二話 妄想と現実
妄想は俺の生きがいでもあった。
自分の世界に入り込み、好きにそれを弄り回して理想を演じるのは自慰にも似た快楽を俺に与えた。
妄想の中では俺は何でもできた。時には故意に窮地や困難を演出し、そしてそれすらもまた妄想の力で切り抜けた。
妄想は俺から進化を奪い続ける代わりに、進化のいらない世界を供給した。
だから俺は妄想が好きだった。
妄想研究部。
すなわち、妄想を研究するのだろう。
俺はもう一度、間の抜けた返事をもって心中を露わにした。
「……は?」
「想像通りの反応だ。妄想研究部。実際には研究と少し違うけど。……ああ、入部しろ、だなんて言わないさ」
「じゃあ、どうして……」
「だって、もう君は入部してることになってる。ほら」
そう言って生徒会が胸ポケットから出したのは畳められた一枚の紙。彼女の指で見せつけられるようにして開かれたそこには、俺の名前と、妄想研究部の名と、そして生徒会の判子。
つまりはそういうことだった。
「なんで……!?」
「うんうん、その疑問も最もだ。それじゃあ由良ちゃん、説明してちょーだい」
「……はぁ」
秦野は溜め息を零した。
そこでようやく俺は彼女の下の名前が「由良」である事を知った。
不思議と頭は明瞭であった。
だが明瞭であるにも関わらず、彼女たちを理解できなかった。それが俺に焦りと恐れをもたらして、一刻も早く彼女たちを知るか、もしくはこの場から逃げ出したかった。
生徒会長は俺の手を握っていた手を離して、元いた椅子に座って、机に肘をついて、ニヤニヤとした顔で俺の顔色を伺っているようだった。
俺は喉から出すべき言葉を頭の中で探したが、上手くいかない。
だから黙って、秦野を見て、彼女たちの説明を待った。
もしかしたら、かなり馬鹿げたおふざけに巻き込まれているだけなのかもしれなかった。そうだとしたら、なんとタチの悪いことか。
生まれてこのかた激昂の記憶はなかったが、するのであれば今こそだと思った。
「妄想研究部とは……」
秦野は静かに、もしも他に誰かがいるのならば、その声の持ち主をその誰かに決めつけ、彼女は黙ったままであると勘違いするような、そんな静寂を纏った風で語り出した。
「妄想を現実に具現化させる人間、イマジナーによる世界の支配を食い止めるために結城さんが作った部活。簡単に言うのであれば、イマジナーを倒すためのイマジナーの集い。私も結城さんも、同じイマジナー」
俺は怒るなら今だぞ、と告げる脳を必死に抑え込んだ。
行動に移すには、俺は臆病だった。
彼女たちは少し、いやかなり心に病を抱えているらしい。先達者として治療法を提示しようにも、処方箋は時の流れだけ。
俺は頭を抱えた。
「イマジナー。はぁ、イマジナーね」
妄想を現実に。着眼点は悪くない。俺もかつてはそうであったら、と望んだものだ。
だが妄想は妄想のままに。現実は現実がままに。
線引きは必要だった。俺は決して妄想は現実を犯してはならないと気づいた。何故ならば、妄想は現実があってのものだからだ。
全てが理想で構成された世界は、俺の妄想の終わりでもあった。
「あなたはイマジナーの素質がある。あなたは気づいていないようだけど、あなたの周りには微弱な妄想領域、妄想を現実に具現化させる領域が広がっていた。本当に僅かな領域ではあるけれど、あなたがそれを意識して広げていないのなら話は別」
「もういい。それ以上は……」
秦野は手を突き出した。そしてそれを広げ、勢いよく握りしめた。
彼女の手には刀が握られていた。
「え……! は、いつの間に……?」
彼女が腕を振るうと、金属が空気を斬る鈍い音が鳴り、それが見間違いでないことを知らしめると、彼女の手からは刀が消えていた。
わけがわからなかった。
俺は刀の音を聞いてなお、それが幻覚や、それに近い何かだと思ってしまう。
「今この部室を私の妄想領域で包んだ。私の妄想は現実に。その影響力は妄想領域の中だけで発現する。今は刀を具現化させてみせた。領域内の貴方には見えているはず。それでも、まだ疑うの?」
もうそういう話ではない。
疑うとか疑わないとか、そんなレベルの話は彼女の実演で過ぎ去っていた。
今俺が直面しているのは、認めるか、認めないか、だ。
彼女たちの言葉が本当であるのは、まあ、疑いようもない事実であるのかもしれない。
でも認めたら、俺はどうにかなってしまいそうだった。
現実神話の崩壊。
妄想を妄想のままにしていた、それがそうであると信じ込んでいた俺の今までが全て覆されたような気さえした。
このまま何もかもを封じ込めて帰って寝て、そして朝には何もなかったように一日を迎える。
それが一番幸せだったのかもしれないが、何故か俺は目が離せないでいた。
イマジナー。妄想領域。
俺には重すぎた話だった。しかし目は逸らせなかった。
俺は秦野をじっと見つめていた。
彼女が実演してみせた妄想の具現化。現実への侵食。
俺は妄想した。
自らの手に握られている拳銃。俺はあまりその手のものに関しては詳しくなかったが、けれどそれがキチンと仕事を果たすように想像し、それが現実でもそうであるように妄想した。そしてそれを彼女たちに見せようと。
「あなた……」
秦野の目が少し見開いた。
驚きからか、息を呑む音が部屋に響いた。
それもそのはずだ。
俺の手には、妄想通りの拳銃が握られていた。