出立
『ありがとう』
緑竜は礼を述べると、ひょいっと後ろを向き、何やらがそごそと探し始めた。
『おお。これだこれだ』
目当てのものを見つけ、それを器用に前足で掴むとリートに差し出した。
『持っておいき。これがないとあの島へ行くことは無理だろうから』
渡されたのは、ビンのようなものに詰められた白い粉と、水晶玉。
『その白い粉は、「緑竜の妙薬」と呼ばれるもの。水に溶かして飲めば、体力が回復する。そなたも口にしたろう?』
『あ……』
トーマスに助けられた折、飲まされた液体はこれだったのだ。
『また、粉を溶いた水で傷口を洗えば傷がふさがる。飲むにしろ洗うにしろ、粉の量は状況に応じて加減したまえ』
礼を言ってビンを受け取ったリートは、その感触に首をかしげた。
『このビン……。ガラスじゃありませんね?』
『そうだ。地球の人間どもがつくった代物で、ポリエチレンテレフタレート、とかいうものだ。軽いし割れない。だが、火に近づけると溶けるから注意しろ』
ポリエチレンテレフタレート。俗にPET樹脂とも言う。ペットボトルの材料だ。
リートは、ビン――いや、ペットボトルを持つ手に、少し力を込める。
ペコン、と音がして、へこんだ。
離すと元に戻る。
面白がってペコペコへこませて遊ぶリートに、緑竜は苦笑しながら忠告する。
『思いきり力を入れたり、何度もへこませたりしていると、へこんだまま元に戻らなくなるぞ』
あわてて遊ぶのをやめ、リートはもう一つの贈り物、水晶玉を手に取った。
『これは?』
『それは「宝珠」という。「竜の力」を込めるものだ』
『「竜の力」を込めるもの?』
『貸してごらん』
一旦渡した水晶玉――宝珠――を受け取ると、緑竜はそれに、ふうっと息を吹きかけた。
『あ……』
宝珠の中に、ふわっと緑色が広がった。
『これで宝珠の中に緑竜の力が込められた』
改めて宝珠をリートに託す。
『それを掲げて「治療」と唱えれば、瞬時にして身体の傷が治る。体力も回復する。「緑竜の秘薬」の何倍もの効果がある。ただし、3回までしか使えない』
『3回?』
『この中に込められる力には限りがある。力は使えば減る。力を満たすためには再び緑竜に頼むしかない』
『緑竜ならば誰でも力を込められるのですか?』
『緑竜だけではない。竜ならば誰でも』
『竜ならば、誰でも?』
『「竜の力」を込めるものだと言ったろう? その中に青竜なら青竜の、赤竜なら赤竜の力を込めることができるのだ』
『でも、この宝珠は、既に緑竜の力で一杯なのでしょう?』
『性質の違う力ならば込めることができるのだ。リートよ。それを持って、他の竜族に会うがいい。会って、力を込めてもらえ。あの島でそれが役に立つだろう。ただし』
『ただし?』
『竜に会えても、宝珠にすぐ力を込めてはもらえないだろう。無論、そなたの負った使命のことは、皆、知っている。
しかし、竜族は総じて我がまま、というか自分勝手というか、プライドが高いというか、とにかく「使命を負った者に協力しろ」と言ったところで聞くものじゃあない。
そなたは竜に会うたびに「試される」ことになるだろう』
『「試される」?』
『そうだ。竜に会うたびに、出会った竜のやり方で「試される」だろう。その結果、気に入ったなら、納得したなら、そのとき初めて力を込めてもらえるだろう』
『……』
『無論、竜に会わずにあの島へ行ってもらってもかまわないのだが……。それはかなり危険だ』
『……わかりました』
受け取った宝珠を両手で包み込む。
『他の竜に…会ってみます』
『そうするがいい。青竜は雷光、赤竜は火炎、白竜は疾風、黒竜は大地、そして銀竜さまは浄化の力を、それぞれ授けてくれるだろう』
「ついでに」
うなずくリートの横から、トーマスが声をかけた。
「オグマの竪琴をくれてやってはくれまいか」
『オグマの竪琴を?』
緑竜が聞き返す。
「この子にはそれだけの才がある」
『……聞かせてもらおうか』
トーマスは黙って、己の竪琴をリートに差し出す。
「でも……」
流石にためらうリート。
習い初めて三月半、自分の技量が人に聞かせるようなレベルに達している自信など、ない。
「大丈夫だ」
