『Knock』と【っ】
「……ぁ、や……そこ、じゃなくて………っ
あ、いいよ、そのままいっ」
「あのさ、ちょっと一言いい?」
「あーッッ!!今いいところだったのに!!
……はあ。で、なによ?」
「だからさ、その……なんか変なこと疑われそうな独り言ちょっと抑えてくれないかな?
普通にゲームしてるだけなのに、なんでそんな狙ったような台詞になるのか不思議なんだけど……」
「は?え、なに私そんな変なこと言ってたっけ?」
「いや、気付いてないならいいんだけど……。というか、黙ってゲームできないの?」
「えーこっちとしては全然そんな意識ないんだけどー」
「うわぁ、自覚ないとか逆に厄介なタイプ……。
じゃあいっそのこともっと大声で独り言言ってみてよ」
「大きな独り言ってなんだよ!っていうか独り言に注文つけるとか斬新なアイディアだな!」
「で、さっきから寝そべったり転がったりして何をそんなに悩んでいるの?」
「あ~それはさぁ……このアプリ知ってるかなぁ……。
ムーンフリークスっていうゲーム制作会社のKnockっていうゲームなんだけどさー」
「……!う、うん。それが……どうかしたの?」
「これね、仕掛けを解いてドアをノックして開けば次に進めるっていう脱出ゲームなんだけど、このステージがどうしてもクリアできなくてさあ」
「へ、へぇー」
「ちょっとやってみてよー」
「えっ」
「これねミセス割烹、じゃなくてヒントキャラのしぐさを見るとスマホをひっくり返すみたいなんだけど、さっきから逆さにしても手前に倒しても、ローリングしてみてもうまくいかなくて困ってたんだよね」
「みせすかっぽう……?
というか、ローリングって……それで炬燵の中で暴れてたんだ……。
雑煮の安全に関わるからちょっと貸してみて」
「お雑煮の方が優先かい。
はい、どうぞ」
「……、あぁ、これか。
なるほど……これを見て180度回転だと思ったってことか……。
ローリングするとジャイロセンサーが反応して微妙にギミックが動くものだからあんな妙な台詞が出たわけか……」
「え、なになに?なんか分かった?」
「あぁー……。これさ、多分傾け方が違うんじゃないかな?上下探さにするんじゃなくて90度傾けてみるとか」
「こう?……お、おお!なんかさっきからチラチラ見えてたアイテム落ちてきた!!よーし、これがあればもう勝負は決まったも同然!!」
「おー。ちゃんと解けたねーグラチュレーショーン」
「なにその白々しいほどの棒読み。
というか、アンタもしかして……」
「えっ……な、ななななに?」
「本当はこのゲーム……やったことあったんでしょ?
この仕掛けも見てすぐに分かったってことは、もしかしたら全クリしてるとかだったりー」
「…………あー。
うん、まあ、そんなところ、かな?」
「それならそうと言ってよー。
よーし、これから行き詰まったらヒント聞ーこう」
「いやいや、俺を攻略サイト代わりされても物凄く困るんだけど」
あれは今年が始まったばかりの頃。
その頃になると私の家に来た彼は勝手知ったるもので存分に寛ぐようになり、私もあの時のことから必要以上に構わないようにしたりと、各々好きなように時間を潰していたものだ。
そんな中で、暇さえあれば脱出ゲームをプレイしていた私に同じゲームを知っている仲間が身近にいるというのは、なんだかとても嬉しかったのをよく覚えている。
あと、すぐに行き詰まってまともにクリア出来ない私に、聞けばネタバレでない程度にアドレスをくれる彼は正に可動式のヒントボードとでもいえよう。
この「Knock」はシリーズ化されていて、シンプルな1画面でステージごとに遊べる手軽さや、傾けたり振ったりして仕掛けを解いていくなどスマホならではの楽しみ方が出来ると話題のアプリだ。
それだけでなくセリフや時代背景は何もないものの、綺麗で温かみのある色合いのCGや、時々現れる個性的なキャラクターなどが人気で、私もシリーズをコンプリートしているくらい。
そのアプリのアイコンはシリーズで微妙に違っており、扉の向こう側が見えそうだった初期の構図と一変してキッチリと閉じられた扉のアイコンのこれは、シリーズの最新作だ。
制作者の心境の変化なのかそれとも意図したものなのかと、最近ファンの間で熱い議論が繰り広げられているから私も強く印象に残っている。
なんだか彼も同じことを考えていたのかと思えるようなチョイスに頬が弛むのを感じて、けどそこで気が緩んでる自分がいることに気付いてブルブルと頭を振って気合いを入れ直した。
さて、次はこのヒントが書いてありますよーと、いかにもな主張をしている四つ折りの謎の紙だ。
とりあえずクリップもホチキスも留めていない不用心な紙をペラリと開いてみれば、そこには……何も書いていない。
なんだこの物凄いデジャブは。
さっきもこんな期待外れな経験したばっかりな気がするぞ。
無駄に綺麗なフローリングで何とも言えない脱力感に打ちひしがれていたが、気を取り直して改めて何の変哲もないメモ用紙を折り直して見返してみた。
