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桜の木の下には

作者: 根無草

 青と赤の混ざり合った夕陽が、墓前で手を合わし終えた私を照らす。頬に当たる少し冷たい風と桜並木から落ちる花びらが優しく包んでくれる中、少し物思いに耽っていた。

「くぅぅーーん」

「あぁ、うん。大丈夫だよ?」

一緒に散歩していた膝下の彼が不安そうに鳴く、私は手を伸ばしてその毛深い頭を撫でる。暖かく柔らかい温もりが伝わり、安心感を与えてくれる。

「キュゥーンキュゥーン」

「ほら、よしよし!」

心配そうな目をした彼をもっと撫でて安心させるために、膝を屈ませて、彼の面長の顔を両手で包むようにわしゃわしゃとする。

「ありがとう、ハチ」

「ワン!」

撫でている内に笑顔になっていた私はお礼を言う。それを受けて、彼も嬉しそうに口角を上げて舌を出して人懐こく笑う。

「さぁ、猛の所へ行こうか!」

「ワンワン!」

 リードを両手に取って、桜木の下に花束を置いた場所から……猛、私の友達の家へと向かって歩き出す。

そう、私は今からペットをこの前亡くしたばかりの友達である猛にペットを勧めに行くのだ。

 猛とは中学で課題を見せてもらう事から知り合った。その後、彼がいたずらを先生にしようとしていたのを私が悪乗りで一緒にやったのをきっかけにさらに仲良くなった。

 それ以降、私も悪いことを思いついたら、彼と一緒になってやったり、逆に彼が思い付いたら私に持ち掛けてくるようになった。

 普通ならば、いたずら仲間はそのうち、いたずらに飽きた方が距離を取り始めて関係が無くなる物だけど、彼は違った。

 私たちは同じような時期に飽きたらしく、ある日を境にいたずらを止め、一緒に勉強をしたり映画を見たりと、次第に街に出て遊ぶ仲になっていき。

 いつも一緒に居るのに、話題に事欠かなくなり、いつのまにか気の合う仲に成っていたのだ。

それで、ずっと友達……いや、所謂腐れ縁のような物なのだ。だが、この前とある事で喧嘩した。

 ある日のことだ。私がいつものように彼と一緒にさっきの墓の前で手を合わせていた時のことだった。そこに飼い犬と散歩していた猛が偶然通りかかった。

そして、彼は私が墓石の無い、ただ木の板に献花して、拝んでいるのを見て不思議に思ったのだろう。

「よお、ナオ。……何してるんだい?」

「……何って、見て解らない?」

「いや、そうだな。じゃぁ、誰の墓だい?」

「……」

「お前の母親のはこんなところじゃないだろ?だったら、他の友達か?」

「いや、違うよ」

「……じゃぁ、誰だい?」

「……」

「……いや、いいや。またな」

答えない私の表情から何かを察した猛は私と彼を交互に見た後、そう言って去っていった。

少し面倒だと思っていた私は良かったと安堵していたが、それが不味かった。

 次の日、授業を終えて、帰宅して彼の散歩をしようと思って、校門を出ようとしたときだ。

「なぁ、なお。少し一緒に帰らないか?」

「……うん、いいよ」

クラスが違う猛がわざわざ校門の外で待っていて、そう言ってきたのだ。神妙な面持ちで誘う彼に、私は少し気まずさを感じた。

校門を出て、高校の前の通りを右に抜け……ビルとビルが立ち並ぶ街並を通り、300mはある川に掛かる大きな橋を渡り……静かで大きな公園を歩いている時だ。

何かを切り出すのも遠慮をしてるのか、猛はずっと無言だった。対して、私も何を言われるか解らないので私の方から聞くことはなかった。

その沈黙を猛が小さく深呼吸をした後、伏せていた顔を上げた。

「なぁ、なお」

「何?」

猛が言い辛そうに口を開く。

「お前は何でハチを使ってるんだ?」

「……どうしてそんなことを聞く?」

「いや、だって、あれは多分……あいつの墓だろ?」

「……そうだよ」

どうやら気付いてたらしい。しかし、それと彼に何が関係あるのだろうか?

