魔剣
交易船でレムラード大陸に渡ったリートは、その夜、いきなりウンディーネの長の訪問を受けた。
『私を呼ばなかったわね』
現れるなり、シャルーラはそう言った。
『お気遣い、感謝しております。なれど、必要がありませんでしたから……』
『ふ~ん……?』
シャルーラは、リートを眺め、小首をかしげた。
『何かあった? 印象が大分違うわ』
『………ええ、ありました。色々と』
『配下の者たちからは特に聞いてないけど』
『………色々と………考えることが………気付いたことが、ありまして………』
『…………なるほど。どうやらもう、これは必要なさそうね』
そう言ってシャルーラが取り出したのは、翠緑玉。
『………はい。必要ありません。ですが、森の民の長には、心からの御礼を……と、同時に』
強い、意志を持った瞳がシャルーラを見据える。
『お伝え下さい。聖域を追放された者に、あまり深く関わることは、長として相応しくない。御厚意は本当に……本当にありがたいのです。ですが、どうか………どうか御身大切にと……』
『………あら』
シャルーラは、目を丸くした。そのとおりだ。
ジュリオンの行動は、聖域を追放された者、すなわちエルフとしての資格を、事実上失った者に対する長の行動ではない。
最近は、他の長もそれを指摘し、同時に懸念している。
否、懸念しているなら良いほうだ。あからさまな嫌味を面と向かって言う者もいる。
だが、シャルーラには、ジュリオンの行動を止められなかった。
諫められなかった。
ジュリオンの気持ちがわかるから。
自分もまた、リートの母親、ルキアを知っているから。
彼女を、護ると約しながら果たせなかったから。
だから、今回も使いを買って出たのだ。
しかし……
(まさか、リートの口からこんな台詞が飛び出るとは……)
『本当に、変わったわね。なんか、ふっきっれたって感じ?』
『………お気に入りませんか?』
『いえ』
即答する。
『どっちかっていうと、今の方が好ましいわ。ジュリオンはどうだか知らないけど。ま、とにかく、翠緑玉は持って帰るわ。それから、ジュリオンに伝えましょう。あなたの息子は、どうやら親離れをしたらしい。もう父親の庇護は要らないって』
シャルーラは来た時同様、あっという間に消え失せた。
後には、ただ小さな水溜まりだけが残された。
「そうですか。そんなことを……」
翠緑玉を返されたジュリオンは、呆然とした様子で呟いた。
「リートは人の血を引く故に、エルフよりも早く成長する。どうやら私達は、それを忘れていたらしいわね」
シャルーラはどことなく楽し気だ。
しかし、ジュリオンはぼんやりと、手の中の翠緑玉を見つめたまま。
「………勘違いしないでね」
そんなジュリオンに気付き、シャルーラは真顔で友の顔をのぞき込んだ。
「リートは、あなたのことを嫌いになったわけじゃない。むしろ逆。今まで、立場を危うくしてまで自分の身を案じてくれていたことに感謝している。しているからこそ、離れることを、独り立ちすることを決意した。そのことは、わかってあげて」
「………」
ややあって、ジュリオンはポツリと呟いた。
「私も………変わらなくてはなりませんね………」
手の中の翠緑玉を己の胸の高さに持ち上げ、目を閉じる。
ポワッと翠緑玉が光ったかと思うと、次の瞬間、それはジュリオンの中へ、吸い込まれていった。
それから、ジュリオンはリートのことを口にしなくなった。
会いに行こうとも、しなくなった。
そう、数ヶ月後、あの事件が起こるまでは。
事件が起きた直後、リートはゴルボア大陸に居た。
目指すはカイラーサ山脈の頂上。
そこに青竜が住んでいるらしいとの噂を聞いたから。
野営のたき火の前に坐っていたリートの耳に、懐かしい声が届いた。
『リート……』
振り向く前に、声の主が誰なのか、判った。
『――森の民の長。お久しぶりです』
だが、リートは努めて他人行儀に挨拶した。