そうすると、四つ折りにしたちょうど一番外側に来る面になにやら図形が書いてあるのが確認できたのだ。
曲線のようなその二つの線は、一つは『つ』を左右反転にしたような物、もう一つは『く』の開きを少し縮めたようなそんな物。
その二つが縦に並んでいるのは、やはり何かしらの仕掛けのヒントなのだろうか。
どう見ても普通の紙にしか思えないそのアイテムを穴が開きそうなほど見つめていても、何か文字が浮かぶわけでも、仕掛けが解けるわけでもなく。
とうとう降参して八つ当たり気味にソファーに勢いよく寝転んでみたものの、特に打開策が閃くわけもなく。
やっぱり私みたいなぬるプレーヤーにはこんな大がかりな脱出ゲームを自力でクリアすることは無茶な挑戦だったのだろうか。
元からヒントや情報掲示板を見ないと進めないような程度のレベルだったし、最近では彼に頼ることに慣れてしまったからなおさら無謀に思えてならない。
でも……何故だかここで諦めたくない、最後まで到達したいという思いが胸にくすぶって、モヤモヤとして仕方がない。
たまには彼のお世話にならないで、自分の力だけでゴールまでたどり着いてみせたい。
と、決意新たにしたものの相変わらずなにも閃きは訪れず、時間だけがただただ過ぎていく。
ふと気が付けば、窓からオレンジ色の斜光が射してきていて、ソファーの背もたれが焼けたように朱く染まっていた。
もうそんな時間になっていたのか……と考えすぎの頭でぼぅっと眺めていると、いつだかの彼のお節介なセリフが思い出されてくる。
女の子なんだから外に出るときは日焼け対策ぐらいしようよ。
なんていう余計なお世話に、もう女の子なんて可愛い歳じゃないとどついたのも最近の話だっけか。
近頃の日焼け止めはSPFやらPAやらが強いとか弱いとかいうだけでなく、肌質や使用感の違いでも細かく種類が分かれていて、その豊富な品揃えから選ぶのは一苦労するのだ。
別に私は何がなんでも美白でいなくちゃという信念ではないが、男である彼のほうがよっぽど色白であるのを目の当たりにしてから、何故だか無性に敗北感を覚えてならない。
まあ、ヤツの場合は完全なるインドアの成れの果てだからもう羨ましいとか思わないけれども。つーか張り合ったところで馬鹿馬鹿しいというか面倒になっただけだし。
そんなこんなで元から面倒臭がりでマメに手入れとか出来ない自分は、結局通勤中は長袖の上着で日焼け対策をするようになったもの。
最近の服ってよく作られていて、羽織るだけでUVカットしてくれるのに涼しいという使い勝手の良さからずっと重宝していて……、ってちょっと……待てよ?
そこで一旦思い出に浸るという名の現実逃避を打ち切って再び手元のメモに目を落としてみれば、何てことないことにやあっと気が付いた。
弾かれるようにソファーから立ち上がって、この部屋で唯一のある所へと向かう。
まずコレを図形として考えることが間違っていたし、そもそも見る角度さえもまた違っていたし。
大股でソコに向かって歩きながらメモをくるりと90度回してみれば、アルファベットの二文字がわかりやすいように大きく書かれているのがよく分かった。
到着した場所で四つ折りの紙を広げてゆっくりと掲げれば、それはオレンジ色に染まって私の指にも熱が帯びていく。
窓ガラス越しに届く太陽の光が線を描くように、ゆっくりと紙の色を部分的に変えていき、やがてそれは一つの英単語とイラストを陽の下に晒した。
やはりこれは紫外線……UVに反応にして文字が浮かび上がるように特殊な加工がされていたのだろう。
それなのに、私はてっきりそのアルファベット自体がヒントなのかと勘違いをしていたのだから恥ずかしい限りだ。
頬の熱を逃がすように首を振って改めてそのメモ用紙に目を落とせば、どこか懐かしさの感じる手書きの絵が描かれてあった。
連なる山々に向かう黒いカラスが数羽と、その山の間に沈む光源。
そしてその上には『twilight』の文字がシンプルに書かれているだけ。
twilight、つまり夕暮れを表現しているこのヒントを必要としているのは……あそこしかない。
踵を返して元いたソファーを回り込み、窓からちょうど対角線に当たる木製のチェストへと歩を進めた。
三段構えの引き出しの真ん中、キーボードがはめ込まれた開かずの門構えと相対す。
さっきは初見だったし門前払いを食らったけれど、この謎を解いた今の私は無敵な気分だ。
意気揚々とひとつひとつ文字を入力していって、Tから始まりTで終わる合言葉を打ち込み終わると、最後に【OK】のボタンを深々と押して判定を待つ。
一瞬のタイムラグの後、ポーンという軽やかな音と共に錠の外れるような音が確かに耳に届いて私は小さくガッツポーズをしたのだった。
木の板のくぼんだ取っ手に指を入れて勢いよく手前に引けば、予想通りにそのアイテム達は姿を現した。
変わった形をした画鋲のようなピンとセットにされた正方形のカードが一つずつ。
『て』と記されたカードの裏側を確認すれば、それは大きな雫の中で様々な色の光が煌めくイラストがとても印象的だったアイコンだ。