昔話
「あの子かい?」
「あの子さ」
「人の子」
「でも、長の子」
「母親は?」
「死んだ」
「殺された」
「人に」
「何故?」
「生んだから」
「あの子を」
「人にとって忌むべき者」
「我らにとっては…?」
「さあて、ね…」
森の民が囁く中、赤子であった『長の子』は、やがて少年になった。
人の子の5倍以上、エルフの10分の1以下の時間をかけて。
しかし、『長の子供』に相応しき力は未だその片鱗さえ現れず、森の民の一部は既に、少年に『出来損ない』のレッテルを張っていた。
だからといって彼を粗野に扱う訳ではない。『出来損ない』でも『長の子供』には違いないのだ。
森の民は皆、敬意を持って少年を扱った。が、そこに優しき感情が含まれることは滅多になかった。ジュリオン以外は――
「おや?」
その日、聖域にいくつかある泉に住む年老いたエルフは、何百年振りかの来客を迎えた。
「お前、誰だい?」
問われた少年は、キョトン、とした顔で、エルフを見下ろしている。
「お前、誰だい? エルフでもなきゃ、人でもない……。ああ、そうか」
重ねて問うたエルフは、少年が答える前に解答を見いだした。
「森の民の長の息子ってのはお前だね」
コクン、と、少年がうなずく。
「名は?」
フルルッ、と、少年が首を横に振る。
「まだ、ないのだね」
ふたたび、コクン、とうなずく少年。そして問うた。
「飲んでも、いい?」
「喉が渇いているのだね。いいとも。好きなだけお飲み」
許可を得て少年は泉の水に口づける。コクコクコク、と存分に飲み、フウ、と息をつくとその場に少年は腰を下ろした。
「おじいさん、だあれ?」
「わしか? わしはただの年老いたエルフさ。カラムじいと呼ぶがいい」
「カラムじい?」
「そうだ」
「カラムじいは、ずっとここにいるの?」
「そうさな。この惑星に来てから、10度季節が巡った頃から、だな」
「この惑星に来てから?」
「おや………。ではまだ知らぬのだね。わしらはもともと、この惑星――フリームと呼ばれるこの惑星の者ではないのさ。それは人も同じだ。昔々、我々は『地球』と呼ばれる惑星にいた」
「なんでここに来たの?」
「『地球』に住めなくなったんでね」
「なんで住めなくなったの?」
「地球の人々が、我らの存在を、自然を、忘れてしまったからさ」
「今、この惑星にいる人たちと一緒に来たの?」
「まさか。彼らは後から来たのさ。そうさね、一つじっくり話してやろうか」
久方ぶりの来客が嬉しくて、カラムはゆっくり語り出した。
「地球と言う星は、そりゃあきれいな星だった。ここと同じように太陽を廻る、内側から3番目の星だった。この惑星は546.2日かかって太陽を一回りするが、地球は365.25日。1日は24時間だったよ。この星は26時間だがね」
「随分、せわしないね」
「仕方ないさ。地球はこの星よりもずっと太陽に近いところを廻ってたんだからな。太陽そのものは、まあ、こことあんまり変わらんな。おんなじようなもんだ」
「それじゃあ、うんと暑かったんじゃない?」
「そりゃ、この星に比べればな。地球はフリームに比べると随分大きな星でね、赤道あたりは、裸で暮らせるくらい暑いのに、極点は寒すぎてとても住めない、そんな星だった。変化に富んだ素晴らしい星だったよ。ただ、月は1つしかなかったが。その代わりに夜空を埋め尽くすぐらい沢山の星が見えたのさ。――最初はね」
「最初?」
