喪失
「失脚が、狙いだったのですか?」
翌日。
いくらか落ち着いた頃、リートはグナイゼという名の男から、事件のあらましを聞かされた。
「ああ。順を追って話そう」
グナイゼは、疲れ切った顔で冷たい香茶を一気に飲み干した。
「恥ずかしながら、この国は内部分裂の種をずっと抱え込んでいた。大将派と隊長派だ。
何せ、大将はあのとおり優男で、一見守られるタイプだ。実際は違うけどな。
それに引き換えシグルは、いかにも頼り甲斐のある戦士だ。物事の表面しか見えない新参者たちが、いつしか大将派と隊長派に別れてしまっていた」
ふうっと大きくため息を吐くグナイゼ。
「ばかばかしい話さ。仮に隊長派が望むように、何らかの理由で大将がその座を退いたとしても、シグルは絶対その後釜になりはしない。
大将がいなければ、シグルがここにいる意味なんて最初からなかったんだから」
「けれども、そうは思わない人々がいた。あの男……魔剣を盗み出した男もそういう一人、だったのですね」
「そうだ。ジムカ――あの男の名だ――は、隊長派の中でも、かなり過激な思考を持つ奴だったらしい。
失脚どころか、命を奪うことも辞さない危うさがあったという話だ。
そんな奴が、剣を盗んだ。レジイクへの出立の際、剣を持っていないことを確認し、千載一遇のチャンスと見たのだろう」
「そして抜いてしまった。あの剣を……」
「そして暴走した」
「正確には、暴走した剣に巻き込まれた、だと思いますが」
「同じようなもんだ。そういう奴だったからこそ容易く巻き込まれた。共に、暴走した」
「……ええ、そうでしょうね」
「ただ、一つ、疑念がある」
「疑念?」
「ジムカは確かに無鉄砲だったが、単独でこんな計画を立てられるような奴じゃない。剣を盗んで失脚を狙うより、直接命を狙う方がよほど彼奴らしい」
グナイゼは、空のコップをテーブルに置くと、立ち上がった。
「この一件、おそらく裏に誰かがいる。見当はついてる。あぶり出してやる。絶対に……」
怒気をはらんだ独り言を残して、彼は街へと出かけていった。
彼もまた、今は首謀者捜しに熱中することで、心にあいた穴をごまかしているのだろう。
リートは静かに立ちあがると、レイが療養している家へと足を向けた。
「あ! 吟遊詩人だよ!」
「あれ? あれ? あれって、竜?」
お目当ての石造りの家の前で、リートは近所の子供たちに捕まってしまった。
しかたなく、その場で一曲かなでる。
「もっと!」
「もっと!」
「…………はいはい」
どうやらこの調子では、日の高いうちにレイの元を訪問することは無理そうだ。
(もっとも、かなり失血していましたから、まだ意識が戻っていないかもしれませんが……)
それでも、様子だけは窺おうかと、ひょい、と窓から中を見た。
「あ………………」
寝台の上で、レイは、目を開けていた。
こちらを見ている。
「眼が覚めたようですね。気分はどうです?」
にっこり笑って問い掛けたが、反応が無い。
(まだ夢現、なのかも…………)
眼が開いているから意識が戻っているとは限らない。
リートは、一端、その場を立ち去ることにした。
その夜。
リートは再びレイの元を訪れた。
この家の主の了解を得て、寝室のドアをゆっくりと、少しだけ開き、中の様子をうかがう。
寝ているように見えた。
だが、血の匂いがする。
古いものではない、新しく流れた血の匂いが。
出血が止まっていないのか。
あるいは、一度ふさがった傷がまた開いたか。
リートは小さな灯りを手に、そっと部屋の中へ入っていった。
ドアを閉め、寝台に近付く。
レイは、寝台に横たわっていた。
が、その瞳は開いていた。
意識は明らかにこちらに向けられている。
視線は頼りなく彷徨っているけど。
「………起きてたんですね。気分はどうですか?」
彷徨っていたレイの視線が、リートの上に留まった。
「……悪くない、です。傷は痛むけど」
その言い方に、なんとなく違和感を覚え、勝手に納得した。あの後だ。いつも通りであるほうがおかしい、と。
「包帯を換えた方がいいみたいですね。起きられますか?」
腹部に手を伸ばす。
レイは、咄嗟に身体をよじって逃げた。
「ウッ……くぅ」
よじった途端、激痛が走ったに違いない。
「大丈夫ですか?」
「さ……わる………な。頼むか…………触らない……で……くれ」
リートの手が止まった。
「……無理に動くから………痛いでしょう?」
「だ………い、丈夫………。痛みは…………じき治まる………。治まるから…………………触らないで………」
「何か召し上がりますか? 食べられるようなら用意してありますから持ってきますが」
「……………………………………」
「どうしたんですか、レイさん?」
覗き込む。と、視線を逸らされた。
(………………………………?)