聖域を追放された者に関わるなと、そう告げたのは自分だから。
刹那、ジュリオンの瞳に哀し気な色が走ったが、次の瞬間、彼は森の民の長として、吟遊詩人に語りかけた。
『リート。魔剣ティルフィングが放たれました』
それは数日前に起きたばかりの事件。
この惑星に多大な影響をもたらすことになる事件の発端。
『ティルフィング?』
思いがけない単語に、リートは己の耳を疑った。
『確かあの魔剣は、カイラーサ山に封印してあったのでしょう?』
泉の脇で語られた、カラムの話を思い出す。
『その上、そこへ至る道は、森の民の手で迷路と化してあったはず』
『我らの手による迷路など、フヌウが相手ではものの役にも立たぬ。それに、封印してあったとはいえ、それは一人の男の念によるいささか不完全なもの。ティルフィング自身が望めば、そのような封印、あってなきが如し』
『ということはつまり』
リートは目を丸くした。
『封印を解いた者は、フヌウとティルフィングの協力を得ることが出来たと? それはすごい。何という名です?』
『アドリアル・ジ・フロイデ。アドと呼ばれています。白月神の年、赤月神の月、白月神の週、赤月神の日に生まれ、月神殿で育てられ、つい先日、成人したばかりの若者』
『白月神の年、赤月神の月、白月神の週、赤月神の日……ですか』
魔剣に係わる予言を思い出す。
それは、魔剣の封印である紅玉を預かるルフィーナ――後世、白月神と呼ばれることになる女性の霊魂――に対し、精霊王自らが成したもの。
紅玉を受け継ぐ者についての予言。
その者は、二つの月が重なる時、この世に生を受ける。
人の世に両親を持たず、剣の力に屈しない、強き心を持つ者
その予言が、いつしか『紅玉』でなく、『魔剣』を受け継ぐ者に対する予言と勘違いされて人の世に流布されていることを、リートは知っていた。
予言は言う。
昔、一振りの大剣あり
そは
あまりにも大きすぎる威力故
人の世から持ち去られ
赤月神の所有するものなり
やがて
その剣を操れる者に
彼が剣を託すその日まで
その者
二つの月が重なる時
この世に生を受け
人の世に両親を持たず
剣の力に屈しない
強き心を持つ者なり
『なるほど。それで、勘違いした月神殿の神官たちが、彼に何か特別な技でも仕込んだんですか?』
『いえ……。アドは、ごく普通の少年です。ただ一つ、他と違う点があるとすれば、「人にも人以外のものにも好かれる性質」を持っているということ』
『それは………羨ましい』
刹那、リートの顔に羨望の色が浮かび、すぐ、消えた。
『つまり、彼はフヌウと魔剣、双方に好かれた、ということですね』
『特にティルフィングは、彼に一目惚れしたと言っても良いでしょう』
『ひ………とめ惚れ、ですか?ティルフィングが?』
呆気に取られた次の瞬間、リートはカラカラと笑い出した。そんな彼を、だがジュリオンは優しい声音でたしなめる。
『リート、あなたにだって、そういう感情に覚えがあるでしょう?』
ふと、笑いが止む。そう、覚えがないわけではない………。
(それにしても、剣が人に一目惚れとは。ドワーフの名匠が創りあげるものは油断がなりませんね。生命なきものにまで生命を吹き込む、といったところですか。けれど……)
『けれど………だとしたら長、あなたは何を心配しているのです? いくら魔剣ティルフィングとはいえ、惚れた相手に害はなしますまい』
魔剣ティルフィング。
それは、鞘も柄も、黄金で作られた大剣。
持ち主ごとにその姿を変え、常に勝利を約束しながら、ひとたび抜き放たれた最後、血を吸うまで鞘には戻らぬ、呪われた剣。
その所有者に、勝利と同時に滅びを与える呪いの剣。
人の心の奥底に秘められた黒い欲望を引き出し、増幅させる剣。
ドワーフの名匠、ディレンとデュアリンの呪いが込められた魔剣。
だが、魔剣自身が望んだ相手であれば、その呪いは効かぬのではないか?
