金縛りの正体
「少しじっとしててね」
佳恋は甘い声を漏らしながら、翠雨のもとへ徐々に近づいていく。
じりじりと迫ってくる彼女の姿に、翠雨は顔を曇らせる。
「ストーーーップ!」
愛しそうな目で翠雨に迫りくる佳恋を、真凛が横から手を差し込んで制止した。
「ああん、もー。なんで止めるの?」
佳恋が不満の声を漏らす。
「一回でもアウトだけど、二回目はさらにアウトだよ」
真凛は強い口調で訴えた。
「二回目……?」
佳恋はきょとんと首をかしげる。
「とぼけても無駄だよ。被害者が言ってるんだから」
真凛が振り向いて、翠雨に視線で「そうだよね」と合図を送る。それに対し翠雨は小さく頷いた。
「えっと、その子には今初めて会ったんだけど」
「何言ってるの? 私が呼びに来る前に一回しちゃったんでしょ?」
真凛は口調を強めて詰問する。しかし佳恋は全く物怖じせず、
「なんのこと?」
と、無垢な表情で問い返した。
真凛が首を傾げ翠雨へ視線を向けると、彼女は眉を寄せた。
真凛は佳恋の様子を見て、記憶が飛んでしまった可能性が高いと予想した。
「頭は打ってない?」
真凛が心配そうに問いかける。
「うーん。痛みはない」
「じゃあ頭は打ってないか。そうなると……突発的に記憶がなくなる病気とか?」
真凛は顎に手を当てて呟く。記憶障害が起こる病気を絞り出す。
「認知症、老化」
「え、まだ私十七なんだけど!」
「さすがにないか。佳恋は健康的な生活してるもんね」
不安がる佳恋を見ながら真凛は言った。翠雨は二人を珍しいものを見るような目で見ていた。
「病気じゃないとするならーー」
真凛は眼鏡の縁を持ち上げながら、翠雨の方を向く。
「君が何かしたとか?」
真凛は邪悪な笑みを浮かべながら、試すように翠雨に問いかける。
「えっ? 私は何もしてませんけど」
翠雨は戸惑いながら応えた。
「ほんとに?」
真凛はぐいぐいが迫ると、翠雨は後ずさりした。
「は、はい。ただ道を聞いただけです」
「ふーむ」
真凛は身を引いて腕を組み、再度黙考し始めた。
新入生の体が動かなくなり、キスをしたら佳恋が倒れた。
貧血かーーいや、健康体の佳恋が病気で倒れるというのは納得がいかない。
なら、キスの前に何かされたのではないか。何かの薬を飲まされたか、催眠術をかけられたか。
それとも、特殊能力を使ったのだろうか。催眠術系か混乱系の能力であれば、記憶が混乱する可能性は大いにある。そういった精神に干渉する能力なら、体が動かなくても使える場合もあるので不可能ではない。
彼女たちは今日が初対面だから、何の因縁もないはず。となれば、事前準備が必要なものは除外される。
考えられる仮説は、佳恋が迫ったことに危機感を覚えた彼女が特殊能力を使った。しかし、効果が発動するまでの秒数が足りず、接触するのを阻止できなかったといったところ。
もしくは、キスによって能力が発動した可能性は考えられないだろうか。唇や舌に触れる、もしくは唾液の摂取。
今まで読んできた資料に、そのような条件で発動する特殊能力はなかった。
他の動物はわからないが、ヒトに関しては間違いない。
おそらくは精神系の能力というのが本筋だが、もしかすると新発見があるかもしれない。
彼女が何の能力を持っているのか見定める必要がある。
♡♡♡
「君は何の特殊能力を持っているのかな?」
真凛の問いかけに、翠雨は困惑した。
「特殊能力? 何のことですか?」
「あれれ……。もしかして君も記憶喪失になっちゃった?」
真凛が慄く。翠雨は彼女の問いかけの意図が全く理解できなかった。
「いえ、記憶はちゃんとありますけど、その、特殊能力っていうのが何のことかわかりません」
「うーん、冗談で言ってるわけでもなさそうだね」
