ファーストキスの味は……?
恋愛物語のワンシーン。
見つめ合う男と女。
緊張で震える手。
男は女の肩を掴む。
女は目を閉じて、優しい口づけを待つ。
男は唾を飲み目を閉じ、そして、
唇が重なりあう。
唇を合わせた二人にもたらされるのは、
これまでの人生で一番の快感。
口づけによって、二人の愛はさらに深まる。
そして、顔を離した後も、その高揚感は続く。
唇は離れるけれど、彼らの想いは固く結びつく。
いつか恋をして、そんなロマンチックな体験をする時が来るのだろうか……。
♡♡♡
次の瞬間、彼女らの唇が触れ合った。
ひっそりと茂る木立のように穏やかで、そして鮮やかな口づけ。
マシュマロのように柔らかく、
新鮮な魚のようにハリのある、
瑞々しい二対の唇。
紺色の空に遠峰から一筋の白い光が差し、その景色が広大な青い海に映し出されるよう。
無限に広がる宇宙の中で、この上なく精緻で煌びやかな、
人類の極致を超え、筆舌尽くしがたい程に滑らかな唇の感触。
それから数秒間、翠雨の思考は目まぐるしいほどに加速していった。
万物の誕生から終わり。雄大な自然と宇宙の神秘。
機械でも処理しきれないほどのイメージが、翠雨の脳内を駆け巡った。
そして、唇がそっと離れる。翠雨の鼓動は激しかった。
ほんの数秒の間、翠雨は自分の身に何が起こったのかわからなかった。
しかし、ドサッと何かが倒れる音がして我に返る。
「いまのは、なんだったんだろう……。あれ?」
両手を握って開き、見えない束縛から解放されていることに気づく。
その目の前には、今しがた口付けをした女子生徒が横向きに倒れていた。
「えっと、あの……だ、大丈夫ですか?」
女子生徒の瞳には生気がない。魂を抜かれた人形のような彼女に、翠雨は恐る恐る近づいて様子を伺った。
声をかけてから十秒ほど、彼女はぐったりして動かずにいたが、しだいに瞳に光が灯り、
「私は何を……」
上体を起こして頭を抱えた。
「あの、大丈夫ですか?」
翠雨が声をかけるが、女子生徒には聞こえていないようで、反応は示さなかった。
座り込む女子生徒を見ながら、翠雨は考えた。
なぜ体が動けなくなったのか。両手両足、それから首回りが石のように固くなり動かなかった。
しかし顔の各パーツは動かすことができた。どうして顔だけ動かせたのか。
「記憶があいまいだわ……」
女子生徒が弱々しく呟いた。
それを聞いて、翠雨の疑問がひとつ増えた。なぜなら翠雨には一部始終の記憶がある。
女子生徒が頭でも打っていない限り、記憶が飛んでしまうようなことはないだろう。
そして何よりも疑問なのは、唇が触れた瞬間に沸き起こった表現しがたい感覚だ。
膨大な量のイメージが雪崩のように脳内に流れ込んできた。
森。夕焼け。海。
宇宙が誕生し、粒子が衝動して星々が形成されていく様子。
その星々の中に生物が誕生し、さまざまに形を変えて進化していく様子。
寿命を終えた星が大爆破する様子。
数秒の間で目の当たりにした大自然や宇宙の光景。
なぜそれらのイメージが脳内に浮かび上がったのか。
だめだ、全くわからないーーそう翠雨が結論付けたところで、部屋内のドアが開いた。