いくらなんでも、違いすぎる。
この反応は、リートの知るレイのものではない。
「一体、どうしたっていうんですか? 貴方らしくもない。まさか死のうなんて考えている訳じゃないですよね?」
「え?」
「まさか…………………」
青くなる。
「本気ですか? 本気で死ぬつもりなんですか? せっかく助かった命を無駄にするつもりですか? 何のために旦那が助けたのさえもわからないのですか?」
感情のおもむくままに喋ってしまい……………失言に気付いた。
「…………だんな…………?」
小さく呟いたレイの眼から、涙が零れる。
「……思い出してしまったんですね。失言でした。許して下さい」
だが、次の瞬間、レイの口から出た台詞は、意外なものだった。
「教えて……。『だんな』ってどんな人ですか? 大きくて暖かい人のことですか?」
「…………え?」
「どうしてもわからない…………。呼ぶと、胸が痛くて熱くて泣きたくなる。
それが何故なのか、どうしてもわからないんだ。
貴方は知っているんでしょう?
教えて下さい。『だんな』って、どんな人なんです?」
「レイさん………………」
嘘や冗談で言っているようには見えなかった。第一、今はそういう状況ではない。
「忘れて、しまったんですか? 旦那やジルくんや、シグールトにいる大勢の仲間たちの事もすべて……?」
愕然としながら、だが、妙に納得した。
(きっと、耐えられなかったんでしょう。衝撃が大きすぎて。
精神が破裂してしまわないように、最初から無かったことにしてしまった。
多分、旦那との出会いから、全てを………)
「教えて…………下さい。『だんな』の事、この傷のこと、貴方が何者で、何故ここにいるのか。
わからないことだらけで頭がどうにかなってしまいそうなんです。お願いです。教えて下さい」
「…………………………」
教えて、いいものなのだろうか。
もし、真実を知ったら、無意識的に庇った精神を、今度こそ破壊することになるのではないだろうか。
(とは言うものの、このままで良いはずはない………)
レイが一市民であればそれもいいだろう。
だが、今の彼は………
「レイさん?」
「はい」
「自分の名前が『レイ』だということは、覚えているんですね?」
「いいえ、『レイ』は通り名です」
「通り名?」
「本名は、キリエレイ・ゼッダ・ド・アグナス。『赤月神ゼルトランと医神アグネールに捧げられた者』です。私は薬師となるべく育てられました」
「……………………」
「この傷は、刃物で出来た傷ですね。痛みでわかります。貴方は先程、シグールトにいる仲間とおっしゃいましたが、ここはゴルボア大陸なんですか? レムラードではなく?」
「ええ」
「随分と、離れてしまったわけですね」
寂しげに呟いたレイは、視線を窓に向けた。
「赤の月が出てますね…………」
応えを期待しているようでもなく、独り言のようでもなかった。リートは黙って、次の言葉を待った。
「………どこでも月は見える。それは変わらない。あの月は見ていたんですか?」
「………………」
何をどう告げればいいものかと惑うリートに、レイは振り向き、寂しげな笑みを浮かべた。
「それも、答えてはくれないんですね。では、何を聞いたら教えてくれますか? どう訊いたらいいんですか?」
リートもまた、どう答えたらいいのかわからない。
「不安なんです。判るのは昔のことばかりで、今、何が起こっているのか、何をしたのか、全て、わからない」
告げる声音が震えている。
「さっきまで夢を見ていました。大きくて暖かい人の夢です。
誰かは判らないけど、でも、私に好意を持ってくれている人。
私もまた、信頼している人だとわかります。
でも、彼は、『気にするな。お前のせいじゃない』って言うんです。
どういう事なんですか? 私が彼に何かしたという意味なんですか?
教えて下さい。その人のことを想うだけで、胸が張り裂けそうに痛むんです。どうか………」
レイの眼から大粒の涙がこぼれていた。
押えに押さえてきた感情が堰を切ったように溢れたように。
「私は殺されるはずだったんでしょう? 何故『だんな』は私を助けたんですか?」
「貴方は、殺されかかっただけです。命を狙われる立場にいて、理不尽な理由で襲われたんです」
リートは、慎重に、言葉を選んで説明した。
「狙われる立場?」
「はい。でも、私も噂でしか知らないので……詳しいことは、教えられないのです」
今は、まだ、と心の中で付け加える。
「それで、何故、理不尽だと?」
「私は昔の貴方に会っています。多分、記憶には無いでしょうが。
その時に感じたことは今も同じ、貴方が人に恨みを買うような人ではありえないからです」
途端に、レイの表情がパアッと明るくなった。
(…………………そうか)
今までのどこかよそよそしい態度のわけが、判った気がした。
(私が、自分の敵か味方か、それが判らなかったから…………)
今の台詞で、どうやらリートが自分の味方であると判断したらしい。
それはいい。それはいいが………。
(……皆に、相談しないといけませんね………)




