止まりと動き
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんの住むところでは、どれくらいまだ緑が残っているかしら?
いや、さすがの私でも、冬になったら葉も花もすべて枯れて殺風景になってしまう、なんて考えちゃいないわよ。ただ、あなたがどれだけ冬を感じているか、知りたかっただけ。
もうさ、私たちくらいの歳になると、一年という時間がそこまで重くなくなるじゃない。だって生きてきた時間の、何十分の一程度に過ぎなくなるんですもの。
感慨は冷え切ってしまうわ。以前ははしゃぎながら迎えていた季節の変化も、ネタが分かれば着古した衣服を取り換えるくらいの認識しか持てない。
昔の人が季節を問わず詩歌をたしなんでいた理由のひとつも、ここにあったのかもね。ややもすると飽きさえ生まれかねない時間のすき間で、常に己が感性と神経を張り巡らせる。心がみずみずしくあるよう努める、養生法だったのかも。
でもね、とある時間にしがみつきたいと感じるのもまた、生きる人の気持ちなのかも。そんな時間の固定を試みた人の昔話を、最近仕入れたのよ。良かったら聞いてみない?
むかしむかし。今と同じように、肌寒い風が吹く日。とある小さな村を奇妙で極悪な病が襲ったわ。
一番の特徴が発症から死亡までの時間が、あまりに早いこと。初期の症状が咳と軽い頭痛に始まり、ちょっと腰を下ろして休もうとしたとたん、こてんと横倒しになり、動かなくなってしまう。
「眠りこけたのかな?」と近くにいた人が寄ってみると、すでに倒れた相手は息をしていなかったらしいの。すぐに気つけや蘇生の手立てが取られたけれど、そのいずれも効果を見せず。それどころか、治療にかかわった者にすら同じ症状が現れるという、強い感染力も持っていた。
感染者が媒介者となり、加速度的に被害を拡大していくこの病が、100人前後の村中を席巻するのに、半刻もかからなかった。その中でただひとり、被害を免れた幼い少女がいたのよ。
彼女はその日、身体が熱っぽくて、家から一歩も出なかったみたい。件の病気が姿を現わした時には、布団代わりのわらを被ったまま這いずり、囲炉裏のそばで今朝がたに親が作ってくれた、おじやをすすっている最中だったとか。
外が件の症状でざわつき出した時、彼女は様子を見ようとしたけれど、奥まった囲炉裏から玄関まで行くのはいささか辛い。
代わりに近くの格子がはまった窓へ向かい、半ばぶら下るような格好で、外を覗き見ていたの。そこで先のような、奇怪な連鎖反応を確認する。あれに近づく危険性を知るには十分すぎた。
彼女の両親はどちらも家を空けていたけれど、この急場を前に、戻ってくる気配を見せない。娘にこの伝染をさせまいと考えているのか、それともすでに……。
彼女は思い切ってわらの中から身体を起こし、長めの薪を杖代わりにして、そっと家の外へ出て見たの。
そこには地面に横たわる、何人もの村人たちの姿があったわ。
様々な病気に見られるような吐血、皮膚の変色といった症状はなく、ただ眠っているのみと聞かされても信じてしまえそうなくらい、きれいな顔と身体を保っていた。
彼女は親の姿を求めて村中を歩き回り、やがて田んぼのあぜ道の端で、突っ伏している両親の姿を見る。父に母が折り重なって倒れているのを見るに、先に父が倒れ、それを助けようとした母も病の毒牙にかかってしまった、といったところと思われたわ。
もちろん、あの病気に自分がかかってしまう恐れはある。でも、このままひとりでいるくらいなら、いっそ自分も同じ状態になってしまいたい。そう思うと、ためらいが一気になくなった。
幼子ひとりの腕の力だけでは、彼らを引っ張っていくのは難しい。彼女は家から持ってきた台車に二人を乗せる。引っ張っていった家の板の間に寝かせると、普段寝る時と同じように、わらの布団を二人にかけたの。
彼女は一応、死の概念については知っている。どれほど大切な相手であろうと、必ずお別れを告げねばいけない時なのだと。直前まで誰かと一緒にいようとも、自分ひとりで誰とも接することのできない場所へ、旅立たねばいけないことなのだと。
そのような理屈は知っていても、理解はそれに及ばない。まだ今朝がたのおじやが残っているというのに、それを作ってくれた親が遠くへ行ってしまうなんて、信じられなかったの。
ゆえに彼女は二人を寝かせても、その顔へ白い布を被せるような真似はしなかった。
二人がいつ起きても問題ないように、身辺を整えておかなくちゃいけない。彼女はそう考えたらしいのだけど、行動は少し突飛な方へ移っていってしまったの。
初め彼女は、家の中を掃除したり、両親の身体を濡れた布で拭いたりして、美化に努めていたわ。二人が起きた時、不安に思われないようにするためだったけど、彼女以外は待ってくれない。
まずおじやが傷んだ。何日も鍋に入れたまま残っていたから、すえた臭いが漂うようになってくる。
