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緑竜

 トーマスは森の中の小さな丘の前で歩みを止めた。


「遅くなった」


 丘に向かって話しかける。


 途端に、丘が動いた。


 いや、それは丘ではなかった。


 リートは目を丸くした。


「り……緑竜 」


『そうだ』


 答えは、人ならざる者の言語で返された。


 ゆっくりと振り向いたのは、森に住まう知恵袋。


 緑竜。


 性質は穏やかで、礼を尽くせばその膨大な知識のひとかけらを手にすることもできるという。


『ようこそ、リート。人であって人でなく、エルフであってエルフでない者よ』


 リートは呆然とその場に立ちすくんだ。圧倒されていたのだ。緑竜に。

 竜族の持つ『(パワー)』に。


「これが答えだ」


 トーマスが告げた。


「私は彼に頼まれただけだ。『行き倒れているハーフエルフを助けて欲しい。名はリート』と」


 リートは驚いてトーマスと緑竜を交互に見やる。誇り高き竜族が、取るに足らないハーフエルフの命乞いをしたなど、どうやって信じろと言うのだ?


『まあ、お座り』


 混乱しているリートに、緑竜は優しく話しかけた。


『話してあげよう。納得のいくように。だからお座り』


 重ねて言われて、リートはその場に腰を下ろした。その横にトーマスも座り込んだ。


『リート。実はそなたにやって欲しいことがあるのだよ』


『僕に?』


『そうだ。そなたにしかできぬことなのだよ』


『僕に、しか……?』


 緑竜はゆっくりとうなずくと、ゴソゴソと身体を動かし、楽な姿勢ーーなのだろう、多分ーーになって語り出した。


『幻竜さまが、長い眠りについておられることは知っているね?』


『はい』


『どこで眠っておられるかは?』


『いいえ』


『そうだろう。実は、我々もつい最近ようやく知ったのだ。実にとんでもないところだったよ』


『とんでもないところ?』


『南海の孤島』


『え……ッ』


『そう、悪しき気が封じられているあの島だ。おかげで精霊王も妖精王も、幻竜さまの寝所に近寄れぬ』


『銀竜さまは?』


『確かに、竜王である銀竜さまなら悪しき気の影響を受けることはない。しかし銀竜さまは……。今の銀竜さまのお身体は、何千年という時を重ねておられるのだ。もう、空を飛ぶことさえままならぬと聞いている。本来なら幻竜さまのお力で、幼竜に生まれ変わる時期なのだ』


『幼竜に生まれ変わる?』


『銀竜さま以外、我々緑竜や青竜などは、それぞれ卵から産まれ、成長し、伴侶を見つけ、また卵を産む。しかし、銀竜さまはこの世にお一人。身体が年を取り、自由が利かなくなると、また再び幼竜からやり直すのだ』


『そんなことができるの?』


『幻竜さまのお力でな。だが、その幻竜さまが眠りについておられる今、銀竜さまのお身体は年を重ねるばかり。もしこのまま幻竜さまのお目覚めがなかったら、銀竜さまは、あるいはそのお命、失うことになるやも知れぬ』


「幻竜さまはご自分でお目ざめになることはないのかね」


 トーマスの問いに緑竜は肩をすくめた(ようだった)。


『普通なら、とうにお目覚めになっておられる。なのにお目覚めになった気配がない。それ故、我々は幻竜さまがどこに眠っておられるのかを探したのだ』


 トーマスの人の言語での問に、緑竜は人ならざる者の言語で答えた。どうやら、トーマスは人ならざる者の言語を聞くことはできるが話すことはできないらしい。なお、竜族は人の言語を聞くことはできるが話すことができぬ者が多いと言う。発声器官が違う所為かもしれない。


『そしてつい最近ようやく探しあてて、納得した。あの島におられるのでは、お目覚めになるはずがない、と』


『何故?』


『幻竜さまは卵の中で眠られる。眠っておられるときの幻竜さまは無防備だ。卵は外部から幻竜さまを守る。幻竜さまがお力を取り戻され、なおかつ外部に危険がなくなったそのときに、卵はひとりでに割れる。だが、今、卵のまわりは悪しき気で満たされている。卵が危険を感じるのはその気配によってだ。悪しき気は卵に危険を感じさせる。悪しき気がなくならぬ限り、卵は割れぬ。卵が割れなければ幻竜さまはお目覚めにならない』


