春生小屋エンデューロ《ハーレム》3
◇
ロードレーサーは、走りながらに様々な事を考えている。人によって多少は異なるものの、その根本は同じ。
――他の選手がどう動くか。
他選手の動きに対応する為、常にギアの音を聞き、疲労度を確認し、選手の位置を把握する。
それこそ、将棋やチェスのように何手も先まで予測を立てる者も多い。
しかし――
『さあ〜!レース開始から間も無く2時間が経とうとしています〜ん!戦況は未だ変わらず、誰も仕掛けず誰も動かずの硬直状態〜。もお〜!焦らしプレイ〜⁈』
まあ、言い方に問題はあるとして…現状、集団は全く変化なく、速度を維持して只ひたすらに進んでいた。
本当に、最初から全く変わらず。不気味なほどに。
三つの集団はその差を開く訳でもなく、詰める訳でもなく、まさに硬直していた。
東条達も動く様子は無い。残り時間約1時間…本当にこのまま誰も動かないのか?
いや、そんな展開はあり得ない。誰かが絶対どこかで動くはずだ。このままじゃ、将棋にせよチェスにせよ誰も何も動かしていないままの状態だ。
つまり、予測も何も立てられない。
「このまま本当に残り時間まで誰も動かないのか?…ゴールスプリント狙いか…?」
「うーん…充分にあり得るけど、もしかしたら気づいてないだけで既に誰かが動いてるのかも」
「既に…誰か…」
何かが引っかかる。
レース開始からずっとある違和感。
何だこれは?既に誰か動いてる…?いや、しかし目立った行動は……
「い、いや。違う」
「違う?何がだい?」
「気づかないか御影?俺達、この集団に入ってから……全く位置が変わってない」
「‼︎…なっ、つまり…!」
「ああ…」
誰かが動いてる…というよりは、俺達が動いていない。否、動かないように誘導されていた。
一体誰に?身体で道を無理矢理塞がれている感じはない…もっと遠く、直接ではないところから…。
前方に視線を移し、集団の状況を確認する。
と。
「…マジかよ。御影、山里ってあんなに東条達と離れてたか?」
「えっ⁈」
先頭に東条が位置している中、山里だけはその後方、集団の中間に1人、位置していた。
「なるほど、初めっから作戦通りだったのか…もしかしたら、謝罪のタイミングまでもが」
「ど、どういうこと⁈」
「分からないか?山里が後ろの選手の位置を少しずつ移動させてるのが」
「あ…。桜ちゃんの後ろの選手の列が…何か変だね。壁…みたいな…」
「後ろ選手の位置を変え、その後ろの選手の位置が変わったことによりその更に後ろの選手も位置を変える。そうやって俺達の前に、完璧な境界線を引いてたんだろう。きっと、初めからそういう作戦だったんだ」
そしてその作戦は、スタート地点で東条達が俺達より前にいる必要がある。
おそらくだが、謝罪のタイミングを俺達の準備前にしたのは、自分達が先にスタート地点に着く為。
あいつらは確か、俺達に会った時既に…ゼッケンを付けていた。
「やられたね…。けど、意識すれば抜けられない壁じゃないし、大丈夫だよ!」
「ああ、そうだ――」
と、御影と会話をしていて見ていなかった一瞬、山里がこちらを見ていたのに、俺は偶然気がついた。
チラリと見られただけだし、内容を詳しく把握した訳では無いだろうが…おそらく…バレたのがバレた。
「御影、マズイぞ。これは……っ?」
急に前の選手の速度が落ち、反射的にブレーキを少しかける。
おそらく、
「桜ちゃん、今ブレーキかけた!」
「…い、いや違う。そっちじゃないぞ御影。問題は――東条だ」
視線を山里の更に奥、東条達へと向けると、俺の予想は的中――
東条が立ち上がり、高畑を連れ、一気に加速を始めた。
「だ、ダメだ!この壁と減速じゃあ追いつけない…!」
「くっ……」
やられた――。
東条達はギリギリを狙っていたんだ。俺達が東条達の作戦に気づく、そのギリギリを。
そして気づかれた瞬間、山里による減速と東条の加速で一気に差を開け、俺達を自分達から遠ざけた…っ。
「御影、横から回って追いかけるぞ」
「う、うん!――⁈リクくん!後ろ!」
御影の言葉が終わるより少し前に、俺は横目で後方を確認した。すると、俺と同様、前に出ようとしていた選手とラインが重なってしまったのが分かった。
接触する…。落車?いや、ダメだ。ここで転けてる暇はない。
俺は車体を力で押さえつけ、移動前の位置に戻る。
(チチッ!)と、タイヤとタイヤがぶつかる音がしたが…。
