惨劇
流血沙汰があります。
人が死にます。暗いです。
話の流れ上、避けて通れません。ごめんなさい。
街の門をくぐるなり、一行は待ちうけていた民衆に盛大な拍手で迎えられた。
街道の両脇には、レイの姿を一目見ようと集まった人々が群れを成している。
建物の屋上からはレイを称える垂れ幕が幾筋も流れていて、階下に降りられなかった人々が、窓から顔を出して旗を振っている。
「姐さんは人気がありますねえ」
レイの部下の一人、マイキーと名乗った男が囁いた。
己の主を『姐さん』呼ばわりするのもたいした度胸だが、それを放っておくレイもレイだ。
もっとも、レイにとっては呼び方なんて、どうでも良いことなのだろうけど。
「珍し物見たさですよ」
マイキーの囁きにそう答えたレイだが、やはり嬉しいのだろう。頬が緩んでいる。
「…………シグールトも変わりましたねえ」
二人の後ろでおのぼりさんよろしく、辺りをキョロキョロと見回しながら、リートが呟いた。
「来たことがおありで?」
「ええ、かなり昔ですけどね」
通り過ぎただけだが。
「いいところでしょう」
マイキーが自慢気に語る。
「昔は、そりゃ酷かった。こんなふうに街の人が外へ出て大騒ぎするなんて考えられなかったんですからね。それがこのとおり。時代は変わりましたよ」
リートは、深く肯いた。
昔、この地を通り過ぎた時。
街の大通りを、ひらひらと着飾って我が物顔で練り歩いていたのは、権力を握る一部の者たち。
貧しい者たちはみな、通りの端を、背を縮こませ、暗い目で足先を見つめながら、早足で通り過ぎていった。
うっかり通りの真ん中を歩こうものなら、権力者たちから悪し様に罵られ、鞭で叩かれてるのが常だった。
それが今は。
誰もが、道の真ん中を堂々と歩いている。
誰の目も、輝いている。
これが、レイの国なのだ。
レイが、創りあげた国なのだ。
レイが、護ろうとしているものなのだ。
前方でいきなり、甲高い悲鳴があがった。
「何事だっ!」
マイキーの叫びに、驚いたフィンが嘶く。
前足があがり、レイは危うく落馬するところをようやく堪えたが、次の瞬間には自ら飛び降りていた。
マイキーたちもそれに倣う。
ザッ!と視界が開ける。
中央に貧弱な風貌の男。
足元に女性が横たわっている。
赤いスカートから伸びた足は、あり得ない方向に折れ曲がっている。
否。
赤いスカートではない。
血で赤く染まったスカートだ。
男の手に、剣があった。
いまだ血が滴るその剣は
柄が黄金に光っていた
(ティルフィング!)
想像以上に邪悪な波動。
(なんて……なんて暗い思念。重い、憎悪)
たまらず、リートは後ずさった。
(引きずられる…………!)
初めて、判った。
身体で理解した。
何故、ティルフィングの一件がエルフの手に負えないかを。
引きずられる。
引きずられてしまう。
ハーフであり、エルフよりは人に近いはずのリートですら、これ以上近づきたくない。
皮膚が粟立つ。
心臓があり得ない速さで脈打つ。
おそらく顔面は蒼白だろう。
もし、エルフなら
きっと今頃、正気を失くしている。
(…………父様が、私に、頼むはず、ですね……………)
額に冷や汗が浮き出る。
メラもまた、震えながら、リートの肩に、爪先をぐいっと食い込ませている。
竜族はエルフよりは頑強だ。
しかし、メラはまだ幼い。
引きずられまいと、必死に耐えているのだろう。
おそらく肩から血が出ているだろうが、今は、この痛みがむしろありがたい。
(くっ………………………)
リートが人知れず葛藤する目の前で、民衆の間から男たちが走り出てきた。
おそらく、護衛の者だろう。
剣を構え、魔剣を手にした男を取り囲む。
しかし
「皆、下がって!」
レイが命ずる。
「狙いは私です」
「なら、なおさら!」
マイキーが剣を抜いて、レイを庇うように立ちふさがる。
「マイキー、だめですっ。下がって!」
「大丈夫ですよ。あんな奴には負けません」
ニヒルに唇の端を上げ、惨殺者に対峙するマイキー。
された方は、悠然と魔剣を持ち上げた。
「やろうってのかい?無駄なこった」
「ふん。どっちが、かな?」
平然とうそぶく。が、その目は真剣だ。
肌も粟立っている。
感じているのだ。尋常でない恐怖を。
戦場で生命賭ける彼らは、そういった空気に敏感だ。でなければとても生き残れない。
じりじりと、間合いが狭まる。
見守る民衆の喧騒も消えている。
皆、気付いているのだ。
この尋常でない殺気に。
先程飛び出し、男を取り囲んだ護衛の者たちも、雰囲気に呑まれ、手出しができない。
マイキーの剣が、走った。
「邪魔だ。どけ」
何もなかったように惨殺者が通り過ぎる。
マイキーがうずくまる。
たちまち赤く染まる大地。
「マイキーッ!!」
レイが叫ぶ。
「何故、関係のない者を! お前の狙いは私でしょう! 私のみを殺りなさい!」
その声に、怒気と同時に殺意を感じ、驚いてリートは顔を上げた。
「いいともよ。望みどおり殺ってやる」
魔剣に支配された男が、剣を無造作にレイに突き刺した。
「………!!」
しかし、それは致命傷になりにくい位置。
レイは、男の手の上から剣を握り締めた。
耐えられず、男は手を放した。
剣から。
そして
魔剣がレイの手に渡った。
常の彼ではない。
マイキーを害され、激しい殺意を抱く、レイの手に。
渡って、しまった。
(……………いけない………)
苦悶しつつ、慌てるリート。
(殺意を…………黒い欲望を…………抱いては…………)
そう言いたいが、声が出ない。
(魔剣に…………………………)
(呑み込まれてしまう……………!!)