「毎日あそこに行ってるんだろ?……だったら、ハチを使う理由が知りたい」

立ち止まり、私の目を真っ直ぐに見据える猛の表情は真面目そのものだ。この顔をした猛は否が応でも実行することを覚悟してる時だ。気乗りがしないが、仕方なく答えた。

「それは……それはおかしいだろ!」

「何が?」

「だって、そんなのは命に対する逃げでしかないだろ!」

「そんな事言ったら、使ってる人たちみんなに失礼じゃない?」

「年寄りや先の短い人ならそれもあり得るだろう。けど、俺やお前はもっともっと他の動物達とも触れ合えるし、もっともっと長生きするんだぞ!

 そのお前がなんでアレを使うんだよ!おかしいだろ!」

「私たちに彼らは必要ないって言うの?じゃぁ、彼らはどうして存在するの?何のために居るの?ねぇ、答えて?

 彼らは同じように純粋な瞳で私たちを見上げ、純粋な心で接してくれる……その瞳に答えちゃ、何がダメなの?」

「そ……それは……」

通行人の何名かが振り返るのを気にもせず、こちらを圧倒する程の勢いで、必死に訴えてきた猛に私は心のありのままを投げつける。そう、彼らだって何ら変わりない。

だから、私は猛と同じように振り返る人々を気にも留めず言い返した。逡巡した様子の猛を気にも留めずに私は続ける。

「ねぇ、教えて?何がダメなの?じゃぁ、彼らはどうすれば救われるの?ねぇ、教えてよ!」

彼と会った時、その瞳の色はあの子と同じ琥珀色で……純粋に、ただただ単純に私を嬉しそうに見上げていた。あの子と同じで人懐こい彼の笑顔は真っ直ぐに私を捕らえてしまった。

それを……それを今更、ダメだと言われても。どうしろと?どうするべきだというのだろうか?

「だって、だって……お前はアレを使うのを……アレを使うのを後悔してるじゃないか!!」

「……っえ?!」

猛が俯いたまま両拳を握りしめて放ったその言葉に……私は酷く衝撃を受けた。

それはとても重苦しく体の中心を叩き、その衝撃は中心から腕や膝や首……そして、足や手、最後には頭を少しずつ過ぎ去っていった。

衝撃から何とか解放された私が何とか口から出せた言葉は、驚嘆の言葉でしかなかった。しかし、続いて言葉が出せない。何か言わなきゃいけない気がするけど、口から言葉が出ない。何を言わなければいけないのだろうか?

「うっ……くそ!!」

私の顔を見た猛は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐ目を伏せ、それから数時もせず、歯を食いしばって悔しそうな表情をしたかと思うとすぐに私に背を向けて走り去った。

「あ……」

それを止めるでもなく、呆然として見ていた私は、もう猛の姿が見えなくなってから、理由を聞きそびれていた事を思い出した。

「あぁ……うん、鞄……拾わなきゃ」

いつの間にか私の手から抜け落ちていた、入学からずっと使っているお気に入りの鞄を私は拾い上げようとする。

「あれ?」

ふと、鞄の上に水滴が零れる。雨だろうか?いや、でも、周りの地面は濡れていない。少し考えた私はそれを手で払いのけてから、拾い……周りを見渡す。

「え?」

視界が水面のように揺れてしまう……頬を何かが伝い、顎先から落ちる。

「……涙?」

両腕で抱えた鞄の上にポタポタと落ちるそれが、涙だとは分かった。だが、誰の物だろうか?……あ、私だ。私しかない。でも、何で泣いてるのだろうか?それが解らない。

「……帰ろう」

訳も解らず流れる涙に困惑した私には……ただ家に帰る。その事だけしか浮かばなかった。頭の中がのぼせたように熱い私は、そのまま帰るなり自分の部屋へ籠り……そのまま理由もなく翌日まで泣き続けた。