彼女はそれを捨てると、自分で代わりのおじやを作り始めたの。捨てる前と変わらぬ量と色合いを持つものを、鍋の中へ。そして全く口にしなかったの。
次に自分の髪。心労ゆえか、幼い彼女の黒髪の中には、早くも白いものがちらほら混じり出した。彼女はそれを片っ端から抜きにかかるけど、それだけで終わらなかったの。
彼女は家の外へと繰り出す。そこにはあの日と変わらない、倒れ伏した人たちの姿がある。彼女が各々の家の中から引っ張り出したゴザにくるんであるものの、彼女自身は両親と同じく、彼らが死んだとは思っていない。彼らはいまだきれいな肌を保ち、身体も暖かいままだったから。
彼らのうち、長い髪を持つ女性の前にくると、彼女は座り込んで手を合わせる。そして抜いた自分の髪の本数分、女性の髪を抜いていくの。
そののち、家で抜いた白髪と長さを照らし合わせて、等しくなるように小刀で切る。そして自分の頭皮にのりで直接くっつけ、あたかも髪が抜けていないかのように装うの。
彼女は幼心に、時が進んでいる事実を拒み続けたのね。
汚れていくもの、失われていくもの。これらをすべて補填し、元通りになるよう仕向けてきた。自分の家で足りないものは、他人が持っているものを奪い続けて。
そんな彼女の気持ちを汲んでいるのか、もう何日過ぎたかもわからないのに、寒さは一向に退く気配を見せなかった。両親を含めた村の人たちもまた、身体を腐らせることなく、目をつむり続けていたとか。
彼女だけが変わり続けていた。髪の毛はもちろん、まとう服は傷む上に、皮膚にべっとりと張り付く。無理やり引きはがすと、脂と一緒に表面が剥けて血が流れ出してしまうの。
そのたび、彼女はその部分を取り換え続けた。服から皮、血に至るまで、伏した村人たちから少しずつ、少しずつ。これまででお世話にならなかった人など、この村にはいなかった。
そんなある日。シャンシャンと鈴の音を鳴らしながら、村へ近づいてくる行列があった。村の者たちが倒れてから久しくなかった来訪者に、彼女はまた家の窓からそっと覗き見てみる。
家々の間を縫って歩いてくるのは、笠を被り、法衣をまとって錫杖をついた、僧侶然としたたたずまい人影だった。その後ろには馬がつける鞍をかけられた牛たちが続く。先頭を行く僧侶が握る一本のひもに牽かれているのだけど、それが十頭にも及ぶ。
彼はゴザに巻かれた村人たちの前で足を止めると、少し顔を見やった後、ひょいと錫杖の先へその身体を引っかけ、馬に乗せていく。前の牛ほど年若く、後の牛ほど年老いた者が乗るように調整されるこの行列は、やがて彼女の家の前まで来た。
玄関から顔をのぞかせた僧は、草履を履いたままずかずかと板の間へ上がってくる。息を呑み、声を掛けられずにいる彼女の前で、僧侶は彼女の両親も同じように錫杖へ引っ掛けんとする。
彼女は声にならない叫びをあげながら、その行いを止めようとしたけど、僧侶ににらまれてびくりと身体を震わせた。爛々と金色に光る瞳を持つ僧侶は、「お前は連れていけぬ」とつまらなそうにつぶやき、器用に錫杖へ二人の身体を引っかける。
「お前、もはやお前そのものではないな。違うというなら己が名を告げてみよ」
少女は答えられなかったわ。読み書きを知らず、誰一人自分を呼ぶことがなくなったこの場所で、名は意味を成さないものだった。記憶の端にもかからない。
「わしが連れていくのは、自分であったもののみ。お前は連れていけぬ」
そう告げて玄関から僧侶が出ていったとたん、彼女の目の前の景色は一変した。
先ほどまで自分を囲っていた家の床も壁もなく、彼女が座り込んでいたのは、土がむき出しとなった荒れ地の真ん中だったの。囲炉裏は地面に掘った穴、鍋も中身のおじやも粘り気のある土の塊に過ぎなかったとか。
村は跡形もなく消え去っていたの。
それからあてもなくさまよった時の彼女は、しわも白髪も多い老婆のごとき容姿だったそうよ。けれど不思議と腹は減らず、乞食になって憐れみを乞う必要はなかった。
その代わり、身体中は常に痛みに苛まれる。それと同時に、自分がむしりとってきた髪を初めとするものが次々と抜け落ちていく。途中、何度か立つことができる行き倒れかけたけど、そのたび、心ある誰かに助けられ、死ぬことは叶わなかった。そのたび、彼女はこの不思議な話を語り続け、やがては行方が分からなくなってしまったとか。
ただこの話を聞いた人たちの間では、奇妙なことが発覚したわ。彼女に出会った日が遅い人ほど、彼女の容姿は若いものであったことがね。最後に出会ったという人によれば、年端もいかない少女が相手だったとか。
偶然、同じ話を知っていた女性がたくさんいた可能性も、否定はできない。でも話を聞いた彼らは、彼女が長年奪ってきたものが時間と共に返されていったこと。その返却が完全に成され、自分を取り戻した時、彼女はあるべき場所へいったのだろうことを、感じていたそうよ。




