妖怪ウォッチみたいな夢
「お前は、妖怪のゲームが始まることを承諾するか?」
「しよう」
ぼやけた白い世界。
幸せ。安心。平穏。
妖怪のーーそんな。楽しそうーー現実。起こるーー面白い。
きっと楽しいーー。
はあ、と意識を取り戻した。くすんだまぶたを擦りながら、夢の余韻にひたり、乾いた口をあける。
どんな内容だったかは忘れてしまったけれど、なんだか良い気分で、きっと夢の中で良い思いをしたに違いない。
1日が楽しい気分ではじめられる、この僥倖に感謝することは無いが、どれほど僕の助けになるだろう。
僕はまた布団に倒れこんで、毛布を手繰り寄せた。もう少しこの気持ちいいのを感じていたい。きっと母さんが起こしにくるから、それまでは夢のなかにいたい。
案の定、母さんが階下から怒る声がして身体を起こした。最初は父さんが起きろと呼んでいたが、起きるにはまだ早いと思った。父さんは短気だから。そしたら部屋まで来て毛布をひっぺがした。寒かった。だけどそれくらいで起きる気にはならない。寝られるなら寝ていたい。心地いいのは貴重なものなのだ。そうしたら、今、母さんが「もう、遅れたらどうするの」とキレ気味で言うので、これ以上寝ていたら口も聞かれなくなるくらいに鬱憤をためられると思い、身体を起こした。温和な人が怒るまで、僕は自分が怠惰であるかどうか分からないのだ。
髪がぼさぼさのまま車に乗り込むと、今日はあーちゃんの家でご飯会をするという話を聞いた。あーちゃんというのは母さんのお母さんのことだ。おばあちゃんと言われるのが嫌であーちゃんと覚えさせたと聞かされて、昔は何が嫌なんだろうと思ったが、今思うと笑えてくる。
祖父の家に着くと、じいちゃんとあーちゃんがいた。それと僕の家族だけだった。しけた食事会だこと。
祖父の家の少し離れたところに母さんの妹の家があるのだが、その家族でも来ていたら、一回り離れた子供だけど遊べて少しは楽しかったのに。
それでも呼ぼうとは言わなかった。うるさい三人兄妹が来るのは、それはそれで倦怠な気分にもなる。なにしろトントンだ。
縁側の横で七輪で秋刀魚を、父さんとじいちゃんが焼いていた。なんだか、やけにじいちゃんと父さんの歳が若く見える。アルバムの中に入ったみたいに視界が色あせて虫の音が聞こえてくる。
そんな情景がいつの間にか時間の過去の方に遠のいてしまったと思ったら、近くで「地震かしら?」と口々に母さん達が言っているのが聞こえる。
背中の方に衝撃が走る。ドン。ドン。ドン。地震というより太鼓でも叩いているようだ。規則正しいリズムで地響きがなる。横になった身体が縁側の方へ引き込まれていく。
ここで僕は眠ってしまっていたことに気付いて目が醒める。なんだ夢かと目を開けたのに、周りはすでに日が暮れて黄金色の光が縁側から差し込んでいる。それで。ドン。ドン。ドン。
大きな地響きなり続けていた。
夢心地で頭にもやがかかって、これが夢なのか現実なのかも分からない。でもたしかに先ほどまで僕が眠っていたのは確かなように思った。母さん達は周りに居て心配そうに家を見ている。僕のことは見ていない。
けれど地震より家より、異様な事象が起こっていることは僕しか知らなかった。
僕はよろめきながら家具に窓につかまる。けれど身体がまるで渦潮に飲み込まれるみたいに外に引き寄せられるのだ。
ついに足が外に出た。連れて行かれる。僕は必死に窓を掴んで抵抗した。正体のわからない何かに連れて行かれる。恐怖の予兆が歩み寄っているような焦燥感が僕にはあった。父親達はなにも知らない。僕の異変にも気づかないで呑気に地響きを不思議がっている。もしかしたら、僕が連れて行かれようとしているのはごく自然のことなのかもしれない。あるいは僕の存在は消えて無くなってしまったのでは無いかと思えた。
そしてそいつは来た。
まさに神出鬼没のように、気付いたら父親の横にいた。黒くて筋骨隆々な一目で人間では無いとわかる。それは鬼である。誰の説明もなく分かった。そして、これから起こるであろう恐ろしい顛末の見通しが針の穴に糸を通す時のように、すっと頭を通過した。
それからは僕は大人しかった。借りてきた猫のように黒鬼に掴まれると何処かへ連れて行かれた。
それは田んぼと田んぼの間に設置してあった。電話ボックスのようなものと、アミューズメントパークにありそうな赤と青のオブジェ。そして、仮設のテントと背もたれのないベンチが設置してあった。
僕は、テントの方へ行けと鬼に促されベンチへと座った。
そこには先に男が2人座っていた。くたびれたような男で不気味だった。僕はその男達の後ろのベンチに座った。
僕らはこれから鬼に追いかけられて殺されるんだと、僕には分かった。誰にも説明されていないけど、何故か妙な確信があった。
誰かが説明でもしてくれたら、確信が事実に変わるのに。
「どうもはじめまして。」
僕は横を見る。見るからに紳士のような感じのいい、ナナフシのように細くて長い身体をした男が笑顔でこちらを見ていた。スーツの上に交通誘導の警備員のような蛍光するベストを着た変な格好をした妖怪だった。人ではないとなんとなく確かに分かった。
「今回は非常にお気の毒様です。あなたはこれから強靭で最強で最凶で非情な赤鬼様から逃げなければいけないのです」
