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再起

 一ヶ月ほど経ったある日、ジルがひょっこり顔を見せた。


 ジルは、すらりとした背の高い好男子に成長していた。


 まだ幼さは抜け切らないが、顔も引き締まっていい感じに育っている。


「兄貴の様子、どう?」


「身体は順調ですけど…………」


「話は聞いたよ。俺は、アドのお陰でどうにか立ち直れたけど、兄貴は…………」


 ジルは、事件に遅れること数日で遠征先からとんで帰り、変わり果てたシグルと対面した。


 渋って話そうとしないアドから、無理矢理詳細を聞き出し、反射的にアドを殴り付けた。


 そして部屋に閉じこもり、泣きつづけたのだった。


 その間、他者の面会を断り、差し入れでジルを支えていたのは、アドだった。


 三日後、ジルはようやく部屋から出てきた。


 が、レイに会いに来る心の準備ができるまで、今日までかかったというわけだ。


「何も、思い出さないんだろ?」


「ええ」


 思い出せば今度こそ………の想いが、皆に決定的な行動をとらせなかった。

 しかし、忘れられたままでは一歩も進まないのもまた事実。


「ここへ来る前に相談したんだけど、やっぱり記憶を戻させたほうがいいという結論になった。

 兄貴なら、乗り越えられると、皆も信じてる。今までの全てを捨てるようなことはしないと信じてる。

 だから、何かきっかけをつくりたいんだ。そのために協力して欲しい」


「何をしようと?」


「あの場面を再現するのは、人数的にも場所的にも不可能だ。それに剣を使うことも、ここではできない」


「ここでやろうというんですか?」


「兄貴を動かせないんじゃ、ここでやるしかない」


「そりゃま、そうですけど」


 レイの傷は、かなり深いものだった。

 寝台の上で起き上がることはどうやらできるようになったが、動かすことは、まだ無理な話だった。


「で、私は何をすればいいんですか?」


「これを持ってきた」


 ジルは、戸口に置きっぱなしにしてあった細長い袋と、両端が皮ひもできつく結ばれている茶色の小袋をテーブルの上に乗せた。


「これは?」


「それはヤクの胃袋で、中には野苺を煮詰めた果汁が入っている。こっちは竹の剣で、先は危険のないように潰してある」


 ヤクというのは、もともとこの惑星ほし土着の野生動物だ。

 それを飼いならし、家畜化したのは初代植民団。


 地球でいうところのヤクに良く似ているため、植民団員たちが『ヤク』と呼んだのが、そのまま名前となった。


「これをどうするのです?」


「別にどうする気もないよ。ただ、子供たちにこれで遊んでもらいたいだけさ」


「……………ああ、なるほど。わかりました」


 あの時の再現、とまではいかないが、それに近いことをやろうというのだ。


「それで、旦那役には、ヤマが適任だろうって」


「………ヤマ?」


 リートは眉をしかめた。


「確か彼は……………………」


 ジムカと同じ、隊長派。

 加えて、ジムカが例の剣を盗み出すのに手を貸した―――。


 という言葉を飲み込む。

 しかしジルはわかっていた。


「ああ、そうだ。俺は未だに許せてないし、許すつもりもないけど、背格好だけは似ているから。

 それにここの出身だから、子供たちに敵意を持たれることもないだろうって」


 吐き捨てるように言い放った


「俺は反対なんだよ。この案がいやだって訳じゃない。ただ、旦那をあいつが演じるって事が無性に腹立たしいんだ。

 あいつが兄貴にとって悪役になるだろうって事は全く気にならない。

 あいつの罪は殺しても飽き足らないほどだから、今更、悪役になったところで蚊に刺されたほどにも心に痛みは感じない。感じるわけがない」


「…………………………」


 やんちゃ坊主だった頃のジルは、そこには存在しなかった。


 成長を、こんな形で知ることは哀しいものがあったが、リートは何も口にはしなかった。


 ジルは高ぶってしまった感情を、舌打ち一つで投げ捨てた。


「そんな事を言いに来たんじゃなかった。そんな事はどうでもいいことで、兄貴にも貴方にも関係ないものな」


 ジルは改めてリートに向き直った。


「それで、貴方には兄貴のそばで付き添っていてもらいたいんだ。

 兄貴が記憶を取り戻した時、咄嗟にどんな行動に出るかわからないから、貴方にそばにいてもらってそれを阻止してもらいたい」


「そんな大役は」


