別の本を持ってきた。今度は表紙を見せるように、テーブルに立てて表題を示すに留まる。
かなり年季の入った本であるのだけは、ロンフォールにでもわかる代物だ。
「脚色もされていると思いますよ、当時のことは。生き証人などおりませんので。ですので、当時を記したものは、種族によって少なからず差異があります。見解の相違、ですかね」
「じゃあ、いくつもある?」
「はい。事実はひとつですが。それに、代表的な出来事は変わりません。たとえば、戦神の駆っていた龍の名がヌアザという点」
「ヌアザ__これ?」
龍帝がまたがった龍を示すと、子響は頷いた。
「はい。この世にたった1頭の孤高の龍。龍族のなかには格があり、ヌアザは上級龍にあたります。上級龍には格下の眷属がいて、龍帝従騎士団はヌアザの眷属を御している形なのでしょう」
へぇ、と言ってロンフォールは、子響の指のところに自分のを差し込みつつ本を受け取って、最初に見た龍と項をいったりきたりしながらよく見比べた。
「日輪の神__太陽のことですが、その炎からヌアザは生じた、と言われています。ヌアザの鱗は赤いのですが、その赤も太陽の炎から生じたからという説と、戦で流された血で染まったからという説があります」
「龍騎士の龍より、ヌアザのほうが鱗が硬そう」
「おそらく硬いはずです。それに、この目でヌアザを見たことがないのですが、大きいとは伝えられていますね」
「龍って何を食べるんだ?」
「種類によって違いますが、たいていは肉です。大きいからたくさん食べそうですが、そんなにいらないんだそうですよ。龍帝従騎士の龍だと、確か、1週間で掌大の肉でも生きていられるとか」
さきほど、自分が食べた食事の量を思い出しつつ、自分の掌をみる。
「__俺たちよりも少ないんだ」
「ええ。体の大きさに比例して食べる量が増えるようであれば、もうこの地上の全てが食べつくされていますよ」
それもそうだ、と龍帝従騎士の龍の項へ再び視線をおとした。
絵を吟味していると、子響が尋ねる。
「つかぬことを、お尋ねしますが__文字は読めますか?」
文字、と復唱しながら、入り組んだ黒い筋の列を示すロンフォール。規則性があるのか、同じ模様が繰り返されているところがある。
「これのこと?」
「はい。読めますか?」
見たことはある。だが__。
「……読めない」
そうですか、と子響は言いながら、視線を落とし顎に手を添える。
「この国の言葉は喋れるが、文字は読めない……」
ぽつり、と呟かれた言葉に、不安な表情を向ける。それを受けた子響は、苦笑を浮かべた。
「いや、本を読んで思い出すかも、と淡い期待を抱いていたもので。他にも本がありますから。__別の手を考えます」
ロンフォールは、うん、と頷くしかなかった。
「そう不安召されずに。悪いようには致しません」
明るく笑む子鏡に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、その視線から逃れるように、もう一度さきほどの項へ視線を落とす。そこで気づいたが、龍の足元に小さい生き物が描かれている。
「あれ、この小さいのは?」
「ああ、これも龍です。各班の長が1羽連れているものです。他の班との連絡手段に使っている龍。たぶん、ロンフォール殿も肩にいつもいたはずですよ」
「肩?」
「大きさは猫ほどで__あ、猫はわかります?」
子響は別の本を取り出して、ロンフォールの前に出す。
「この中にいるのですが……どれかはわかりますか?」
受け取って、記憶の片隅にあることを期待して、項をめくっていくロンフォール。
さまざまな生き物が描かれている本。そのうちの1項に、ぴん、ときたものを感じ、指し示す。
「……あ、これ?」
自信はなかったが、子響は驚きながらも、嬉々とした顔で頷いた。
「そうです。単語は、実物等を見れば、わかるものもあるのでしょう。これなら、やり方を本当に工夫すればあるいは__」
覚えていた事実に、安堵と同時に嬉しい。
自分のことのように、当人よりも嬉しそうにしている子響。ロンフォールは思わず笑ってしまう。
その笑いに、本題から反れていたことを思い出し、話を戻す。
「あ……で、すみません。この龍は、猫のように体が柔らかいんです。連絡をとれるよういつも傍にいなければならないので、尾花のように豊かな尾を首に巻きつけて掴まったり、猫のような爪で肩に掴まってぶら下がったりしているようですが……。同じ武人として、獣を肩にのせてよく戦えるな、と思いますよ。やはりいくらか邪魔ですからね」
武人、と繰り返して呟くと、子響は頷いた。
「武器を持って戦う人のことです。__目指していた、と申し上げたでしょう? 龍帝従騎士団には、16で入団試験を受験できます。教養はもちろん、技も試される試験です」
「16歳で……__そういえば、どうして俺の年齢わかったんだ?」
「ロンフォール・レーヴェンベルガーという人物は、それなりに有名人ですから。片翼族でありながら16で入団し、それから順調に昇格しておられますので、数えれば24だとわかります。お生まれの日までは承知しておりませんが」
「子響はいくつ?」
「同じ24です。リュング殿は20で、スレイシュは16になったばかりですね。年齢こそ私は若いですが、この里では、もっとも年上です。導師も同い年なので」
「でも、導師は長生きできるんだろ?」
「……ほぼ、永遠ですね」
「そうか……」
この里の導師は、やはり別格なのだ。