 そこまで話すと緑竜はふうっとため息をついた。トーマスとリートが危うく飛ばされそうになる。緑竜はそれに気づかず、続けた。


『本来なら、悪しき気はすでになくなっているはずなのだ。ところが悪しき気をあの島に封じたとき、どうやら何匹かの妖精を同時に封じてしまったらしい。彼らは悪しき気に染まり、自ら悪しき者と化し、悪しき気をふりまき続けているのだ。今でもな。それ故、あの島はいまだに悪しき気で満たされている。シルフによる結界の所為で、島の外に出ることはかなわぬが』


『それで……僕に何を?』


 返ってくる答えを半ば予想しながら、リートが尋ねる。


『そなたに幻竜さまのところへ行って欲しいのだ』


 予想通りの答え。


『どうして…僕なんです? 他のエルフや竜族の誰かでなくて』


『幻竜さまにお会いできるのは精霊王と妖精王、そして銀竜さまだけなのだよ』


『それは聞いたことがあります。でも僕にだって、幻竜さまにお目通りできる資格はありません。第一この際、資格の有無なんて……』


『ああ……。そなたは勘違いをしている』


『え?』


『幻竜さまにお会いできるというのは、正確に言うと幻竜さまにお会いするだけの力を持っている、ということなのだ』


『ち……から?』


『そうだ。力だ。精神力と言い換えてもいい』


『精神力……』


『幻竜さまの力はとてつもなく強大なもの。並のエルフや竜族ではとても相対することなどできぬ。ちょうど、人間が太陽を直視すると目がつぶれてしまうのと同じように、我々が幻竜さまの側近く寄ると、精神がつぶれてしまうのだ。その圧倒的な「(パワー)」によって。それに耐え得るだけの精神力を持つ者は、精霊王、妖精王、銀竜さまだけなのだよ』


『だったら、なおさら僕なんて。僕は……出来損ないの混血児です』


『だから、良いのだ。好都合なのだよ』


『え?』


『盲目の者には太陽の眩しさも意味がない』


『……つまり、僕なら鈍いから大丈夫ってことですか?』


『そうとも言う』


『………』


『そなたの半分は人。人は幻竜さまの精神力、感じることはあってもつぶされることはない』


『でも、半分はエルフです』


『だから、良いのだ。完全に人であってはあの島で幻竜さまの眠られる場所を探す事かなわぬ。あの島は、悪しき気に染まりし悪しき妖精で満ちている。人ならざる者の言語を解し、妖精のことを良く知るものでなければ、彼らを退けることは難しい。また、人が万が一彼らを退け幻竜さまの眠られる場所を捜し当てられたとしても、幻竜さまを目覚めさせることはできぬ。幻竜さまの卵は、人ならざる者の言語にのみ反応するのだから。そなたは誠に好都合なのだよ』


『好都合……』


『どうだろう、この使命、引き受けてはくれぬか?』


『……』


「幻竜さまを目覚めさせて、どうするつもりかね」


 トーマスが問う。


『まずは、銀竜さまを幼竜に生まれ変わらせてもらわねばならない。それから……』


 緑竜は、チラリとリートを見ながら、続けた。


『新天地を目指す』


 緑竜の答えがリートの全身を打った。


(新天地を……目指す………)


 精霊も、竜族も、妖精も、幻竜さまの作った次元トンネルをくぐり抜け、この星にやってきた。


 カラムじいは、そう言っていた。


 成程、幻竜さまが目覚めぬ限り、精霊も妖精も竜族も、新天地へ赴くことはできない。


 しかし。


 精霊が、竜族が、妖精が、新天地を目指したら。


 そしたら……。


 そしたら……?


 それに。

 何故、今、新天地へ向かおうとする……?


