2枚のチケットと【く】
「おっいらっしゃーい」
「外……あつ、い……。
まだ、七月の始めなのに……なんで、この暑さ、とか、もう……」
「うわあ、尋常じゃないくらい汗出てるね。
よ、汗も滴るいい男ー」
「…………」
「あ、ツッコむのすら放棄するほどの干からび具合。
はいはい、早いとこウチのオアシスにおいでなさい~」
「最近仕事が激務すぎて、さ……。お邪魔します……」
「キンキンに冷えた麦茶と炭酸ジュースあるよー。
あ、なんならカキ氷でも作ってみる?」
「カキ氷はいいかな。
それよりもこれ、なんだっけ、シャーベット?常温で保存できて食べたい分だけ冷凍して食べるとかいうの?」
「あ、これこの間テレビでみたよ!
味も見た目もオシャレで、今年のお中元でウケるだろうとか特集組まれてたやつじゃん!!」
「へえー。なんか店の外観と内装が良い意味でギャップがあって入ってみたんだよね」
「自分で買った物なのに商品に対して興味ゼロだな……。
まあ、一晩凍らせないと食べれないだろうし、今度来たときにどんな物か一緒に開けてみよう」
「……、うん、そうだね。
というか、なんか今日いつもよりテンション高いね。何かあったの?」
「ふっふっふ……よくぞ聞いてくれました!
実は私もうちょっとで誕生日でしてー、せっかくだし自分への記念にってことで、なんとォ!これを入手したのですよ!!」
「…………こ、れって……」
「お、さすがにムンフリファンのキミなら知っていたよねー。はいそうです、ムンフリことムーンフリークスが満を持して主催した、脱出ゲームイベントのチケットですよおおお!!!!」
「うわぁぁぁ……」
「なんでそこで遠い目をするのだね、チミ?ん?ん?そこまでガチのファンだと思ってなくてドン引いた?まあそんなことは投げ捨てておいて」
「あー……個人的には投げ捨ててほしくないんだけどなぁ……」
「ハイハイ聞こえない聞こえなーい。んでこっからが今日アンタを呼んだ本題ですとも」
「え」
「こういうイベントって私初めてだからイマイチ雰囲気分からないんだけど、やっぱお一人様で行くよりも同じ趣味の仲間と行った方が楽しいだろうし、クリアする確率もあがるじゃん?
で、奇跡的にもチケット2枚入手出来たんだけど職場とか友達にこういうゲームする人いないみたいだしー、脱出ゲーム上級者なアンタがいれば、ぬるプレイヤーな私も頼もしいってものでしてー。
という訳で、私と二人で来月の、」
「ごめん、無理」
「……へっ?えっえ、な、ぬん?」
「だから、ごめん。
その日は……どうしても抜けられない仕事があって、一緒には行けない」
「仕事……」
「うん……。誘ってくれて嬉しかったけど、こればっかりはどうしようもなくてさ」
「…………」
「ほ、ほら。俺じゃなくても、普通にゲームとかイベント事好きそうな友達誘って来てくれても」
「……う……じゃないと、」
「え?何?」
「……ううん、なんでもない。まー、仕事なら仕方ないよねー」
「そうそう、だから俺に気つかわないで思いっきり楽しんできてよ」
「そう、だね」
結局、私はそのイベントには行かなかった。
他に誘えるような人がいなかった、というよりも思い付かなかったものだから、チケット代は勿体ないけどその2枚のチケットは手元に置いたままに。
それから仕事が忙しかったらしく久しぶりに家に来た彼にイベントには行かなかったことを伝えるととても驚いて、でも何故だか一瞬ホッとしたように見えたのだが、それからは自分に非があるのではとチケット代を払うとか言い出してきた。
別に私はそんなお金の問題をとやかくいうつもりなんてさらさらないし、彼のせいとかではなくただ単に自分の気分の問題だったのだからアイツが謝る必要なんて何もないのに。
でも、何でかそれを向こうに伝えるのは憚れて。
他意はなく何気なく本棚に置いていたチケットを見る度にモジモジする彼にうんざりして、ついに私は、「大の大人がいちいち女々しいな、社会人ならそれなりの誠意をもって代替案でも持ってこいや」などどケンカ腰で吐き捨ててしまったことはまだ鮮明に覚えている。
それで、その後にあの売り言葉に買い言葉になってしまったのだと思うが……。
まあ、そんなことがあったのでチケットはすぐ目に触れるところにあると気にするだろうからと、アイツが絶対に近寄らないベッドの枕下に隠すことにしたのだ。
私は一人の時そのチケットを時々枕から探りだして眺めることがあった。
隅に「A bonum tempus vos」と書いてあるのはラテン語で、これはムンフリのゲームのオープニングでよく使われるお約束の挨拶だ。
ファンからの質問で作者が「楽しいひと時をあなたへ」という意味であると回答されていて、ふむ、ひとつ勉強になったなぁと思ったのはずいぶんと前のこと。
そしてそのチケットのデザインは天の川のような綺麗なホログラム加工がされていたのもあって、見ているだけで癒やされていたのだ。