どうやら、タイヤ以外はぶつかっていないらしい。助かった…。
「す、すんません!」
「いえ…こちらこそ」
横に来た選手とお互いに軽く会釈をする。
俺もだが、変ないざこざは起こしたくないのか直ぐに謝ってくれたので、この場は丸く収まった。
しかし。
「いやぁ、危なかったね。接触しなくて何よりだよ…。だけどこれで…今から追いかけるのは不可能になっちゃったね」
「ああ。差が開き過ぎた。集団から抜け出せても直ぐには東条達を捉えられないだろ――」
(パァァァン‼︎)
爆竹のような音がいきなり響き、耳が一瞬で聞こえなくなる。キーンという突き刺さるような変な音だけが頭に残っていた。
この音は聞いたことがある。絶望の音、容赦ない破壊を知らせる終わりの音。
「――!バーストした…っ」
さっきの接触か?タイヤの中のチューブが裂けた。
簡単に言えば……パンクだ。
「リクくん‼︎」
ボヤけたような感じで御影の声が耳に入る。心配そうな表情をし、ブレーキに手をかけ、止まろうとしている。
それは…ダメだ。
「と、止まるな、ホイールを交換したら直ぐに追いつく…だから、止まるな…!」
自分の声もマトモに聞こえない中、俺は必死に叫んだ。
その必死さが伝わったのか、御影はブレーキを握るのをやめ、前を向いて駆けていった。
チラリとだが、歯を食いしばってるように見えた。
「悪いな、御影…」
そう言い俺は、凹んだタイヤと共にメイン集団から離脱した。
「幸いピットエリアは直ぐそこだ。出来る限りは早く追いつく…」
いや、しかし。ホイールを変えた所で追いつけるのか?予想だが、ホイールを替える頃には俺は第三集団より後方に落ちている。
そんな状況で追いつく…?出来るのか?
様々な状況に思考を巡らせるが、どれも絶望的な結果しか予測出来ない。
打開策は……。
「桜島くん!こっち!」
凹んだタイヤとホイールで走り、ピットエリアへと到着した俺を、神無が慌てて出迎える。
その手に、驚きのモノを持って――
「な、神無?それって…」
「今は説明してる時間は無いから!早く乗って!」
「あ、ああ」
一瞬で覚悟を決め、頭が追いつかない中、俺は乗っていた機体を捨て、神無が持って来た機体へと乗り換える。
その、新しい姿をした俺の愛機に――。
「GAN Sp All13エアロタイプ。平地特化型に改造してあるから!絶対に…追いついて‼︎」
「…ああ」
俺の返事に頷き、神無が走って機体をプッシュする。その勢いを利用し、俺は全力で加速――。
凄え…軽い、速い。
バネみたいに…弾むみたいに加速する。クロモリとは比べ物にならない位に…格段に速い…!
俺の前のデータを基にセットしたであろう正確なポジション。そして、今大会仕様に履かされたであろう“ディープリムホイール”。
リムハイトを高くし、通常のホイールよりも空気抵抗を激減させる事が出来る、スプリンター用のホイール。まさかこんな兵器を付けてくるなんてな。
「…あ。秘密兵器って、これか」
どうやら神無はもしもの場合の秘密兵器として、改造した俺の機体を袋につめてきていたらしい。
きっと、こんな時の為に。
「て考えると、勘が良すぎだろ…。ちょっと怖いな」
俺は若干苦笑いをしながら更に加速した。時速は優に50km/hを超え、60km/hに入ろうとしている。
「この機体なら…」
第三集団を捉え、一気に横から抜き去る。まるで、他の選手が止まっているように見えた。
「んなっ⁈は、速い!」
驚きの声が耳に入るが、そんなのにイチイチリアクションをとってはいられない。
更にペダルに力を加え、間髪入れずに第二集団の横を通る。他の集団と差があまりついていないのを見るに、やはり第二も第三も速度的にはあまり変わらない。
「うおっ!ど、どっから出てきた⁈」
「よし!こいつに乗って第一集団に…!……って、はっ速い⁈」
一人ついて来ようとした選手がいたようだが…無理だろう。約20km/hも速度差があるのだ。
今の俺には誰も――
「くっ……!む、無理だ…」
――追いつけない。
そして遂に第一集団を目で捉えた。
さて、そろそろ“チャージ”するか。
「ったく、散々な目にあったからな……反撃、開始だ」
俺はそう言い、メイン集団へと再び合流した。
バーストするとマジで耳が潰れます。
閃光弾喰らったような感覚で、周りの音がボヤけて聞こえてくるのです。
急激に熱を帯びたりするとバーストするのです。だから…下りとか、めっちゃ危険です…




