七話 予兆
何事においても予兆というものはある。
しかし気づいたところで手遅れで、どうしようもない場合が多々だ。
今崎 哲人の暴走はその一つ。
ワールドフラットはすぐ近くまで手を伸ばしていた。
もしくは、最初からここにいたのか。
結城 真白は常であれば無邪気な笑顔を備えたその顔を珍しく曇らせて、妄想研究部の部室で口も開かずに窓の外を見ていた。
いつもは彼女の声だけがこの部屋に響き、その都度に合わせて俺や秦野のツッコミやなんやが飛ぶ。
それが日常で、お決まりの光景だった。
秦野は気づいてそれを気にしていないのか、彼女の様子に疑問を投げかけることもなく、黙って本を読んでいた。
お陰で俺は手持ち無沙汰である。この部活は基本暇であったし、俺はその時間を潰せる道具を所持していなかった。
仕方なく俺はソファから立って、荷物を手にして、部屋を後にしようとした。
「……帰るんですか」
秦野がそう尋ねた。
「帰るよ。することもないし。それに……」
俺は真白を見た。ずっと、あの調子で動くこともない。何を見つめているのか、その瞳に何が映っているのか。彼女の気持ちがわからなかった。
「今日は何もなさそうだ」
「それは……、そうですね」
「秦野は帰らないのか?」
「こんな状態の結城さんを置いていくのも、少し、あれなので」
秦野も真白を見て、そう言った。
俺は驚いていた。俺は秦野の何もかもを知らなかったが、そんなことを考えるようなキャラだとは思っていなかったからだ。
彼女には何度も驚かされる。
俺は彼女を、悪い言い方で言えば冷たい人間であると思っていた。
興味関心が外に向かない。そんな人間。
「意外だな……。もっと、その、……クールだと思ってた」
「冷たい、ですか? よく言われます。ですが、私はあなたの方がよっぽどか、冷たい人間だと思いますよ」
「……よく言われるよ」
俺が彼女に向けて想像していたキャラは、俺にも当てはまった。
心の何処かで彼女を同類であると思っていたからかもしれない。
しかし現実はそうでもないようだ。
彼女の方が俺よりも人間らしい。
心が外を向いている。
彼女は一度俺に、「人間観察が趣味である」と言った。
俺はそれを聞いて内心バカにしたような気持ちになったが、それは違ったのだ。
俺は人を見なさすぎた。見ようとしなかった。
これでどうして秦野を笑えるのか。
彼女はしっかり見ていた。俺と違って。
俺は息を漏らした。
おかしいのは、俺だ。
「真白に声はかけないのか?」
「私は、……いいです」
「いいですって、冷たいな」
「あなたほどじゃありません」
「ああ、わかった。じゃあいいよ、俺がやるから。……なあ、真白。おーい……」
俺の声が届いていないのか、それとも無視されているのか。後者でないことを願いながら俺は真白に近づいて、もう一度声をかけた。
「真白。どうしたんだ、いったい」
「……うん?」
真白はキョトンとした顔で振り返った。
その顔にはやはりいつもの元気がない。
焦燥か、不安か、それとも悲しみか。彼女の表情はぎこちない。
理由はわからない。でも彼女がそれを話すつもりはないのだろう、ということはわかってしまった。
「あれ、宗真くん、どうしたの?」
「どうしたのも何も……。それはこっちのセリフだって」
「私? 私はべつに全然元気だけど?」
「……なら、いいんだけど」
そんなはずはない。
何か抱えているはずだった。
でも、それを問い詰める気にはなれなかった。
俺は人間としてあまり出来が良い方ではない。
人と関わってこなかったせいか、会話や意志のやり取りが苦手だった。こんな時にも、どんな声をかければ良いのか。問うべきか、そっとしておくべきか。
コミュニケーション能力の欠如。
気にしたことはなかったが、いざその場面に遭遇すると、自分が嫌いになりそうだった。
真白は何も言わなかった。
秦野がそれをどう思っているかはわからない。
けれど俺は何か胸騒ぎがしてしかたがないのだ。
色々とこの部活について、そして彼女たちに対して疑問はあった。
その秘密が、今回の件と繋がっているのかもしれない。
俺に真白のそれを、見なかったフリをするという選択肢はなかった。