想像の域を綺麗にかたどってご丁寧に贈呈してくれたように、知っていたことを2度聞かされたように聞かされた。
「トイレに行ってきます」
僕は立ち上がり場所も聞かずにテントの奥の方へ行った。顔色の悪い僕がトイレに行こうというのを誰も疑いはしなかっただろう。
そして。そのまま僕は田んぼを横断して逃げ出した。
殺される。逃げられない。権利を主張して抗議も出来ない。だって、僕は確かに契約してしまったから。
身に覚えがないなんて今更言えない。だって身に覚えがあるのだから。相手は妖怪なんだ。嘘なんてすぐに見破られる、下手をしたらその場で殺される。
途方に暮れて、人生に絶望した。鬼に連れられた時から日は落ちて、もうあたりは暗くなっている。街の灯りでかろうじて足下は見える。
水の入っていない、ボコボコとした柔らかい田園の土の上を歩いていた時、広報のスピーカーが鳴った。
《……安藤照史君と中村莉緒君が、まだ来ていません。最後の到着になりませんよう、気をつけて下さい……》
最後に到着した人にはきっと絶対ペナルティがある。それで最初に殺される…。
それに、照史も参加しているのか。照史は僕の母さんの妹の子の長男である。
この時、僕は酷い絶望の中で、微かな希望を抱いた。
照史はまだ中学生だ。もしかしたらまだこの状況を理解していないかもしれない。そうでなくても恐怖を抱えているはずだから、そこに来ることは出来ない簡単に出来ない。今から走れば僕が先に着く。
この思考は放送が流れてから、たった5秒のことだった。
僕は走った。靴と足が泥まみれになることも気にせずに、1秒でも早く着くために血眼で走った。頭の中は真っ白だった。
仮設テントに着いた時、そこには冷静沈着な顔でこちらを見ている照史がいた。
僕は計り間違ったのだと思った。子供だと思っていた照史は僕が思うより大人で、逆境に強く、理解力に長けていた。
観念した。僕が殺されるのだな。
みんなはテントの中に入っていく。僕はさっき座っていたベンチに腰を下ろした。
さっきの背の高い妖怪が横に座る。
「これからあなたは赤鬼様に会って質問に答えなければいけません。そして…おそらくその場で戦うことになるでしょう……」
その先は言わずもがなだった。
「おまえは一緒に戦ってくれないのか?」
藁をも掴むつもりで懇願するように聞いた。
「私は妖怪ではなく、幽霊です。戦うこともできません」
「そうか…。戦うって、僕は拳で戦うのか?」
「はい、そうです」
死ぬなということは、当たり前すぎて言わなかった。
「じゃあ、おまえも僕についていてくれないか?」
「ええ、一緒にいます」
僕は思いの外優しいその幽霊に心を開いた。
「もうすぐ呼ばれます」
僕はその幽霊の手を握り、幽霊に案内されながらオブジェへ登った。
これから僕は巨大な鬼に正々堂々殴りかかって殺される。間違えても恐怖で逃げ出すなんてことをするのはやめようと思った。どうせ死ぬんだ、かっこ悪い姿で死ぬのはごめんだ。死ぬ時は華々しく清々しく死んでやる。それが僕の芸術だった。
オブジェの扉の前で、僕は幽霊から手を離し部屋の中へ入った。
部屋には僕の何十倍もある腹の出た巨体な赤鬼と、その肩の横に憑く灰色の顔色をした亡霊みたいな鬼がいた。
赤鬼は大きな椅子に踏ん反り返って座って、その前には僕用の物なのか小さな椅子がある。
僕はそれに座らなかった。座れと言われる前に座ったら殺される気がしたからだ。まるで就職面接のようだった。
「なにしてる、座れ」
僕は言われて座った。
「おまえが最後か」
「はい」
赤鬼と灰色のみすぼらしい鬼がなにか、僕に問いかけてくる。はいかいいえで答えられるような問いだ。僕は特に考えることもなく、事実そのままを伝えるように答える。何か意味があったのかは分からないが、全ての答えははいだった。
「今、この男なにも答えませんでしたぞ!」
灰色の鬼が赤鬼に告げ口するように言った。おそらく平生からの声の小ささが原因であろうが、頭が回っていない僕は、確かに答えたとははっきり言うことは出来ないし、口答えをすればその場で殺されそうで、なにも出来ず口ごもった。
その時、部屋の扉が開いて、あの幽霊が部屋に入ってきて、僕の隣に座った。
僕は心強い安心感と人から受ける温かさを感じた。
「最後の質問だ。おまえの願いを1つだけ叶えてやる。なにがいい」
赤鬼が何か一枚の紙切れを持ちながら聞いた。
僕は、ここで命を助けてくださいと言ったらどうなるだろうというのを思いついたが、聞かれた瞬間に僕は今何を望んでいるのか、すぐに分かり、それ以外の答えを選ぼうとは思わなかった。
「ここにいる幽霊を、妖怪にしてやってください」
僕はこの幽霊が妖怪になりたがっているように思えた。それがこの幽霊にとって嬉しいことだと思った。そのことに何の疑いも持たなかった。何故なら僕らの心は通じ合っている気がしたから。
そして死ぬ時も、一緒に戦って欲しいと思った。
幽霊は僕に少し驚いたような嬉しそうな笑顔を向けてくれた。
「それでいいのか?」
「はい」
赤鬼は少し考えたように腕を組むと、
「出て行っていいぞ」
と言った。
僕と妖怪は抱き合った。よかったなと言って泣きあった。そして部屋から出て行った。