太陽の鍵と【い】
「へー、アンタの部屋こんな感じなんだ」
「そんなにマジマジと見なくたって……」
「いや、見るでしょ。初めてなんだから。
というかさぁ……いくら何でも散らかり過ぎじゃない?」
「最近……色々と忙しかったし、俺、掃除とか苦手だし」
「だろうと思った。それなら片付けてやろっかー?」
「いやいや、いいよ!そんなこと悪いし!と、とりあえずお茶でも飲んでゆっくりしていてよ」
「はぁい。そんなに釘刺さなくたってエロ本探しなんかしないで大人しくしてるって」
「別にそっちの心配はしてないよ」
「そっち、ってことは他にやましいブツでも置いてるのかアンタ。よろしいならばガサ入、」
「わー!!ストップストップ、変なこと言わないでって!
何で君ってそう意図したように口が悪いのかな……。
そ、それに疚しい物なんてないから!」
「ちぇ、つまんないの。
というか、ソファー占領しちゃってていいの?ってか、この一人掛け以外置いてないのか?」
「いや、もともと大きいソファーとセットで買ったんだ、け……、ど…………。
ほ、他の部屋にもソファー置きたかったから別々にしたんだ。俺の方は気にしなくていいから」
「ほぉーん。確かこのマンション2DKだって言ったっけ?一人暮らしなのに良いとこ住んでるな、羨ますぃー。
……あ、この紅茶すごくいい匂いー。いつもこんな良いもの飲んでるのか、羨ましいなぁ」
「そんなことないって。普段はこんな風に紅茶飲まないし。というか君に淹れ方教わるまで茶葉を買ったこともなかったし」
「あぁ、あったねー。アンタが冷水に茶葉を振り掛けた時は呆れを通り越して爆笑モンだったな」
「もう……それいつの話だって」
「そんなに前の話でもない気がするけど」
「いい加減忘れてよ、そのことはさ……。
それはそうと、これ、渡しておくから」
「なにこれ?鍵?」
「うん、大事な鍵だから無くさないでね」
「大事って、一体何の鍵だって」
「それは……、…たと、お……を…………な……」
つい先程のこと。
彼からそのシリンダー錠の鍵を渡された直後に強烈な眠気に襲われた私は、鍵を握り締めたまま寝てしまったのだ。
それがポケットに入っていたということは、無くさないように入れられてここに運び込まれたということか。
もしかしたら、この部屋から脱出するのに重要なアイテムなのかもしれない、と部屋を調べる為に立ち上がった。
そしてどこかに行かないようにと胸ポケットにしまい込めば、それらはこれから始まる挑戦に高揚する私を体現するようにカチリと鳴った。
まず向かったのは、この部屋の出入口にあたる扉の前。
目の高さ程の位置に設置されたパネル以外には何の変哲もないドアだけど、ドアノブを捻ってみてもやはり鍵が掛かって開けられない。
その長方形のパネルを見てみれば、正方形に区切られたマスがいくつもあってその下にボタンが付けられている。
この正方形のサイズ感、もしかしたら……。
そう思い立ってさっきの平仮名一文字が書いてあったカードを試しに嵌めてみれば案の定ピッタリ。
だけれど横に長いパネルにはまだまだスペースが余りある。
恐らく他にも隠されているカードを集めて、決められた順番に並べると鍵が開いて出られる系の仕組みなのだろうか。
それなら今の手持ちではどうしようもないから、他を当たってみよう。
扉から右に視線を移せば、そこには据え付けの木製のチェストが。
三段の引き出しには鍵穴はないがどこを引いても開かず、それぞれの面には違った仕掛けが施されていた。
一番上は、どうやら4桁の数字を合わせて開けるタイプだがスイッチの横に不自然に丸いくぼみがあり、押しても反応がないから何かアイテムが必要なのだろう。
真ん中は、キーボードのタッチパネルが埋め込まれて反応はあるものの、適当に入力しても「error」と突き返されるだけ。
最後は、そろばんのような5本の軸にそれぞれ一つずつツマミがついた枠があって、1から5と記されたそのツマミは上下に三段階の調整が出来るようだが、やはり横にはくぼみがあってそのジグザグに合うアイテムを見付けないといけないようだ。
どれも現状では解決出来ない仕掛けばかりなのでここは諦めて……と、思ったところ、チェストの脚の間に何かが見えて私はその場に屈み込んだ。
そこには両手に乗る程の大きさの、紺色の箱がひっそりと置かれていたのだ。
蓋に描かれた綺麗な三日月が印象的なその化粧箱には、案の定南京錠が掛けられていてその中身は窺い知れない。
鍵穴の形を見てもあの鍵とは合わないのは一目瞭然だったから、とりあえずテーブルに置いて捜索を続けることにした。
さて、次に気になるというと……あの嫌な意味で存在感を放つ壁掛けだな。
隣でユラユラと揺れる星の飾りの癒し効果をブッ飛ばすその時計は、ベースは円形なのにその周りにバナナのような突起物がいくつも付いている不思議な形状をしている。
何よりも、文字盤に人を小馬鹿にしたような半開きの目と妙にリアルな口が書いてあるのが、筆舌し難いほどの小憎たらしさを醸し出しているのだ。
けれど時計であることは確かなのに、文字盤に長針も短針もないのは、奇妙ではある。
まあ、あんまり眺めていて楽しい物じゃないし、次にいこう。
