出会い
遠くで鐘の音が鳴っている。
栄養の足りない頭でぼんやりそう考える。もう何日もまともに食事をしていない。寒いし、お腹は減っているし、喉も乾いている。
「大丈夫?疲れた?」
母が心配そうに顔を覗き込んでくる。隣で姉も困ったような、心底疲れたような顔でこちらを見る。母も姉も、同じく何も食べていないし、時には一番幼い自分を背負って歩いてくれた。ずっと自分より疲れているはずだ。
「大丈夫」
力強く答えたつもりだったが、思いのほかか細い声しか出なかった。ごめんね、もうすぐだからね。そう言って母はまた私の手を引いて歩き出す。恐らく、母にも行く当てなどないのだ。この森で、道に迷っているのかもしれない。道は通っているが、同じような景色が続いて人気はない。しかし、歩き続けるしかなかった。
「よう、何してるんだいお嬢さん方」
突然、後ろから声をかけられた。振り向くと大柄ないかにも無法者といった風体の男が一人と、その両側にニヤニヤ笑っている男が二人いた。
母はすぐに彼らが悪いものだと察したのだろう、声も上げずに私と姉の手を引いて逃げ出した。が、衰弱した体では追いつかれるのも時間の問題だった。大きな木の根元に追い詰められ、私たち姉妹を母は背に庇った。
「なに、悪いようにはしねぇ。ちょっと一緒に来てもらいたいだけさ」
相変わらずニヤニヤとした顔で、気持ちの悪い声を出す。その男たちの小汚い風体から見て、山賊というやつだろうか。
「母親の方はダメだろうが、子どもたちは高く売れそうだ。金は持ってなさそうだが、隣の国にでも連れてけば買い手はいるだろう、まだ若いようだしな」
「娘たちに触らないで、あなたたち逃げなさい」
母の声も随分かすれていた。せめてもう少し元気な時なら、どうにでも逃げられたのかもしれない。が、如何せん動きたくても動けなかった。姉はガクガクと震えている。
大柄な男が無遠慮に近づいてくる。太くて傷だらけの腕を母に伸ばす。しかし、途中でチッという舌打ちと共に手を引いた。どうやら母が隠していた懐刀を振るったらしい。母は大きく息をついている。
手を切られたことで逆上した男が、腰の剣を抜いた。驚くほどあっけなく、母は刺されて前かがみに倒れた。何だか夢の中での出来事のようで、全く理解ができなかった。血が、たくさん流れていく。
「いやあ、お母さん!」
姉がどこにそんな力があったのだろうと不思議なくらいに大声で叫ぶ。慟哭しながら、男たちに掴まれそうになったところを激しく抵抗した。そして再びあっさりと、姉までも刺された。
「兄貴、せっかくの売り物を殺しちまったら、一銭にもならないんですぜ」
「悪い、ついうっかり、あんまり煩いからな。こんなに騒がれたんじゃ、運ぶのも一苦労だ」
私は自分でもどうしてしまったかわからないくらい、動けずにいた。泣けもしないし、逃げることもできない。動かなくなった母と姉を見つめて、ぼんやりとしていた。
「さて、一番の子どもが残っちまったが、こいつだけでも運ぶか」
男たちが何事か話しながら、縄のようなものを取り出して近づいてくる。一人は母の荷物を漁っているようだ。どうしたら正解なのだろう。分からない。男たちの手元を何となく見つめていた。そうすると視界の横から、見たこともない立派な馬が勢いよく現れた。
「しまった、護衛隊か!最悪だぜ!」
男たちの顔色がさっと変わる。馬の上には輝くような鎧を身に着けた兵士がいた。顔面まで鎧で覆われていて、表情はわからない。現れたと思ったら馬上から降りて、剣を抜いた。男たちは慌てて逃げようとしたが、一瞬後には地に伏していた。全く見えなかったが、どうやら兵士に斬られたらしい。兵士の剣には、僅かばかり血が付いていた。
「大丈夫か」
剣を一、二度振るって血を払ったあと、鞘に納めながら兵士は近づいてきた。答えたいが、言葉が出ない。
「家族か。母と姉か?」
兵士は動かなくなった二人の首元を触り、小さく首を振った。もしかしたら、と思ったが、どうやらダメらしい。今になってやっと、小さく体が震え始めた。
「わたし・・・わたし・・・」
何と言えばいいのか分からず、ぱくぱくと口を動かしていると、茂みの向こうからもう一人、鎧の兵士が現れた。
「旅の者か」
「わかりません、格好を見る限り異国の者のようです。山賊に襲われたところだったようですね。一歩間に合わず、助けられませんでした。この子だけ、無事です」
「少し前から被害の報告が挙がっていたな、森を抜けるときに金品を盗られるのであったか。もう少し早く対処しておけばこんな犠牲は出なかった。済まなかったな、異国の少女」
金属の手袋をしているとは思えないほど、ふんわりと肩に手を添えられた。悪いのはあの男たちで、この兵士たちではない。そう言いたかったが、下を向いて首を横に振るのが精一杯だった。
「何があったの」
茂みの向こうには、まだ人がいたようだ。今度はよく通る美しい、少女の声がした。
「姫様!絶対に馬車から降りてこちらへ来てはなりません!」
最初の兵士が慌てたように叫び返す。どうやら思ったよりたくさんの人がいるようで、茂みの向こうで言い争う声が聞こえる。
「立てるか」
兵士が手を差し出してくる。触れていいものか、ほんの少し逡巡している間に、茂みが割れて白いドレスの少女が現れた。美しい声の持ち主は、容姿も美しいものらしい。昔、何かの絵本で見た天使そっくりの少女が、呆然と立っていた。
「なんてこと」
「見てはなりません、馬車に戻りましょう」
兵士がマントで少女の顔を覆う。きっと少女は高貴な家の人なのだろう、こんな血だらけの凄惨な現場を見ていいものではない。私でさえそう思った。
「あなた、大丈夫なの?怪我はないの」
少女は構わずマントを潜り抜け、こちらへ小走りに近づいてくる。あっと驚いている間に、少女は私の手を取った。
「この子を、私と一緒に馬車へ。震えているわ」
「姫様、連れて行くのはいいですが、馬車に一緒にというのはちょっと」
「歩けるかしら?立てる?アビナ、この子を運んでちょうだい」
先ほど私に謝罪してくれた兵士はアビナというらしい。黙って私を抱き上げる。横で、最初の兵士が色々と意見しているが少女は耳を貸さない。どうやら恐怖で失禁したらしく、私の衣服は湿っていた。数日間の汚れもひどく、急に恥ずかしくなる。運ばれながら、できるだけ小さく体を縮めてみた。アビナの横を少女が心配そうな顔をして、小走りに付いてくる。最初に母らと歩いていた森の小道に、不似合いなほど立派な馬車が止まっていた。馬車の扉は開いており、そこから真っ白な肌に銀髪の美しい人が困ったようにこちらを見ている。