青竜
カイラーサ山脈。
それはゴルボア大陸の背骨。南北に連なる連峰。
レジイクを砂漠の瘴気から守ると同時にシグールトへの道を阻む障壁。
絶壁を超える翼を持たぬ者、岩場を駆け上がる蹄を持たぬ者にとっては、ただ見上げる対象でしかない壁。
その斜面を、二つの人影が登っていた。
正確には、二人と一匹。
ハーフエルフの吟遊詩人、リート。
魔剣の解放者にしてその犠牲者、月神殿育ちの孤児、アドリアル・ジ・フロイデ。通称アド。
そして赤竜の仔、メラ。
彼らは今、そのカイラーサ山脈の頂上を目指している。そこに住むはずの青竜に会う為に。
そそり立つ岩壁に貼り付くように、登る二つの影。
「リートぉ………。休憩しようぜぇ………」
影の一つが音を上げた。
「またですか?」
リートは歩みを止め、数メートル後ろの岩場にしゃがみこむアドを振り返った。
「先刻休憩したばかりでしょう?」
「あのな………。てめえの体力が…………標準って…………思うなって………言ったろぉ?」
荒い息を吐きながら、額の汗を拭うアド。夏の日差しは流石に厳しい。
「自分が……………人間じゃねえってこと……………忘れんなっての…………」
「忘れてるつもりはないんですけど」
「だったら…………人間に、あわせろ……………」
「あわせてるじゃないですか」
苦笑しながら、リートはアドの側に歩み寄った。
「私とメラだけなら、とっくに頂上に着いてます」
うんうん、と、リートの左肩で赤竜の仔が肯く。
「ここは険しくて、流石に人間には辛いだろうからって、荷物も全部、私が持ってるんですよ?」
「とにかく、休ませろ…………」
「はいはい」
クスクスと笑いながら、リートはアドの隣に坐りこみ、自分の影でアドを覆った。
(本当は驚いているんですけどね。アドの体力に)
実際良く頑張っている、と思う。
休憩しながらとはいえ、ここまで自力で登ってこれるだけ、大したものだ。
「おぶっていきましょうか?」
「ヤダ!」
登り始めてから何度か繰り返された提案は、やはり即座に却下された。
「負けん気だけは一人前ですね」
「…………………ほっとけ」
「ふふ……。さ、どうぞ」
笑いながら、リートは荷物の中から水筒を取り出し、アドに差し出した。五分の一程度水が残っている。が。
「…………いいよ」
アドはそれを押し返した。
「どうして? 水分は補給しないといけませんよ」
「そうだけど、この辺、水、ないんだろ? それ、飲んじまったら……最後、だろ?」
確かに、ここカイラーサ山脈には殆ど水がない。
そもそも川と呼べるものは流れていないし、草木もあまり見かけない。不毛の岩山だ。
手持ちの水がなくなれば、それを補給するのは至難の業。と、いうより不可能だ。
「大丈夫ですよ」
しかしリートは、にっこり笑って水筒をアドに握らせた。
「水はたっぷり持ってきています。それに、私もメラも、人間ほど飲む必要はありませんから」
言いながら袋の口を開いてみせる。中に同じような水筒が五つ入っているのを確認すると、アドは、息も付かずに、渡された水筒の水を飲み干した。
「一つ、聞いていいか?」
ややあって、少し落ち着いたアドがリートに尋ねた。
「何でしょう?」
「メラに先に行ってもらって、青竜に迎えに来てもらうってわけにはいかないのか?」
「何言ってるんです。自力で自分の処に来られないような者に、竜族が力を貸すはずがないでしょう?」
「だけど赤竜は迎えにきたんだろ?」
「ええ。おかげで4ヶ月半(地球歴で約半年)も足止めされましたよ」
リートは、言ってから後悔した。足止めされた結果、引き起こされた惨劇を連想してしまったから。
アドの表情も暗くなる。リートはあわてて、彼の背中を軽く叩いた。
「さ、ここまで来たらもう少しです。頑張っていきましょう」
「………………その台詞、7度目」
「おや、そうでしたっけ?」
すっとぼけて、あさっての方を向くリート。
「しょーがねーなあ、じじいは。耄碌しやがって」
「はいはい。じゃ、若者は若者らしく元気に歩いて下さいね」
「てめえが、じじいらしくヨタヨタ歩いたらそうしてやる」
いつもの軽口を叩きながら、二人と一匹は、再び頂上目指して登り始めた。
「ふはぁぁぁぁぁ…………」
頂上に着くなりアドは体中でため息を吐き、その場に座り込んだ。