真凛は呆れたような表情で、ふうと息を吐いて、
「じゃ、少し説明してあげよう」
と言った。翠雨は小さな声で「はあ」と同調した。
「ヒトは一人一人、特殊能力を持って生まれてくる。しかし、最初から使えるわけではなく、主に15歳から16歳の間に覚醒して使うことができるようになる。
「そして、特殊能力は18歳までには消失する。思春期の間でのみ症状が現れる病のようなものだね」
真凛は端的に説明していくが、翠雨はおとぎ話に聞こえ、信憑性があるのか疑問を抱いた。
「能力にはさまざまなものがあって、大まかに肉体的なものと精神的なものの二つに分けられるわけだね」
真凜は指を二本立てる。
「肉体的なものは数えきれないわね。代表例でいうと、体の一部を硬化させたり、血の巡りを操作したり、傷の治りが速くできたり。
一方、精神的なものは数はそんなに多くないわ。相手に思念を送って、脳を誤認させるようなものが多いわね。催眠術っていえばわかりやすいかな。代表的なものは、道に迷わせたり、苦しみや痛みに敏感にさせたり」
真凛は特殊能力の例を次々と挙げていく。
「君は体が動かなくなったと言っていたけれど、もしかしたら佳恋が能力を使ったのかもしれない。どうなんだい?」
時より翠雨へ甘い視線を送っている佳恋を遮りつつ、真凛は問い詰める。
「覚えてない……。でも、さっきは使おうとしました」
佳恋はそう答えながら、翠雨にウインクをした。その様子に真凛ははぁとため息をついた。
「……まったく。去年のこと懲りてないんだね」
真凛は両手を広げて、完全に呆れた姿勢を取った。翠雨は会話を聞き、疑問の目を二人に向ける。
すると真凛は二人が見えるように横向きになった。
「この人、入学してすぐ他のクラスをまわって、可愛いなと思った子に片っ端からキスしてまわったんだよ」
真凛が呆れた声で説明する。翠雨の心臓がドキリと跳ねた。
日本では初対面の人にキスはしないが、海外では初対面の人に軽いキスをする人々がいると聞く。
もしかすると佳恋は、挨拶のつもりでキスをしたのかもしれない。
心のどこかで納得のいくように結論付けていた翠雨だが、真凛の話を聞いて考えが一変した。
「で、その時に能力を使ってたわけ。体を硬直させる能力『束縛』をね」
翠雨は内心激しく驚いた。実例を示されたことにより、空想と思っていた話が急に現実味を帯びてきたからだ。
「一人を対象として、約十秒の間、相手の体を拘束する。正確には体の神経を麻痺させる、だね」
真凛は佳恋の能力を詳細に説明していく。翠雨は話を信じてみようかと心変わりする。
「普通の場合、特殊能力は一日に一回が限度。無理に何度も使うと、体調がひどく悪化したり、効果が激減したりする。副作用には個人差があるね。体調がいい日に全くデメリットなしで複数回使える場合もあるし、普通の日の一回目なのに効果が薄いなんてこともある。彼女が問題を起こした日は最悪のケースだったわけだね」
そう言いながら、真凛は残念そうな顔で佳恋の方を見る。翠雨はそれを見て彼女の言わんとすることを察した。
「能力を濫用した結果、学校からの処分はなかったけど、大半の生徒は近寄らなくなってしまったわけだ」
真凛は佳恋の過去を包み隠さず話し終えた。翠雨は佳恋の様子をうかがうが、彼女は悪びれるどころか反対ににっこり笑った。翠雨は彼女が全く懲りていないのだと確信した。
「余計な事しなければ周りから近づいてきただろうに……」
真凛がぼやく。翠雨は佳恋の容姿を今一度確認し、その指摘に納得した。
「挨拶代わりだったんだけどな……」
佳恋のつぶやきに対し、真凛は
「挨拶の域を越えていなければ問題にならなかったでしょ!」
