六話 自信は妄想を鈍らす
今崎の妄想領域は楔ヶ丘高校の敷地を覆い尽くしている。
妄想は現実に。
しかし、それは妄想領域の中だけで顕在するのであって、妄想領域の外から見た楔ヶ丘は平時のままだろう。
崩壊は停止した。
ひび割れ、崩れ去った箇所はそのままに。まるで時が止まったかのように。
俺は崩壊しない校舎を妄想していた。
どんな状況で、何が起ころうとも決して壊れない校舎を。
今崎の妄想と俺の妄想が拮抗して、停止した空間を創り上げていた。
「な、なにが起こって……!?」
今崎は動揺を隠すこともなく、狼狽を剥き出しにしていた。
教室の他の人間は全て気を失っていた。
イマジナーの妄想領域内の常人は、その妄想の攻防に巻き込まれると脳に重い負荷がかかり意識を喪失する。
現実に投影される妄想に、脳の処理が追いつかないためだ。
「今崎……」
俺の声に彼は過敏に反応した。
血走った目で俺を睨む。
「お前たちのせいか……! この、僕の、神の力を……っ!」
「これがお前の望みなのか。今崎哲人」
破壊の妄想。
それが彼が内に秘めてきた妄想なのだろう。
そして彼はそれを達する力を得てしまった。
「何か文句があるのか! 全てを破壊する! 何もかもだ! 僕は、僕はね、壊したくて壊したくてたまらないんだよ! 何でもいい! けど、それが大きければ大きいほど、みんなが巻き込まれれば巻き込まれるほど。それを、それを邪魔しやがってええええ!!!」
怒り。
今崎の唇は震え、顔は赤く染まり、見開いた瞳が俺を凝視する。
自分の妄想を誰かに阻まれるのは何よりも苛立つ。
ましてやそれが現実になろうとしている時であれば尚のこと。
だが黙ってその妄想がカタチになることを見過ごすわけにはいかなかった。
狂ったイマジナーは止めなければならない。
他ならぬ、イマジナーの手によって。
「秦野。学校は任せた」
「……わかった」
「俺は、今崎を止めるよ」
妄想を止めた。
秦野が代わりに学校の維持を受け持った。
俺は直接今崎を叩く。
「たった二人で、僕の、神の力に敵うとでも……」
「……神、ね。随分と自信があるらしい。けどよ、自信と妄想ほど離れたもんはない。イマジナーは妄想を武器にする。それを自分から錆びらせてどうすんのさ」
妄想は本来であれば逃げの手段である。
現実で何も出来ないが故に、妄想という手に出る。
頭の中であればなんでも出来る。自信がない人間ほど、妄想は磨かれ、研ぎ澄まされる。
俺が妄想が現実に具現化することを良く思っていない理由の一つが、それだ。
恐らく俺のような人間は自惚れてしまう。
現実が充実すれば、妄想は鈍り、そしていずれは消えてしまうだろう。
全てが叶う理想の世界と同じだ。
何もかもが満たされて人々から理想が消えるように、満たされた妄想は二度と蘇らない。
今崎はそこをわかっていない。
妄想は妄想であるからこそ、価値があるのだ。
「僕に逆らうな!!」
今崎の手から放たれた無数の爆弾。
その全てが凍結する姿を妄想して、無効化させた。
イマジナー同士の戦い。
具現化させる妄想への執着が強ければ強いほど、その妄想は力を増す。
彼の妄想は「神」にしては貧しすぎた。
「その程度なのか……? 狂ってまでも手に入れたイマジナーの力で、本当にこの程度なのか? 俺はお前と違って自信はない。いつまでも妄想に浸っていて、現実を少しも見ることができない。それはイマジナーの力を手に入れてからも変わらないことで、これから先もそうだろうと思っていた。けど……」
俺はそこで言葉を少し止めて、自惚れを口にした。
「お前を見ると、……不本意にも自信がついてしまいそうだ」
「く、くそ野郎があああああああああああ!!!!!」
あからさまな挑発。
彼はそれに乗った。
思考が怒りにだけ向いた。
そこがイマジナーの隙だ。
思考速度の勝負。
妄想を相手よりも早く具現化し、対処されるよりも早く叩き込む。
彼は神を名乗った。
ならば神のまま殺してやろうじゃないか。
俺は妄想した。
神殺しの槍、ロンギヌスを。
神話は好きだ。インスピレーションを働かせてくれ、それは俺の妄想の質にも繋がる。
ロンギヌスは正確には神の子殺しではあったが、妄想はその曖昧さによって起こる歪みを好き勝手に平らに出来た。
そして妄想によって生み出されたロンギヌスは、神への特攻が付与され。自らを神であると思っている存在であればあるほど、その効果は増すだろう。
とにかく、俺は執着もくそないロンギヌスを妄想して、手に取り、今崎の元に駆け出した。
妄想バトル。
テーブルトークRPGのように言ったもんガチ、妄想したもんガチの勝負で、下手に自らを飾りあげるのは致命傷になる。
神になるのはいいけれど、妄想の世界において神は必ず打倒されるものであることを忘れてはいけない。
反応に遅れる。
思考は一瞬止まり、焦りで妄想がカタチにならなくなり、そして対処に遅れる。
今崎の腹部に槍を思いきり突き刺した。
驚きと、苦痛で歪められた顔が俺に向いた。
「あ、あ、が……ッ」
槍から手を離す。今崎はまず膝から地へと崩れて、槍が突き刺さったまま、うつ伏せに転がった。
呆気ない。
俺はただそう思った。
「……迷いが、ないのね」
秦野の小さな声が届いた。
「一瞬の迷いも躊躇いもなかった。当たり前のように、同級生の、クラスメイトに刃を向けて、突き刺した」
彼女が何を言いたいのかはわからなかった。
だから俺はそれに反応できなかった。
「……あなたが味方で良かった」
「……それは、どうも」
妄想領域が消えると同時に、妄想が現実に干渉した形跡は残らず消える。歪んだ校舎は元に戻り、教室に広がった今崎の血は消え、そして今崎の腹に槍が突き刺さったという妄想も消えた。
他のみんなは全て意識を取り戻し、一時の騒ぎは起こしたが、すぐにそれは過去のものとなった。
だが今崎は意識を失ったまま。死んではいない。傷もない。けれど、目が覚めない。
「イマジナー同士の戦いは、身体ではなく精神を破壊する」
真白はそう言った。
妄想による現実の干渉は、意思を持つものに対しては効果が薄い。
人は常に自我を持ち、自分が自分であるように無意識的に思考している。
そのせいで、本来現実でないはずの妄想の具現化による人間への干渉力が皆無に等しいのだ。
だから身体には影響は及ばない。
けれど、心は壊される。
今崎は再起不能となった。
俺は、そうか、と頷いた。