そう思って右隣の壁を見てみれば、そこは星の壁紙がよく映える空間。
壁紙、というかこれはウォールステッカーみたいだ。
色とりどりの粒子で彩られた、虹色の弧を描くほうき星。
そしてその下には、真夜中のような真っ黒な水の張られた浴槽がドンと構えていた。
うへぁ……。なんでフローリングなのに浴槽置かれてるんだとかツッコミ所はあるけど、この墨汁みたいな水はどうしたんだか。
目を凝らしてみれば何やら底の方に沈んでいるようだが、着替えなんて持ってきてない私はこの並々溜まった色つきの水に腕を突っ込むことは、些か躊躇われる。
そこで目に入ったのは、浴槽の側面に掛けられた1枚のボード。
何かの文章と思わしきそれにさっと目を通してみれば、確かこれはある曲の歌詞だ。
私が好きなアーティストだと知っている彼がわざわざこんな物を用意したということは、この浴槽の仕掛けか何かヒントが隠されている筈。
でも……、これといって変わった箇所も無さそうだし、浴槽の周りを隅々まで見ても何か怪しいところは見当たらない。
あえて気になる、というならば壁の角に立てられた照明だろうか。
腰ほどの高さのフロアスタンドの傘はシンプルな円錐形だが、そのランプシェードの上には星の飾りがちょこんと置かれている。
けどこれといって特徴的ではなく、仕掛けが施されている訳でもなかったので、何とはなしに星の頭に指を滑らせて次に向かった。
扉とは反対側にあたるこの場所は、明るい光が射し込む窓のあるスペースだ。
窓ガラスにはこれまた星のシールで飾られている以外変わっているところはない、いたって普通の窓だが案の定鍵という鍵は見当たらず開けられないようになっている。
まあ、ここから脱出を試みようとしたところで、4階の高さを飛び降りる以外の策は今のところ思い付かないから止めておこう。
それに、窓の下に置かれた植木鉢の花達を誤って踏み荒らしたら大変だし。
そう思って、床にジョウロと共に並んだサボテンやアサガオのような白い花をじっと眺めてから、私はそこを離れた。
さて、最後の壁面はというと……。
そこで振り返って一番に目についたのは、床に置かれたアクリルの大きな水槽。
と言っても、その中に入っているのは水ではなくて、鳥や魚などの様々なオモチャのような物がたくさん入っているけれど。
透き通ったガラス越しに覗き込んでいると、そのオモチャ箱のような中に例のひらがなのカードが紛れているのを発見した。
けれどこのアクリル板は私の胸ほどの高さがあり、埋もれるよう底に置かれたそれを取るのは困難だ。
出来ることなら水槽ごとひっくり返したいところだが、残念なことに床に固定されていてビクともしない。
そこで周りをよく見てみれば壁から水槽にかけてホースというかパイプが通っていて、その先で水槽の縁に何かの装置が取り付けられているのが見てとれた。
先端が下に向けて歪曲した、銀色の筒。
多分、蛇口だろうそこには普通ある筈のハンドルがそっくり見当たらないことから、恐らくどこかにハンドルあるいは代用品があるのだろう。
それを手に入れればきっと何かしらのアクションが起こせるのだろうけど、それらしいアイテムは持ってないので後回しにしよう。
そこから視線を上げれば、段違いに取り付けられた吊り戸棚がふたつ、とその上に置かれた植木鉢が目に入った。
高さ15㎝ほどの白い戸の引き手溝に指を掛けてみたが、どの引き戸にも鍵穴のような物はないのにウンともスンともいわない。
よくよく観察してみると、左上の棚の木枠の真ん中にはネジのような物が打ち込まれていて、マイナスドライバーがあれば取り外せそうだ。
一方、右下の棚には三角形のボタンがそれぞれ左右を指すように嵌められていて、押してみればパチリと軽い音をさせるが動く気配は微塵も見せない。
そして意味ありげに置かれた植木鉢はというと、近くで見てみるとツヤっとした葉っぱや土は作り物で、底が天板に固定されて移動させることは出来ないみたいだ。
この類いの仕掛けも、必要なアイテムやヒントが手に入ればおそらく解ける物なのだろうけど……。
残念なことに部屋の中はほとんど見尽くしたというのに、これといった道具もヒントも見つかっていないのだ。
いっそのこと、この戸棚を力ずくで外してみるか?
そう思い立って、ずり落ちる心配のない植木鉢がある低い方の棚に手を掛けて……とその時、固くて冷たい何かの感触を指先が捉えた。
慌てて底板を覗き込んでみると、そこにはテープで留められた小さな鍵が、ポツンと申し訳なさそうに端の方にいたのだ。
ぺりぺりとセロハンを剥がして手のひらに広げてみれば、これはシルバーの三日月のキーホルダーがついた華奢な鍵だ。
月のキーホルダーの鍵か……。
月、といえば……あれしかない。
くるりと身を翻して早足でテーブルに向かうと、あの紺色の箱を手に取る。
銀月のモチーフが光る、対なる鍵と箱を引き合わせれば、それはカチリと軽やかな音をさせて噛み合った。
柔らかな手触りの蓋をゆっくりと開けてみればそこには、コインと正方形のカードが一枚ずつ。
『つ』と大きく書かれたカードを取り出してひっくり返してみると、裏面には銀色のスプーンと白磁の平皿に盛られたある料理が描かれていた。