トーマスの言葉に、意を決して竪琴を受け取り、構える。
緑竜は軽く目を閉じ、歌を鑑賞する姿勢をとった(ように見えた)。
リートは、大きく深呼吸をすると、最初の一音を弾き出した。
ターンッ…………
弾き始めると、心は自由になった。
旋律に合わせて、心を飛ばし、歌う。
高く
低く
強く
弱く
軽やかに
豊かに――
竪琴が、最後の音を弾き、鳴り止んだ。
静寂が辺りを包む。
小鳥の声まで、止んでいた。
やがて。
緑竜は後ろを向くと、蛇の意匠を施された竪琴を取り出し、リートに手渡した。
『その竪琴は、昔地球で「詩歌の神」と称されたオグマの愛用品。彼の歌に感動したドワーフの名匠が作り上げた竪琴だ。そなたなら、使いこなせよう。人に奏でられてこそ、竪琴だ』
リートは、頬を上気させてそれを受け取った。秘薬よりも宝珠よりも、この竪琴をもらったことの方が嬉しかった。
『他の竜たちがどこにいるのか、残念ながら私にも良く分からない。我らはあまり交流がないのでね。だが、そなたなら捜し出せるだろう。が、とりあえずは月神殿に向かうべきだ』
『月神殿?』
『月神殿の地下には、昔人間どもが乗ってきた植民船が埋まったままになっている。その中には人に関する膨大な知識が眠っている。そこでしばし、人のことを学ぶがいい。そなたはこれから、人の世界を旅していかねばならぬのだから』
『人の、世界……』
『月神殿まで送ろう。我が背に乗るがいい』
そういうと緑竜は、身を起こした。が。
「ちょっと待ってくれ」
トーマスがそれを止める。
『何だね?』
「この子がこれから人の世界を旅して行かねばならぬのであれば、その耳をなんとかした方がいい」
『あ……』
小さく声を上げ、リートは己の耳に触れる。
形はエルフ、大きさは人より少し大きいくらい。
ハーフエルフの証だ。
『ふむ。確かに』
緑竜はうなずくと、しばし考え込んだ。
やがて。
『そうだ。ちょっと待て』
後ろを向くと、再び何やらゴソゴソとかき回す。
『ふむ。こんなところかな』
振り向いてリートに手渡す。
『サークレット?』
『そうだ』
与えられたサークレットをしみじみと眺めるリート。
安物とも思えないが、高価にも、特別な仕掛けがあるようにも見えない。
『言っとくが仕掛けなんかないぞ。ただのサークレットだ』
観察の結果を緑竜が保証した。
「ああ。成程」
緑竜の考えを察したトーマスが、リートの手の中のサークレットを掴む。
「つまり、こういうことだな」
言いながら、サークレットをリートの額に嵌める。
『イタッ!』
パチンッとサークレットの腕が、リートの側頭部と同時に尖った耳の先を押さえ込んだ。
「で、こうすると」
リートの台詞を完全に無視して、トーマスは押さえ込まれた耳の上に豊かな銀髪を垂らした。
『そういうことだ。それで取り敢えず、耳は隠れる』
『……』
リートは無言で耳をさする。まだ痛い。そう訴えたが
『そのうち慣れる』
緑竜は一言で片付けた。
緑竜は、己の背中でリートが体勢を整えたのを確認すると、その大きな翼をバサッと広げた。
あっというまに天へと高く舞い上がる。森で見送ってくれているはずのトーマスの姿はもう見えない。
手にした袋をギュッと握り締める。中に『緑竜の妙薬』『宝珠』『オグマの竪琴』の3つが入っている。
額を飾るサークレットに、時々無意識に手を当ててしまうのは、しばらく仕方ないだろう。
耳元で風がうなる。
緑竜の住む森はレムラード大陸の赤道近く。向かう月神殿はゴルボア大陸の赤道直下。
ちょうど星の裏側だ。いかに竜族と言えども、この星を半周するには数時間を要する。
吹きすさぶ風に――正確には吹きすさんでいるのは風ではなく緑竜だが――どんどん体温が奪われる。
リートが単なる『人』であったなら、月神殿につく前に凍りついていただろう。
頭上には吸い込まれそうな青い空。眼下には飲み込まれそうな青い海。その中を駆ける緑竜。
風に、全身がほどけていく。銀色の髪が、光を受けてキラキラと輝く。
かなりの時が過ぎて、ようやく緑竜が高度を下げ始める。
左右対称の建物が見えた。
『あれが月神殿だ』
緑竜が空の旅の終焉を告げた。