『何故……今、なんですか?』


 とりあえず後の疑問から先に口にする。答えが予想できる質問は、予想できるだけに、しづらい。いや、したくない。


『どうして新天地を目指すのです? 人はまだ、エルフを、自然を、忘れてはいないのに』


 カラムじいは言った。

 人が、わしらを、自然を、忘れてしまったから、地球を離れた、と。


『そう、忘れてはいない。今はまだ。しかし、忘れるのはそう遠い先ではない』


『でも、どうして……』


『リート、そなたの育った森に、そなたより年下の者はいたかね? 外見上は別にして、だが』


 逆に問われてリートは口ごもった。記憶を手繰る。そしてあっと小さく声を上げた。


『……いません』


『そうだろう。ここ数十年、いや、数百年、妖精に子供はほとんど生まれていない。竜族も同じようなものだ。精霊は……まあ、あいつらは我らと違うからな。増えも減りもしていない』


『……』


『しかし我らは、減っているのだよ、固体数が。妖精も竜族も長命なため、気づいている者は少ないが。しかしこのままいけば、絶滅する。だから新天地へ行くのだ』


『新天地に行けば増えるのですか?』


『このままこの地に止まるよりはマシなはずだ。ただでさえこの星は地球よりも小さい。その小さな星に、人が爆発的に増えている。人が多くなれば、その分我らは減る。惑星の表面積には限りが有る』


『でも、人は極点には住めません。地中にも』


『今はまだ、そうだ。しかし、やがて人は極点にも地中にも住み始める。地球がそうだった』


『……』


『今のうち、なのだよ。今ならまだ、間に合うのだ。間に合ううちに、新天地へ向かわなくてはならないのだ』


『……』


『リート、引き受けて欲しい』


『……』


『リート』


『……でも』


『……?』


『でも、僕は新天地に行くことができない』


『………』


『そうでしょう?』


『………』


『はっきり、おっしゃってください』


『……その通りだ』


 リートはうつむき、唇をかんだ。質問、ではなく断定の形で述べた方が衝撃は少ないと思ったのだが、あまり変わらないようだ。


(新天地に行くためには幻竜さまを目覚めさせなくてはならない。幻竜さまを目覚めさせることができるのは僕だけ。


 でも、僕は新天地には行けない。この星に一人、残される。もし新天地に行けなければ、父さ……、妖精や竜族はやがて滅ぶ。


 でもそれは、僕の寿命が尽きるそのずっと後のこと。僕が生きている間に滅ぶことはない。彼らの方がずっと長生きなのだから。


 でも、僕が死ねば、幻竜さまを目覚めさせることができなくなる。僕の後に、僕のような混血児は生まれるだろうか。


 エルフも竜族も新しい命がなかなか生まれない。ましてや混血児なんて、生まれるだろうか。


 生まれたとしても、使命を負うだろうか。でもそれは、僕が死んでからの話。僕自身には関係のない。


 でもそうしたら父さ……、エルフは……)


 堂々巡りの思考はやがて、一つところにわだかまる。


(僕は取り残される。この星に。たった一人で残される。人でもエルフでもない中途半端な僕は、新天地に行けない。残される。たった一人で。たった……)


 ビーン


 いきなり竪琴が鳴った。


 驚いて顔を上げるリート。


 トーマスの竪琴が歌っていた。


 澄んだ音が森に響く。


 旋律がリートに語りかける。


 高く。


 低く。


 強く。


 弱く。


 ゆっくりと。


 ゆったりと。




 どのくらい、その音色に耳を傾けていたのだろう。


(ああ……)


 リートは、ふっとほほ笑んだ。


(死のうと……してたんだっけ)


 肩から力が抜ける。


(だったら)


 目を閉じ、しばし自分の想いに沈む。


(意味が、あるのなら)


 自分で自分を抱き締める。


(こんな僕にも、生まれてきた意味があるのなら)


 父親の顔が浮かぶ。


(こんな僕でも、父様の役にたてるなら)


 ゆっくりと、目を開ける。


(できるかどうか、わからないけど)


 ふいっと、顔を上げる。


(僕にしか、できないのなら……)


 竪琴が止んだ。リートが緑竜に向き直る。


『お引き受けします』


 少年が大人の顔になった。

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