その日が、彼を使ってから初めて散歩に行かなかった日だった。

 翌日、猛は『ごめん』と謝ってくれたが……私には何で謝られたか解らず、寧ろ、なぜ自分が泣いたのか解らない私はその猛の言葉に無言でしか答えられなかった。

何故自分が泣いていたのか解らないまま、一月過ぎた。私は仕方なく泣いた日の事を記憶の隅に追いやっていた。が、数日前……猛がいつも散歩に連れて行っている愛犬の大福が亡くなった。彼はここ数日、学校を休んでいる。私は会いに行くべきかどうか悩んだが。行くことにしたのだ。

 そして、今日、私は自分の愛犬だったハチが埋まっている桜の木の下の墓で手を合わせている時、自分があの時泣いた理由に気付いた。あぁ、そういう事だったのか。と。

私は猛に……ペットである彼を勧めに行こうと思う。そう、通称『愛ケン』、『汎用犬型愛玩機械・愛dog タイプ2120』を勧めに行くのだ。

 近年、科学技術やAIの思考能力、人の感情についての研究が進み……とうとう、全く姿形や行動パターンまでまるで本物そっくりな猫型のロボットや犬型のロボットが作れるようになった。

発売当初は、AIBOなどのまるで本物に似ても似つかぬロボット犬を飼っていたお年寄りの方に爆発的に売れているようだったが、

最近は半世紀に一度、内臓の電池を変えるだけで餌代や管理費の掛からないタイプも出て来始め、若い人にも人気が出たようだった。

 そんな折、丁度、私が愛犬のハチを亡くして悲しみに暮れていたころ……いつもは家にいない父が珍しく私の部屋に来て、買ってきた彼を私の部屋に連れてきたのだ。

父曰く、『手間もかからず人に危害を加えることもない……そして、こいつが作られた目的は【人の悲しみを癒すため】だ だから、今のお前にはちょうどいいだろう」という事だった。

そうして、父は彼を私の前に連れてきた。彼は、体格は大型犬位で、ふさふさとした茶色の毛をしており、人懐こい笑顔を浮かべ、そのつぶらで無邪気な瞳が私を嬉しそうに見ていた。

 その姿は紛れもなく、私が何十年と一緒に生きてきたハチそのものだった。桜並木を歩くのが大好きだったハチ。いつもはリードを銜えてきて散歩を急かすだけのハチが、桜の咲く季節になると、

それに加えてズボンの裾を口で引っ張る程だった。そんな我が儘をするほどハチは桜が好きだった。だから、私たちはハチを桜の木の下にハチを埋めたのだ。

 そのハチと寸分違わぬ程、正確で同じような姿をする彼に……私は戸惑っていた。父はそんな私を見てか、彼を残して私の部屋から出て行った。出て行ってからも私はずっと俯いたままだった。

「クゥゥ~~ン」

俯いた私の前で束になった軽い物を置く音をさせた後、甘えた声で彼が私を呼びかける。顔を上げると、そこにはいつものハチと同じように、山桃色した優しさの中に純粋に私を見据える瞳があった。