と鋭い口調で刺した。しかし佳恋は仏頂面で納得していない様子だ。
「それよりもさ、彼女の話を聞きたいな」
佳恋は話を逸らして、翠雨の方へ体を向けた。
「えっと、あなたのお名前は?」
「水樹翠雨です」
「みずきすう……、可愛い名前だね。クラスはどこ?」
佳恋が前のめりに質問する。その声はどこか甘ったるい。
「C組です」
気圧されながらも応える翠雨を見ながら、佳恋は嬉しそうに微笑んだ。
「どうして生物研究会に? もしかして入部希望!?」
佳恋は翠雨に再度問いかけると、期待するまなざしで彼女を見つめた。
「さっき説明してくれてたけど、聞いてなかったの?」
真凛が横から口を挟む。
「うーんと、頭がぼーっとしてたっていうか、ショートしてたっていうか」
「はぁ。校内で迷ってこの部屋にたどり着いたそうだよ」
頭を押さえる佳恋に対し、真凛はため息をつきながらも手短に説明する。
「えー!? じゃあ私たちが出会ったのって奇跡じゃない? あなたが運命の人ね!」
佳恋は目を見開いて手を合わせ、まるで白馬の王子様に出会ったお姫様のような振る舞いをした。
「部活はもう決めたの?」
「いえ、まだです」
「ほんと! なら生物研究会はどう? あなたなら大歓迎よ!」
佳恋は希望に満ちた表情を浮かべて翠雨を勧誘する。翠雨は返答を間違えたと後悔するが、時すでに遅し。
「ささ、この特等席へ。お菓子をお持ちします」
今度は従順な執事のように、瞬く間に机と椅子を移動し、隣の部屋からお菓子を抱えて出てくる。
「えっと、まだ猶予があるので、いろいろ見てから決めたいと思います」
興奮気味にお菓子を机の上に広げる佳恋に、翠雨は冷静に応えた。部活動決めの期間まであと二週間ほどあるので、即座に決める必要はないのだ。
「そっか。じゃー期待して待ってるね」
お菓子を選んでいた佳恋は手を止めて微笑んだ。
何かと理由をつけて入部させようとしてくるはずと予想していた翠雨は、思いのほか佳恋がすんなり退いたので拍子抜けしたが、同時に先の返答は間違っていなかったと安心した。
「あらま、もう遅い時間だ」
真凛は制服のポケットからスマートフォンを取り出して言った。
「話は戻るけど、これだけ長時間引き止めておいて案内図だけ渡すっていうのも野暮だよね」
真凛は腕を組みながら呟いた。
その様子に翠雨は目を光らせ、小刻みに何度もうなずいた。
日が沈みかけている中、地図だけを頼りに校舎から脱出することができるのか。
翠雨は自身に問いかけたが、返ってきた答えは全くもって心強いものではなかった。
「よし、昇降口まで案内してあげよう」
真凛は片手を握り、もう片方の手のひらをポンと叩いた。翠雨は内心歓喜した。
「あ、なら私が!」
佳恋が手を高く上げてその提案に食いついた。それに対し真凛は物怖じ一つせずに、
「あなたはここにいなさい」
と鋭い声音であしらった。
「えーなんで~? ずるい!」
佳恋が駄々をこねるが、真凛が「あんたは何するかわからないからダメ」と諫める。
その様子に翠雨は内心ホッとした。
「真凛だって、翠雨ちゃんと二人きりになったらどうなるかわかんないよ」
佳恋は挑戦的な態度で対抗する。翠雨はその発言を受けて咄嗟に真凛の顔色を伺う。
「私は大丈夫。断言できるよ。信じてもらえるかな?」
真凛はすました顔で応え、翠雨の方を見る。翠雨は彼女のこれまでの言動を思い出し、信頼できると判断して頷いた。すると佳恋は不満足げな顔をして、「じゃあ二人一緒ならいいでしょ」と呟く。
「往生際が悪いな。アンタはさっき倒れてるんだから安静にしといて。ついでに『02』の様子を見といてよ。それじゃあ行きましょうか」
「あっ、はい」
真凛は翠雨に声をかけると、素早く部屋から退出した。