「やぁぁぁっと………着いたぁ………」
言いながら大の字に寝そべる。
「何がもう少し、だよ…………。もう、夜中じゃねぇか……」
天高く、赤の月が輝いている。
「長い人生と比較すれば、ほんのわずかな誤差ですよ」
「…………………言ってろ」
言い返す元気も使い果たしたらしい。
「とにかく、今日はここで野宿ですね。青竜の住処へは明日、向かうことに……おや?」
アドは既に眠り込んでいた。リートは苦笑しながら、荷物から薄い毛布を引っ張り出し、アドに掛ける。
「おやすみなさい」
ピィッ、とメラが一声鳴いた。
「うわっ! 絶景!」
翌朝、一晩眠ってすっかり元気を取り戻したアドは、周囲の景観に感動の声を上げた。
「登ってる時はわかんなかったもんなぁ……。頂上に着いたのは夜中だし」
頬を上気させながらくるくると辺りを駆け回る。
『ガキ……』
メラの、人ならざるものの言語による呟きに、つい吹き出す。
仔竜にガキ呼ばわりされていれば世話はない。
「何笑ってんだよ」
「いえ、別に……。はい、朝ご飯」
「お、サンキュ」
携帯食量と水だけの簡素な朝食を済ませると、二人と一匹は青竜の住処を探し、歩き始めた。
「なぁ、リート。大体の場所の見当は付いてるんだろ?」
「ええ。ただ、本当に『大体』なので……」
「まさかと思うけど、この辺を闇雲に歩き回って、ばったり出くわすのを待つとか言うんじゃ……」
「近いですね。ま、『闇雲』じゃありませんけど」
「『近い』って、おい」
「一応、目印はあります」
「目印? あ、もしかして、青竜っていうくらいだから水辺に住む、とか?」
「残念ながら、はずれです。その逆です」
「逆?」
「彼らが住むのは乾燥地帯なんですよ。砂漠とか、不毛の荒野とか」
「乾燥地帯って……………」
改めて周囲をぐるりと見回すアド。
「ここって、全体が不毛の岩山じゃ………」
「そのとおりですねえ」
「あのなあっ! ンなもん目印にする気かよっ!」
「そんなわけないでしょう?」
「…………」
「『水辺に住むのか』って聞くから、彼らが好んで住む場所を答えただけですよ。目印は別です」
「……………あ、そ」
脱力。しかし気になるので重ねて尋ねる。
「で? 何なんだよ、その目印って」
「『匂い』とでも言いましょうか」
「匂い?」
「青竜は雷光を操ります。その所為で、青竜からは独特の『匂い』が、発せられているんです」
要するにヤツの周囲の空気がイオン化してるって訳さ、と、以前出会ったドワーフは言っていた。
リートには何のことだか、さっぱりわからないのだが。
「匂いねえ……」
「匂いというか、気、というか。ま、何にせよ、『空気が違う』そうですよ」
「雷の匂い……っていうか、予感ってヤツかな? 雷が鳴る前に肌がピリピリするような、あんなカンジ?」
聞かれて逆に驚いた。
アドの肌感覚は野生の獣並らしい。
だが、口に出したのは、ただ一言だった。
「多分、そうだと思います」
「近いな」
「ですね」
数時間後、確かに『空気が違う』のを感じた一行は、その『匂い』の方向へと進んでいった。
ほどなく、重なり合った岩の向こうに、コバルトブルーの鱗を見出す。
「着いたようですね」
リートの言葉に、アドは生唾を飲み込んだ。彼が成竜に会うのはこれが初めてだ。
「あれが、青竜?」
岩陰の青い輝きをそっと指差す。
「ええ、そうです」
「きれいだなあ……」
ほうっと息を吐くアド。
「そうですね」
肯くリート。
「青竜の鱗は、竜族の中でも一二を争う美しさだと言われています」
「へぇ……」
その会話が聞こえたのだろう。
ゆうるりと、青竜が振り返った。
「人の言語でいいぞ。そこに人間もいるみたいだしな」
青竜は開口一番、人の言語でそう言った。
「お気遣い、有り難うございます」
優雅に腰を折るリート。アドも、慌ててそれに倣う。
「お初にお目にかかります。我が名は」
「リート、だろ? 話は聞いてる。お前の使命って奴もな」
「何だ、だったら話、早いじゃん」
横からアドが口を出す。
「なら、サッサとあんたの力、水晶に込めてくれよ」
「アドッ!」
恐れを知らぬ物言いに、流石のリートも慌てて制止の声を上げた。しかし、
「ふぅん。お前、アドってのか」
青竜はなにやら嬉しそうだ。
(というより、面白がっている?)
