岩窟 Ⅱ
席につくと、子響が徐に皿の上にあった拳2つ分ほどの塊を手にとった。
「失礼な質問かもしれませんが、確認させてください。__これは何かお解かりで?」
示されたそれは、ロンフォールにも子響の皿の上にそれぞれあるもの。粉を吹いたその塊は、土よりも明るい色味。
「いや……」
「パンです。こちらは主菜で、今夜の肉は鹿ですね。こちらは野菜の汁物。ロンフォール殿の使うこれは、肉叉__フォーク。こちらの丸いほうが匙__スプーンです」
そして、といいながら子響は自分の前にある細長い棒を手にとった。
「__箸、という蓬莱の独特の食器です。肉叉や匙と同じで、これで食事を口に運びます」
器用に主菜の肉を2本の細い棒で挟んでみせ、それを口に持っていく彼。
「名前は言われれば、何となく……あぁ、そうだったかも、って感じにわかるっていうか、納得できるような……」
それならよかった、と笑う彼は箸で別の食材を抓む。
「__単語は記憶にあるのかもしれませんね。何を意味するとか、どう使うとか、そうした発展した部分へは繋げにくいのかもしれません」
「かなぁ……確かに、着ていたのが制服っていうことはわかったし__あ、そういえば、子響の服だけ他のみんなと違うんだ?」
蓬莱、という言葉に関係するのかもしれない。
そう思って質問を投げかけると、彼は頷いて租借していた肉を飲み込んだ。
「食べながらでも話はできますから、どうぞ召し上がってください。疑問があればお答えします。冷めてしまいますよ。そうなるとおいしさは半減してしまうもの」
冗談めかして促されて、ロンフォールは肉叉を手に取り、柄を握る。するとすかさず子響がその肉叉の持ち方を整えてくれた。
「それをそのまま突き立てる感じです。勢いよくしなくても、突けますからね」
ありがとう、と礼を言って、鹿肉へ肉叉を静かに突き立てて口へ運ぶと、旨味がじんわりと口いっぱいに広がった。
「おいしい」
ぽつり、と呟いた言葉は思わず出ていた言葉だ。
それに子響は笑い、次いでにパンを千切って口へ運ぶ。ロンフォールもそれに続いた。
パンは粉っぽく、歯ごたえがあり、口の中の水気を吸うのか、飲み込むのに難儀する。
「それで……ああ、私の成りのことですね」
「ああ。リュングやスレイシュ、ワグナス、サミジーナは似たような感じだったけど、子響だけ違うから……。もしかしたら蓬莱っていうのに関係ある?」
「ありますね。私ももちろん、彼らと同じケルビムの民族衣装を着てもいいのですが、なんというか……憚られる気がするので」
子響は再び箸を手にとり、汁物の器を口に運ぶ。ロンフォールもそれに続こうとするが、子響が止めに入った。
「私の食べ方は箸での食べ方ですから、少し違う部分が。貴方は匙ですくって一口ずつ。ただし啜らないようにして召し上がってください」
言われたとおり実行してみるが、口に運ぶまでに匙から汁が零れてしまう。それを手近にあった布で拭い、子響は苦笑した。
「ごめん……」
「いえ、私が悪かったのですよ。不慣れなのを失念していて……。まあ、細かく言いましたが、ここは会食の場ではありませんから、どうぞ器に口をつけて召し上がってください。__蓬莱でも、汁物は椀に口をつけますし、そういう流儀でいきましょうか」
冗談めかして言う子響に、うん、と頷いて子響のように器を持って口に運んだ。
そして、ふと思い至る。
「……本当に、何にも知らないんだな……俺……」
ひとりごちて出た言葉だったが、それに子響は、いいえ、と答えた。
「__覚えていないだけです。導師もお力添えしてくださるでしょうから」
「でも、俺は__」
「その導師を怪我させたんだ__ですか?」
言いさした先を察した子響が言い当てるので、思わず言葉を飲み込んだ。
「不安ですね。いかほどの不安かまでは計りかねますが、不安でいらっしゃるのは、承知しているつもりです。ですが、その導師が連れて来いと仰られたからには、野暮なことはいたしませんでしょう。それに貴方は、言葉は失っていないですし、考えるということも忘れていない。__望みはあります」
「その導師は、今どうしてる? 会えるのか?」
深手を負わせたのが自分であるにも関わらず、導師という人は招き入れてくれた。
お礼を言いたいが、それ以上に謝りたかった。謝罪して過去が消せるわけではないが、とにかく、そうしなければならないという気持ちでいっぱいなのだ。
切実なものを感じ取ったのか、子響は、口元に持って行きかけていた千切ったパンを、静かに皿に戻した。
そして、やや小さく言う。
「深手を負われて意識を失いましたが、ここに戻ってきてから目を覚まされました。そして名代をリュング殿と指名なさった際、さらにこう仰られた」
すっと目を細め、テーブルで揺れる蝋燭を見やる子響の表情は、揺れる柔らかな光でできる複雑な影がかかっているように、ロンフォールには見えた。
「__大きな白い犬とその主たる片破の同胞の男が現れる。犬の導きに従え。我らの希望となる、と」
「……希望……」
記憶のない自分が、どんな希望になるというのか。
「その言葉を残し、再び眠りに入られてしまった」
「今も寝たまま?」
ええ、と彼は頷く。
「__ですが、いずれ目覚めます。大丈夫ですよ」
安心させるように、子響は笑んで見せた。
「それから……そう、およそ2週間後の今日、狩った鹿を作法に従ってさばいていた私とリュング殿とスレイシュの元に、シーザーが現れ__という感じです」
子響はシーザーをみやる。
彼はいつの間にか食べ終わっていたようで、再び床に伏せていたのだが、子響の視線を感じて目を開けた。
「現れたとき、とても神々しくて……言葉を失って魅入ってしまいました。それに、こちらが動くことさえ、許しがなければできないような感覚に襲われて、只者ではない、と思いましたよ、この犬は」
「そう……」
彼の言いたいことはなんとなくわかる。近寄りがたい雰囲気があるのは確かだ。
「ケルビムは蓬莱と似た文化があって、万物に神が宿るという考えがあります。それは生きとし生けるものはもちろんのこと、そこらへんの石ころに始まり、空や大地……この世にある全てには、神が宿る、あるいは神そのものであり、あるいはいずれ宿るだろう、という考えですね。__この犬もそうしたものなのではないか、と思いました。不思議と畏敬の念を抱かせる、とでも言いましょうか……」
うまく説明できませんが、と彼は苦笑を浮かべた。
「__なんとなく、導師に似ているものを感じました。シーザーにも導師にも、喜ばれないかもしれませんね、こう言っては」
「導師に拾われた、って言っていたし……子響はどうして人間なのに、ケルビムといっしょにいるんだ?」
問いかけに子響は動きを止めた。
やや間をおいて、彼はくつり、と笑う。
「……さっきは、ああ言いましたが、先に食事を済ましてしまいましょうか。今の流れでは、難しく思わず手を止めてしまいそうな話が多くなりそうです。喋ってばかりで、食事は全然進みませんでしょうし、冷めてしまうのはもったいないですから」
「あ、うん……わかった」
「もちろん、談笑ならいくらでも」
子響が促すように柔らかく笑んでから箸を進めるのに倣って、ロンフォールも手をつけ始めた。
ロンフォールは食器の扱いに気を取られてばかりで気づいてはいなかったが、子響はわずかばかり表情に影を落としながら箸を進めるのであった。