「わしの子供のころの話さ。なかなかのんびりとしたいい時代だった。まあ、当時の大人たちはそう思っちゃいなかったな。しきりに『昔は良かった』って言っとった」
「今とおんなじだ」
「そうだな」
苦笑するカラム。いつの時代でも年寄りは昔を懐かしみ、今を否定するのかもしれない。思い出は常に美しいから。
「わしが子供のころ、人間たちはわしらがいるということを、良く知っていてな。
女中や下男たちはブラウニーやコボルトのために、夜、台所の隅にミルクとパンを置いていた。
夜道を急ぐ者たちは、わしらに惑わされないよう、外套を裏返しにまとった。
鉱夫たちはコブラナイに良い鉱脈の場所を尋ね、芸術家たちは己の命と引き換えに、リャナン・シーから創造の霊感を授かろうとしていた。
だがな、人間たちは段々馬鹿になりおった。
わしらの住処を荒らし、大いなる大地を掘り返し、美しい緑を切り倒し、澄み渡る空に、水に、毒をまいた。
豊かな大地に灰色の蓋をし、その上を鉄の塊が、黒い煙を吐きながら走り抜けるようになった。
ブラウニーやコボルトのためにささやかな食事を用意することは『迷信』とされ、夜道は我らのものでない灯りで照らされた。
昼間の空は灰色に重くなり、夜、星は見えなくなった。
人間はそれを『進歩』と呼んだ。
移住が決まったのはそんな時だった。
そのことを最初に提案されたのは精霊王だ。
あ、精霊王のことは知ってるな?」
「知ってる。四大精霊を束ねる方でしょ?」
「その通り。その精霊王が、おっしゃった。
『もはやこの地には留まれぬ。新天地へ旅立とう。
我らの遠い祖先は、遥かなる昔、他の天体より舞い降りたという。
先祖の例に倣おうぞ』
その言葉に妖精王さまと銀竜さまも賛意を示された」
「銀竜さま?」
「竜族を束ねるお方だ。竜族のことは知っているかね?」
「ずうっと上の方を飛んでいるのを、一度だけ見た事ある」
「妖精王さまのことは?」
「えっと……エルフの、王様?」
「少し、違う。『妖精』は、大きく3つの種族にわかれる。わしらエルフのほか、ドワーフとフェアリーじゃ。知っておるか?」
フルルッ、と、少年が首を横に振った。
「そうか。ま、順番に話そう。
まずはわしらエルフ。
基本的に一族ごとにまとまって暮らしておる。そして一族ごとに長がいる。
まあ、群れることを嫌い、一人で暮らす者もいるがの。
また、本来の一族から別れ、他の一族とともに暮らす者も多少、いる。わしのようにな」
「え、カラムじいは森の民じゃないの?」
「元は水辺の民だ。じゃが、森の民のエルフに一目惚れしての。むかーし昔の話じゃ」
ほっほっほ、と、カラムは声をあげて笑う。
「レネ――妻の名じゃ――は、生憎亡くなってしまったがの。
あまりにも長くここで暮らしておったゆえ、今更水辺の民の元へ帰る気にはなれん。息子もおるし」
「カラムじい、子供いるの?」
「おう。フェイという。しょっちゅう放浪してるがな。……っと、話がそれたの。
次はドワーフの話じゃな。
彼らは洞窟などに住んでおる鍛冶や細工が得意な者たちじゃ。
エルフは長身で細身じゃが、ドワーフは背が低く、むっくりしておる。
わしらエルフのように、基本的に一族ごとにまとまって暮らしておる。
そして一族ごとに長がいる」
「エルフと同じ?」
「そうじゃ」
「ふうん……。フェアリーは?」
「フェアリーはドワーフよりももっと小さい。
ほれ、そこに生えておる花、ちょうどそれと同じくらいの身長じゃ」
「え!」
「ほっほっほ。まだ見たことはないかの?