いたたまれない気持ちから、目を横に逸らすと……ハチのリードがそこにあった。驚いた私は一瞬、逡巡した。何故、彼がハチと同じことをするのだろうか?と……。

だが、すぐに結論が出た。父が学習させていたのだろう。……そう思うと、侮蔑のような感情が沸き上がると同時に彼の瞳の色を知っていた私は酷く悲しい気持ちに包まれた。

「……おいで」

「わん!」

柔らかな毛に包まれた顔を両手で撫でさすると彼は目を細め、口角を上げて嬉しそうに笑う。その彼に私はリードを付けて、私は立ち上がる。

「行こっか?」

そう話しかけると彼は飛び跳ねる様に動き回り、部屋のドアへと私を引っ張っていく。それは、ハチをいつも散歩に連れて行こうとした時にする反応と全く同じだった。

私にはそれが、ハチが生きてるのと同じような感じがして……嬉しいような、そして、同時に悲しいような……そんな気持ちに囚われてしまう。

 玄関を出て、いつもハチを散歩させていた道を辿る。涙ぐみながら犬を散歩するのを見た通行人は私をちらちらと不思議そうな顔や生暖かい目で見る者も居たが、

それよりも私はハチと彼とを重ね合わせてしまい、頭の中は終始、ハチとの思い出で一杯だった。

散歩をしている内に、何だか楽しくなってきていつの間にか涙は止まっていた。

公園を散策し終えた私は、ふと『今日はお手洗いがなかったな……ハチは大丈夫だろうか?』

と一瞬考えたが、すぐに はっと気が付き、自分のリードとは反対の手に持ったペットスコップとビニールをじっと見つめてしまった。

「ワンワン!……ワンワン!!」

息を荒げて嬉しそうに吠える彼の声に意識を戻された私は顔を上げる。いつの間にか、ハチが大好きだった川縁の桜並木に来ていたようだ。彼はリードで私を引っ張る様にして桜の間を走り回る。

「あ、待って待って!」

「ワン!……ワンワン!」

この桜並木はペットの散歩コースとしてよく使われているらしく、犬や猫を連れて歩いている人たちがあちらこちらに居て、色んな人や猫や犬に会える。それが人懐こいハチにとっては嬉しかったようだ。

ここに来る度に、会う人会う人に笑顔で愛嬌を振りまいていた。しかし、彼はそれを行う事はない。いつもハチを散歩していたのは私で、私が教えてないからしないのだろう。

 ニコニコと桜並木を見ながら歩く彼に寂しさを感じながらも、通り過ぎる人の間を彼と一緒に歩いていた私はとある桜が目に入った瞬間に立ち止まってしまう。

「あ……」

思わず息をのむ。それはこの桜並木でひと際大きく、鮮やかに咲き誇る桜の木。空を覆い尽くして全てを包み込もうとしてるように見える程枝葉が広がっており、その大きくずっしりとした姿は荘厳さを感じる程ではあるが、同時に月明かりに照らし出されるとどこか儚く幻想的な物を感じる。

夜、通りがかりにこの木を見上げる人は、綺麗で美しい自然を感じると共に、人によっては、全てを包み込んでしまう底知れぬ夜の恐怖を感じる程だろう。

 その木が家族の中で誰よりも好きだったハチは散歩に行くと、雨の日でも必ずここに寄りたがり、いつもリードを引っ張られてしまうほど急かしてきた。

そして、この大木の下に辿り着いたハチは途端にゴロリと寝転がり気持ちよさそうにするのだ。春には桜の花びらで満ち溢れる地面を日なた色をしたハチは若いころは転がりまわっていた。

歳を取って体が動かなくなり始め、頭もボケ始めたハチだったが、それでも、ここに散歩へ来る度にこの木の下で寝そべっていた。それはとても気持ちよさそうに。

「……あ、うん。そうだよね」

彼はいつもハチが居た場所にただ寝そべるだけだった。私はそれを見てから、彼の隣に建てられた小さなお墓に近づいていく。何も書かれていない。ただの木でできた板を私は優しく、そして、ゆっくりと撫でる。一通り撫でた私は手を合わせた。

「……あれ?私、何で泣いてるんだろう?」

あれほど流した涙が両の目からあふれ出てきて、頬を伝っていた。もうハチを失った悲しみは全て吐き出したと思っていたのに……。

「くぅ~~ん?」

「うん、ごめんね。もう行こうか?」

「ワンワン!」

泣いているのを心配して、彼がそのつぶらな瞳で私を覗き込んできた。その姿が私の胸を締め付け、そして、どこか私の中に寂しい思いが湧き起こさせた。

小首を傾げて、何故そんな感情になるのか解らないでいたが、居心地の悪くなった私は彼と一緒にまた散歩に戻った。その時からずっと原因が解らないまま、気持ちが納まる様にハチの墓で手を合わせていたが、

この前……猛と喧嘩して衝撃を受けて以来、ずっと考えていた。そして、今日解った。

 だから、私は犬を亡くしたばかりの猛に彼(ロボット犬)を勧めに行こうと思う。彼は多分、最初は渋るだろうが……きっと、私と同じように受け入れるはずだ。

だって、彼は私の友達なのだから……。

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