「貴方だから、頼むんだ。俺たちじゃ、多分余計に興奮させてしまう。

 旦那とのつながりが大きすぎて、深すぎて、力で跳ね除けようとするかもしれない。

 そんなことになれば、せっかく治りかけた身体なのに、また元に戻ってしまう。

 だから、ドアの外で控えていることはできても、中で見守ることは出来ないんだ。

 貴方に頼むしか他に方法はないんだよ。悔しいけど………」


 リートは、小さく微笑むと、肯いた。






 その日、レイは寝台の上に起き上がり、ぼんやりと外を見ていた。


 広場では子供たちが走り回り、大人は生活に追われていた。


 そこへ、一人の大柄の男が竹の剣をもってやってきた。

 大柄な身体が子供たちの環に混ざると、奇妙な違和感を醸し出した。


 男は、子供たちに剣を手渡し、自分にかかってくるように指示した。

 子供たちは、遊びの一種だと思い、逃げるだけの男を、笑いながら追い立てた。


 レイは、その一部始終を見ていた。


 それは、端から見ればただの子供の遊び。

 追いかけ鬼のような他愛のない光景。


 だが、何故かその後継から目が離せない。


「あ!」


 子供の持っていた剣が、偶然に男の懐に刺さったように見えた。


 赤いものが、流れる。


 それは、小袋が破けて果汁が流れ出しただけだったのだが、その真っ赤な色は『血』を連想させた。


 びっくりした子供が、叫ぶように泣き出した。


 男の体が、ゆっくりと倒れる。


 子供たちが、泣きながら男のまわりを取り囲む。


 だが、巨体はピクリとも動かない………


 それを見つめていたレイの心の中で、どんな動きがあったのか。


 レイの、硬直したかのように一点を見つめて動かない眼から、大粒の涙がこぼれた。


「レイ………さん?」


 リートの声も、届いてはいないようだ。


 ふいに。


 レイは両手で顔を覆った。


「う…………旦那、ごめん…………ごめんね。

 全部、私が悪いんだよね。

 貴方のせいじゃない。

 貴方を責めることなんてできないのに。

 私が貴方を傷つけたのに……………。

 ごめん……………

 赦してなんて、言えないよね。

 酷すぎるよね…………」


「レイさん…………………」


 レイの細い肩が小刻みに震える。


 しかし、その肩に手を置くことは出来なかった。


 おそらく、誰にも出来ないだろう。そう、旦那以外には誰も………………


 リートの合図で部屋に入ったジルも、その背を見つめることしか出来なかった。


 ただ、今の状況ならば、咄嗟に自殺に走ることだけはないだろうことが、唯一の安心事だった。






――思い出しました。


 その一言を呟いてレイは黙り込んだ。何を考えているのか、読み取れない無表情で。






「明後日にはナールたちがここへ来ることになってるけど、取りやめてもらったほうがいいのかな……」


「ナールって?」


「兄貴の、奥方だよ」


「え!? レイさん、結婚してたんですか? いつのまに………」


「子供もいるよ。こないだ生れたばかりだけど」


「それはそれは……………」


 目を丸くするリート。

 誰も、リートにそのことを告げる暇がなかったのだ。無理もないが。


「で、グナイゼさんが言うには、兄貴の意思を、生きる方向へ向けさせることが大事なんだって。

 でも、今のままじゃ、ナールや子供の姿を見ても何も思わないんじゃないかな。生気が無さ過ぎるよ」


「だからこそ、生きるように意志を向けさせるのでしょう?」


「でも…………………さ」


「言いたい事はおおよそ解ります。

 ですがこれで第一の目的は果たしたわけですから、良かったと思わなくては」


「でも、記憶が戻ったって、あれじゃ、生きてない。

 あんな兄貴の姿は見ていたくないよ。

 あんなになるくらいなら、記憶が戻らないほうが良かった…………」


「ジル君。多分、こうなることは予想が付いていたと思いますよ。

 だからこそ、ジル君をここによこし、ナールさんも来るんです。

 彼が愛した者たちがそう望めば、彼は生きるために立ちあがります。

 だから、君がそんなに弱気ではいけません。

 レイさんを生かしたければ………。

 哀しい記憶を抱えたまま、それでも前を向いてほしければ、先ずあなたがそれを望み、そうなるよう信じなければ」


「俺が、望めばいいの? 俺が兄貴に、生きて欲しいって、前のように笑えるって信じれば………、願っていれば、叶う?」


「ええ」