リートは反射的に身構えた。竜族が「面白がる」時は、ろくな目に会わない。それは黒竜に対峙した際、散々思い知らされている。
「込めてやってもいいが、無料じゃなあ」
「ンだよ、ケチ」
「おいおい、代価なしで商品を受けとろうってのか?」
「まぁ、そりゃそうだなあ」
その横でアドは、リートの様子には気付かずに、マイペースで話を続けている。
「で? 何やれってんだよ。代価って、いわゆる金じゃないだろ? 竜族には意味ないもんな」
「当たり前だ」
「何と引き換えなら、力、込めてくれるわけ?」
「そうだなあ」
にやり、と笑う青竜。嫌な予感に、リートは微かに眉をひそめる。
「アドとやら、お前さんってのはどうだい?」
「……………………へ?」
「だからさ、お前さんの身柄と引き換えに力を」
「お断りしますッ!」
皆まで言わせず、リートはアドと青竜の間に割って入った。
「そのような代価、支払う訳にはいきません!」
「おいおい、そうムキになるなよ。別に取って食おうってわけじゃないぞ。巣の掃除やら、俺自身の掃除やら、してもらおうってだけだ」
「要するに奴隷としてこき使うって事でしょう?」
「そういう言い方されちゃあ、身もフタもないなあ」
「言葉を飾ったところで同じこと。あなたに奴隷として捕らえられたら最後、一生死ぬまでこき使われることは確実。そのような代価、支払えません」
「と、リートは言ってるが、アド、お前さんはどうなんだい?」
青竜の言葉に振り返り、アドの浮かべている表情を見たリートは愕然とした。
「アドッ!」
思わず、その両肩をつかむ。
「馬鹿なことは考えないで下さい! あなたが犠牲になる必要なんてないんです!」
「でも」
「『でも』も『だって』もありません! いいですね。この件はこれで終わりです。さ、帰りましょう」
「ほう。力、込めなくていいのか?」
「すでに緑竜、赤竜、白竜、黒竜の力、お借りしています。あなた一人分くらい、力が足りなくてもどうにかしてみせます」
「危険だぞ」
「かまいません。さ、行きましょう、アド」
「待ってくれ、リート」
腕を掴んで立ち去ろうとするリートの手を振り払うと、アドは青竜に向き直った。
「俺が残ればいいんだろう?」
「アドッ!」
「いいさ。俺なんかでいいなら、あんたに使われてやるよ。殺されるってわけじゃないんだろう?」
「何を言ってるんです! 一生ここにいる気ですか!?」
「それでリートが助かるんだろう? だったらいいよ」
「馬鹿なこと言わないで下さい! 第一、ジル君との約束はどうするんです!?」
ピクン、とアドの身体が揺れた。
「約束したでしょう? 必ず帰るって」
「約束したなあ、確かに」
「だったら」
「ジルにはさ、リートから謝っといてよ。約束やぶってごめんって」
「な……ッ」
「アイツ、最初は怒るだろうけど、でも、きっとわかってくれるから」
「嫌です」
「リート?」
「そんな伝言、嫌です。ええ、絶対、引き受けませんからね!」
「リート……」
「なんで……なんでそんなことが言えるんです? これはエルフの……妖精と竜族と精霊の問題ですよ? それなのに、なんで自分が犠牲になるなんて、言えるんですか!?」
「ンなの、決まってるだろ?」
アドは、リートに向き直ると、ニッコリと微笑んだ。邪気のない笑顔に、瞬間、リートは息を呑む。
「俺、リートのこと、好きだもん」
「………えっ?」
「エルフだの竜族だのの事情はどーでもいいけどさ、リートの役に立つんなら、それでいいんだ」
「アド……」
「いいだろ? 役に立たせろよ」
「………………くありません」
「え?」
「良くありません! そんなことされても、全然、嬉しくありませんッ!」
叫ぶと、リートはガバッとアドを抱きしめた。
「……リート?」
「私が……私が何故あなたと一緒に、旅に出たと思っているんですか? 私の役に立たせる為? とんでもない!」
「リート……」
「最初は確かに『アンディの育てた子だから』って思ってました。それは否定しません。でも、今はもう、そんなの関係ありません。私だってあなたが好きなんです! なのに、そのあなたを犠牲にして行けと言うんですか!? そんなことが、もし立場が逆なら、あなたなら出来るとでも言うんですかッ!?」