ぼうっと見つめると何かが見えてくるような、でも見付けたくないような。
複雑で難解で面倒で、でも不思議と嫌なものではないその感情は、まるで謎解きをしている時のような感覚。
その時、薄暗かった空間がパッと明るくなって、私はハッと頭を上げた。
どうやらタイマーでも設定されていたのかライトがひとりでに点灯して、部屋は人工的な光で隅々までよく見えるようになったのだ。
ううむ、まだ脱出もしてないのになんだかしんみりとしてしまったな。
カードを裏返して意識を切り替えると、改めて一緒に出てきたアイテムを観察し始めた。
まず目に入ったのは、緑色の葉っぱのようなものが二つ隣り合っている、所謂双葉なような造型。
もちろん本物ではなく、樹脂の素材で出来た何かの部品のようだ。
手のひらに収まるサイズのそれを裏返してみれば、双葉の間から銀色のネジのようなものが突き出ているのが分かる。
これはもう、特に考える必要もないくらいにイージー過ぎるだろう。
さっきから、ちょいちょい馬鹿にされてるのかってくらい分かりやすいアイテムに毒づきながら、私は体を翻した。
目指す場所は部屋の一角、私が手出しできなかった水のない水槽の元だ。
部屋の照明が点いてよく見えるようになったのもあって、私は改めてアクリル板の中の様子を覗き込んだ。
例のカードを埋めるようにひしめき合っている大小様々な置物は、生き物や植物などをモチーフにしたポップな物が多い。
その中でまた私が目に付いたのは太陽や月の惑星を象った物で、何度か目にしているコレらはこの脱出ゲームのテーマか何かなのだろうか。
まあ、今私が考えたところで分かるものではないし、早いところこのカードをゲットして次に進もう。
そう思って水槽の縁に設置されているハンドルのない蛇口、そこに手にした双葉を添えてみれば、読み通りぴったりだ。
カポン、とはまったハンドルをゆっくりと捻れば、蛇口の先から少しずつ無色透明の水が流れ落ちていく。
せっかちな私は全開までハンドルを回してみるけども水は一定量から増えないようで、溜まるまでしばらく時間が掛かりそう。
とたんに暇になってしまったが、かといって水が溢れるかもしれないので目を離すわけにもいかず、仕方なく私はその場で座り込むことにした。
その時、尻に固い感触。
そこでおっと、とズボンの後ろポケットに今ほど入れたカードを取り出して床に置いた。
上着のポケットに収まりきらなくてガシャガシャと存在を主張させるカード達をどうせ暇だし整理させようか、と全てを床に並べていった。
今手元にあるのは7枚。それに加えてここでもう1枚増えると8枚、か。
横一線に並べてみたその長さとあの扉のパネルの長さを比べてみると、恐らくあと1枚でカードは揃うと思われる。
うーん……それにしてもこれ、全然規則性が分からないなぁ。
無作為に繋げた平仮名は何かしらの言葉や文章にもならなくて、かといって英語や数式に変換できそうにもない。
まあ、まだ全部揃ってないからだろうけども。
もしかすると、意味のある文字列ではなくて暗号のような意味の無いパスワードになっているのかもしれないな。
したらば、この文字が書いてある面ではなく、イラストが描かれている裏面が謎を解く道しるべなのだろう。
パタンパタンと、神経衰弱のように一枚一枚ひっくり返して、そこに標されていることを見逃すまいと隅から隅まで目を走らせる。
鍵にオムライスにお菓子とお茶、アプリのアイコンが二つにメガネとチケット。
全部裏返してみたものの、その絵柄たちに共通点や繋がりは全く見えてこない。
ただ、なんでかこのイラストを見ているとここ最近の色んな思い出が蘇ってくるという、不思議な感覚に陥るのだ。
それも決まって印象に残っているアイツとのエピソードばかりで、これは偶然なのか意図したものなのか。
いやいや……さすがにそれは自意識過剰というものか。
それに仮に後者だとしたら私以外誰にも解けない問題であって、まるでこんな大がかりな催し物が私の為だけに用意されたかのような気になってしまう。
……ん?なんかそれどっかで似たようなセリフを見たような……?
はて?と首を傾げて部屋の中をキョロキョロしていると、不意にポロリンと何かを知らせる音が耳に響いた。
ハッとして慌てて水槽を覗き込むと、ちょうど九分目ほどで水位がぴたりと止まったところだった。
危なかった……、自動的に水が止まって本当に良かった……。
考え事に集中してすっかり監視することを忘れてしまっていた自分を情けなく思いつつ、中を観察した。
水の浮力で浮き上がってきた太陽や月の置物をどかして、更に何故か眉毛がキリっとした魚や鳥の動物のモチーフをかき分けて、ようやく目的の物を掬い上げた。
『だ』という文字に対するものは、星と星とを結んだ星座が額面めいっぱいに描かれた幻想的なイラスト。