「じゃ、願うよ。いつまでも、生きていて欲しいって、前みたいに、笑えるようにって、願う……。ううん、信じるよ………」






 翌々日。


 ジルの直接の上司、ガリアという名の男が、一人の女性と一緒にやってきた。


 初めて会うレイの奥方。

 ナールと名乗ったその女性は、たおやかな、それでいて芯のしっかりした人のようだった。


 レイの姿を一目見たナールは、しばらく二人だけにしてくれと、部屋から余人を追い出した。


「寂しかったでしょう。独りで戦って……」


 ナールは、上体を起こしたままで茫然自失のレイの頭を胸に抱いた。


「でも、もう独りじゃないわ。大丈夫、私が貴方を守ってあげる。貴方の苦しみを私が癒してあげる。だから、もう独りじゃないの」


 ナールの瞳から落ちたものが、レイの髪で弾けた。


「貴方の苦しみは誰にも分からないけれど、私は貴方を信じている。

 だからもう苦しまないでいいの。愛してるから。

 世界中で一番、あなたを、あなた一人を愛してるから、独りで戦おうとしないで………」


 ふと、ナールの腕の中でレイが動いた。


「…………ナール?」


 くぐもった声が聞こえた。


「あ、ごめんなさ……」


「そのままでいてくれ」


 慌てて解こうとした腕を、下から伸びた手が押さえた。

 ゆっくりと、レイの腕がナールの腰にまわされる。


「鼓動が聞こえる………。しばらくこのままでいて」


 ナールの指に、レイの細い金髪が絡む。


「初めてこうやって抱きしめてくれたのは、シグルだった。

 あの時も、今のようだった。

 誰もいない、闇の中で声がして、闇の向こうの暖かい光の中にシグルがいた。

 今度は………君、だったね。

 人は、鼓動を聞くと母親の腹の中に戻った気になるって言うけど、あれはよくわからない。

 物心ついた時から、私には母はいなかった。

 だからこうして、抱きしめてくれる人を探していたのかもしれない………………」


 ポツポツと、呟くように語る声を、ナールは黙って聞いている。


「いろんなことを、思い出したよ。

 シグルは本当にかけがえのない人だった。

 日の当たるところに出してくれて、自由を教えてくれた人だった。

 記憶が戻って…………死のうと思った。

 自分が犯した罪の重さに耐えられなくて。

 でも、死ねなかった。

 他の事も思い出してしまったから」


「他の事?」


「『守るべき人』はわかっていたから、そのために生きなければならない。

 でも、生きていたくなかった。

 辛かった。

 哀しかった。

 自分があまりにも愚かで、惨めだった。どうすればいいか判らなかった。

 死にたいのか、生きたいのか、それすらわからなくて、何も考えたくなかった………」


「私は生きていて欲しい………。ずっと、生きて欲しいの。

 なにがあっても生きていて欲しいんです」


「なにがあっても………?」


「どんな姿だろうと、どんなに変わろうと、生きてさえいればいい。

 どんなに変わろうと、貴方は貴方です。

 私は、どんな貴方でもいいんです」


 ナールの、細い腰に回されたレイの腕が外され、それに促されるようにナールも腕を外した。


「ナール………」


 レイは、ナールの手を両手で握り締めると、額を押し当てた。


「ありがとう……」


 声が、微かに震えていた。






「あ!」


 レイが、生きる意志を取り戻したその頃、リートは玄関先で信じられない人物に出会った。


「マイキー!!」


 てっきり、あの時死んだとばかり思っていた男が、そこに立っていた。


「生きてたんですね!」


「あったぼうよ。この不死身のマイキーさまを見損なってもらっては困るって」


「あはは………」


 笑ったのは久しぶりだ。

 何故か、涙が出てきた。


「早く、レイさんに会って下さい。きっと……きっと喜びます」


 マイキーは、大きく肯くと、ガリアに付き添われて部屋へ向かっていった。


 ややあって


「……マイキー!! 君なのか、本当にッ?!」


 レイの声が聞こえてきた。


(もう、大丈夫ですね)


 すっかり前の通りというわけにはいかないけれど。

 それは無理な話だけれど。


 レイは、前を向いて歩き出すだろう。

 彼のことを想う人たちに支えられて。


 リートは微笑むと、そっと家を出ていった。

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