「!……………」
「行きましょう。青竜の力なんていりません。そんなものなくたって、何とかしてみせます」
リートはアドを解放すると、青竜に向き直った。
「お騒がせしました。我々はこれで失礼します。では」
竜族に対し終始恭しく応対していたリートにしては、乱暴、とも言える挨拶を投げ捨て、アドの腕を取って歩き始める。
「合格!」
その背に、青竜の声が響いた。
「…………………は?」
「合格って言ったんだ。ほれ、水晶よこせ」
「はぁ………」
茫然と顔を見合わせるアドとリート。
「悪いな。今のが俺流の試験って奴でね」
「試験……」
「はいそうですかと友を差し出すようじゃ失格。誰が犠牲になんかなるものかと言えばこれまた失格。ってわけで、合格だよ、お前ら」
「………………そういうことかよ」
がくりと肩を落すアド。
「ったく、人が悪いよなぁ……」
「…………人のいい竜族って見たことないです」
「ハハハハハ!」
青竜の豪快な笑い声が晴れ渡った空に響いていった。
『リート、お前ハーフエルフだよな』
水晶に雷光の力を込めると、青竜はリートに尋ねた。わざわざ人ならざる者の言語で。
『はい』
『でもって、あいつは純粋な人間だな?』
『はい』
『大事にしろよ。種族を超えてあそこまで親身になってくれる友なんてのは、そういないぜ』
『そんなこと』
リートは優雅に微笑んだ。
『あなたに言われるまでもありません』
青竜もほのかに笑った(ように見えた)。
「で? お前ら、次、どこに行くって?」
青竜が人の言葉に切り替えて問いかける。
「アネルヴァルドに戻ります。そこのドワーフに依頼している物があるので、それを受け取りに」
「アネルヴァルド……ってそりゃまた、遠いなあ。この惑星のほとんど反対側、じゃないか」
「はい」
「よし、送ってってやるよ」
「ええ!?」
驚くリートの横で
「マジ!? やった!」
単純に喜ぶアド。
「そう警戒すんなよ吟遊詩人。ま、悪趣味な試験の詫びってとこだ」
「……そういうことでしたら」
「とはいえ、あんまり人の目には触れられたくない。ルーフ連峰まででいいな?」
「充分! なんだ、あんた、意外といい奴ジャン!」
「あのね、アド……」
「意外ってのはなんだ、意外ってのは」
「意外だから意外」
「てめぇ、食っちまうゾ」
「俺なんか食ったら腹こわすぞ」
「安心しろ。俺の腹は丈夫だ」
(……おやおや)
苦笑しつつ、リートはいつぞやのジュリオンの言葉を思い出す。
――アドは普通の少年です。ただ一つ、他と違う点があるとすれば、「人にも人以外のものにも好かれる性質」を持っているということ。
(なるほどね)
一人と一匹の掛け合い漫才のような会話を聞きながら、リートは一人、納得していた。
「あ………。もう見えないや」
「青竜の鱗は空の色ですからねえ」
ルーフ連峰の中腹で、二人と一匹は青竜の消えた方角をじっと凝視めていた。
「なあ、リート」
「はい?」
「今、思うとさ、俺たち、むちゃくちゃ恥ずかしいこと、言ってなかった?」
「うっ…………思い出させないで下さい!」
「あれじゃあまるで、なんかの告白…………」
「だから! 思い出させないで下さいってッ!」
「あ、自覚はあるんだ」
「そりゃ、ありますッ。………っていうか、お互い様でしょう?」
「いや、まあ、そうだけど………」
「そうだけど?」
「嘘じゃないから」
「わかってます」
リートの表情が、フッと、柔らかくなる。
「私も、嘘じゃ、ないですから」
「うん。わかってる」
顔を見合わせ、クスリと笑う二人。
「でも、恥ずかしいから、やっぱ、なかったことにしない?」
「同感です」
「ぢゃ、そーゆーことで」
くるりッとアドは踵を返した。
「早く行こうぜ! アネルヴァルドに!」
「ピィッ!」
その後をメラが追う。
「そんなに走ると転びますよ」
くすくすと笑いながら、リートが彼らに続く。
目指すはアネルヴァルド。
ドワーフに製作を頼んでいた『聖剣』は、もうとっくに出来上がっているはずだった。