レイは、柄を握った手に力を込めた。己の身体から、ズルッと剣が抜ける。
眼の色が、変わっていた。
澄みきったウルトラマリンの瞳が、薄暗い憎悪に染まっていた。
「ああ……………………」
絶望の呻き声を上げるリート。
(魅入られてしまった………………)
レイは、己を傷つけた男を見据えると、躊躇なく魔剣を振り下ろした。
断たれた頚動脈から、血飛沫が盛大に吹き上がる。
悲鳴が怒号の波と化す。
観客の一人が、不用意に近付きすぎていた。
逃げる暇もなく魔剣の餌食になる。
後、レイが『怒れるユーファ』と呼ばれるようになる事件の幕が、今、開いた――
鬼神。
今のレイがまさしくそれだった。
左脇腹からは依然として血が流れている。
既に倒れてもおかしくないくらいの失血。
血の気を失い、透き通るほどに白い肌。
そこだけが、何故か紅い唇。
暗い憎悪に彩られながらも歓喜に微笑む瞳。
犠牲者は、己の身に降りかかる不幸も忘れ、その姿に魅入られる。
剣が間近に迫っても、逃げることを忘れる。
血の祭り。
たちまち大地は赤く染まり、空気は血臭で満たされる。
(いけない………このままじゃ………………)
しかし何が出来ると言うのか。
救いは、魔剣が血を飲み込むにしたがって、その呪力が徐々に弱まってきているということくらいだ。
声も出せぬほどの苦悶はどうにか過ぎ去った。
(けれど、どうしたら…………)
わかっては、いるのだ。
この場を収集できる可能性のある人間は、ただ一人だと。
「シグル………………」
だがそれは同時に、彼の生命を危険にさらすということ。
アンディが、己の身を犠牲にして、己の友、フォレスを救ったように
(来て欲しい。と同時に、来て欲しくない)
矛盾する想いを抱えたまま、リートはただ、その場に立ちすくんでいた。
フィンが数騎、広場へ駆け込んできた。
その中の一頭から偉丈夫が飛び降りる。
(………………シグル!)
「止めるんだ!」
だが、シグルの声も、もはやレイには届かない。
「邪魔立てするか………………」
軽く伏せられた悪鬼のごとき眼差しに、一瞬、シグルの動きが止まる。
「……………いつもの彼では、ない………。止めた方がいいです」
ようやくの思いで、シグルに声をかけるリート。
「そういうわけにもいかん」
答えてから、声の主を訝しり、振り向く。
「ん…………? リート?」
リートは小さく肯くと、レイに視線を促す。
「彼は、あの剣に操られているんです」
「判っている。否、今、判った。今のあれはレイじゃない。だから剣を取り上げる」
「できませんっ」
「それでも、やんなきゃならないんだよ」
シグルは、レイを見据えたまま下唇を噛み締める。
「あいつを、あのままにしておけない。剣に操られたままなんか、許されない」
「しかし――」
「シグル隊長!」
遅れて到着した一団が、リートの台詞をかき消した。
「これは一体……………?」
「遅かったのか…………」
口々に呟く。
後で聞いた話によると、彼らはこの宝剣が『魔剣』であることにようやく気付き、大事に至らぬうちにと駆けてきたということだった。
間に合わなかったけれども。
「お前たちは皆をここから遠ざけろ。できるだけ離れて近寄るな。少なくとも今日一日」
シグルが彼らに命ずる。
「では、大将は?」
「俺が対峙する」
「でも――」
「時間が無いんだ。レイを殺す気か!」
悲痛な一喝に弾かれて、彼らは四方へ散った。それでも、その場に数人が残る。
行き場が無いのではない。案じているのだ。シグルの身を。レイの身を。
「力は俺の方が強い。それが頼みの綱だが……………」
「無茶ですっ」
リートの叫びを背に、シグルは単身、魔剣の前に飛び出した。
「殺られに来たか。殊勝な心掛けよ」
剣の歓喜が、レイの声となって現れる。
「目を覚ませ。お前は、そんな奴じゃなかったはずだろう?」
苦し気に呟くシグル。
だが、レイは相手がシグルだと認識していない。
冷たい視線を投げかけ、鼻で嗤った。
「掛かって来ぬなら、こちらから行く」
剣がシグルに襲い掛かった。
動きを見切りながらも、何とか当て身を食らわせ、気絶させようとするシグル。
だが隙が無い。
次第に、退路が狭まっていく。
緊迫した空気が二人の間を占める。
レイの方には余裕があった。
獲物をいたぶる肉食獣の余裕が。
肉食獣とその餌。
レイとシグル。
二人の体格差からは想像もつかない光景。
シグルが血溜りで足を滑らした。
一瞬、剣を躱すのが遅れて
魔剣が
吸い込まれた。
シグルの身体に。
「…………………レイ…………………」
その身体から
最後に放たれた声。
否、声ではなかっただろう。
だが、聞こえた。
届いた。
レイの心に。
ずるりと、剣が抜ける。
レイの手から。
シグルの身体から。
妙に澄んだ音を立てて、魔剣が転がる。
憎悪が抜け落ち、空ろになったレイの瞳に、本来の色が戻る。
シグルはそれを見て取ると、ゆっくりと微笑んだ。
微笑んだまま、首がコトリと傾いた。
そして…………………………………