彼らには基本、羽があり、飛ぶことができる。
中には羽がなくても飛べるものがいるらしいが。
彼らは基本的に一人で暮らす。
親子兄弟は一緒にいることもあるがの」
「どこにいるの?」
「さてさて。花の影におる者もいれば、木の葉の陰に隠れている者もおる。
水辺に潜む者もいれば人の作りし家の片隅で生きる者もおる。色々じゃよ」
「へえ………」
「して、妖精王じゃが、エルフ、ドワーフ、フェアリー全ての行く末を見守り、時にその未来を選択する方じゃ。
王が一体いつから生きておられるのか、いつから王でおられるのか。
お名を何と言われるのか、そもそも男なのか女なのか、王ご自身のことを知る者は誰もいない。
大体、エルフの中で妖精王に直接お会いできる者からして数えるほどだ」
「僕の父様は?」
「望めば会える。森の民の長だからな」
「僕は?」
「無理じゃ」
きっぱり言われて落ち込む少年に、カラムはほっほっほっと陽気に笑った。
「わしじゃて無理じゃ。主の父が特別なんじゃよ。
さて、一方竜族じゃが、彼らは五種族に分かれている。
青竜、赤竜、白竜、黒竜、緑竜だ。そして彼らは長を持たない」
「長がいないの?」
「そうだ。竜族は群れることがない。
個人個人、勝手気ままに暮らしている。
だからそれを統率する長はいない。
だが、竜族を束ねる方はおられる。
それが銀竜さまだ。竜王と呼ばれることもある」
「竜族の、妖精王に当たる人なんだね」
「そういうことだ。
さて、新天地へ旅立とうと言いだした精霊王さまと、それに賛成した妖精王さま、銀竜さまは、揃って幻竜さまのところに行かれた」
「幻竜さま?」
「精霊と妖精と竜を束ねるお方だ。
幻竜さまにお会いできるのは、精霊王、妖精王、銀竜さまだけさ。
『幻』は同時に『現』であり、また『源』である。
幻竜さまこそがわしらの創造主だという話だ」
「本当?」
「さあてね。とにかく、精霊王様たちは揃って幻竜さまのところに行き、新天地に向かうことを提案された」
「そして、幻竜さまも賛成されたんだね」
「こら、人の話を先取りするものじゃあない」
「……ごめんなさい」
「まあ、いい。結論から言うと、そういうことだ。
そこで数多くの天体の中からこの惑星、フリームが選ばれた。
そしてわしらは、幻竜さまの作り上げられた次元トンネルをくぐり抜けてこの惑星にやってきた。
そのときは……平和だったよ。
もともとここにいた動植物のほかは、わしらだけだったからな。
わしらは思う存分、歌い、踊り、笑ったものさ。
だが、そんな生活も長続きしなかった。
最初は鉄の塊だった。
物知りが『無人単施栓』だと言った。
やがてそれより大きな鉄の塊がやってきて、人間どもを吐き出した。
それは『植民船』で、彼奴等は『植民団』だった。
彼奴らは小屋を作った。
畑を作った。
麦を植え、フリームの動物たちを飼い馴らし始めた。
わしらは、見ているだけだった。
他の惑星に行こうという声もあった。
しかし精霊王は言われた。
今、再び、新たなる地へ旅立つだけの力は無いと。
次元トンネルを作り上げるには大量のエネルギーが必要だが、幻竜さまはエネルギーを使い果たされ、長い長い眠りの時に入っておられるのだと」
「今でも?」
「多分ね」
カラムは湖の水を口に含むと、再び話を始めた。
「植民団が現れてから季節が4度、巡った後、またまた鉄の塊がやってきた。
それは『調査船』で、乗っていたのは『調査団』だった。
そしてその夜、その『調査船』が爆発した。理由は知らん。が、魔剣が絡んでいたらしい」
「魔剣?」
「そう。魔剣ティルフィング。はるかなる昔、ガルダリケの王スアフォルラミが、ドワーフに無理やり作らせた呪いの剣だ」
「その魔剣は、どうなったの?」
「一人の男がとある山の中に、己の身を用いて封印した。そこへ至る道は、森の民の手で迷路と化されたと聞いている」
「ふうん」
「その爆発で多くの妖精が命を落とし、隣の大陸の半分が砂漠になった。
さらに悪いことに、フリーム中に『悪しき気』がばらまかれた。
そこで精霊王は四大精霊たちに命じた。
『悪しき気』を南海の孤島に封じ込めよと。
だからあの島には、いまでも『悪しき気』が満ちている。
だからわしらはあの島に近づかない。
なぜなら、精霊も妖精も竜族も、悪しき気に触れれば悪しき者と化し、更に悪しき気を周囲にふりまくことになるからの」
「『悪しき気』を封じ込めている精霊たちは大丈夫なの?」
「シルフは『悪しき気』の周りに清浄な気を巡らせて『悪しき気』の流れ出るのを防いでおる。
ウンディーネは『悪しき気』を含んだ水の周りに清浄な水を巡らせ、ノームは『悪しき気』を含んだ土を清浄な土で覆っている。
みな、『悪しき気』に直接触れているわけではないのだ」
「ふうん……。あ、サラマンダーは何をしているの?」
「封じる以前に漏れ出た『悪しき気』を清浄な炎で焼いている。が、完全に『悪しき気』を浄化することは難しく、今でも少し、『悪しき気』が残っておる」
「そうなんだ……」
「この話は、人の間に『伝説』として伝わっている。が、その形は大分変わってしまった。こんなふうにな」
カラムはすうっと息を吸い込むと、目を閉じ、朗々と歌い出した——