『そう、魔剣が……ティルフィングがアドと共にあれば、何の心配もありません。ですが、つい先程、ティルフィングは彼の手から離され、そして手始めに、一人のフェアリーの生命を奪ってしまった』
『フェアリーの………? 人だけでなく、妖精の命も奪うのですか、その魔剣は』
『アドから離されたティルフィングは暴走します。彼の元に戻りたい一心で、己の主人となる者を次々に破滅させるでしょう。ティルフィングには、それ以外に方法がないのだから』
『わかりました。それで私に、ティルフィングを捜し出し、無事アドの元へ返すようにと、おっしゃるのですね』
『頼みます。ティルフィングがこと、もはや我らの手には負えぬ故……』
人の手で解かれた封印は、人の手でなくては元に戻らない。その事はリートも知っていた。
『承知』
だから、リートは長の前にひざまずいた。
『あなたと共に暮らした少年時代の思い出に誓い、必ずやティルフィングをあるべき場所へ戻しましょう』
『リート……』
長は、しゃがみこむと、その端正な両手でリートの両頬をはさみ、そっと上を向かせた。
『すまないと………思っています。そなたにばかり、重荷を負わせて………』
『そんなこと……』
『人であって人でなく、エルフ精であってエルフでないその性質に……我々は甘えすぎているのかもしれない………』
ジュリオンの瞳に、苦渋の色が浮かぶ。
それを見た瞬間、リートは反射的に両の腕をあげ、ジュリオンを抱きしめた。
『気にしないで、父様』
無意識に口調が幼くなる。
『私は………僕は、嬉しいんだから。父様の役に立てて』
『リート』
『ハーフエルフの僕を、人の仲間にもエルフの仲間にも入れない中途半端な僕を、それでも愛してくれている父様の役に立てるなら。
確かに、僕はもう、あの美しい森には帰れないけど。それでも大好きだよ、父様……』
翌朝、目を覚ましたリートは、枕元にフードとローブが置いてあるのに気が付いた。
「これは、父様の……」
手に取った瞬間、判った。長年、森の民の長が宿り木としている木の繊維から織り上げたもの。
「そう、おそらくは………」
一人呟くリート。
「大足婆さんが紡いだ糸を、背長婆さんが織り上げ、それを赤鼻婆さんが仕立て上げたのでしょうね。
相変わらず、見事な腕前でいらっしゃる。その、容貌はともかく、気前の良いハベトロット三人姉妹に感謝しなくては……」
実際、長の宿り木の枝を紡ぎ、織り、仕立て上げることは、エルフ一の腕を誇るハベトロット三人姉妹にしても、困難であったに違いない。リートは、早速それを身に付け、そして気付いた。
「これは……この縫い取りは………」
フードとローブには、その裏側に、守護の意を込めたエルフ独特の文様が縫い取りしてあったのだ。
「使ってあるのは糸じゃない。これは、父様の髪………」
髪には、その者の『想い』が最も強く込められるもの。リートにとって、これ以上の『護符』はない。
翠緑玉の受け取りを辞退されたジュリオンにとって、これが我が子に出来る精一杯の好意であったのだろう。
寝ている間に置いていったのは、翠緑玉同様受け取らぬのではないかとの懸念の結果か。
(違う、そうじゃない。翠緑玉は、あれは、いうなれば父さまの分身。父さまの、生命の欠片。そんな、身を削るようなことをして欲しくなかっただけ………)
だから。
これなら。
このフードとローブには、ただジュリオンの『想い』が込められているだけだから。
翠緑玉のように『命の欠片』が込められているわけではないから。
(ありがとう………)
しばし、リートはそこに佇み、心から礼を述べた。本当は、面と向かって言いたかったけれど。
「さて………。では、シグールトに向かいますか」
昨夜ジュリオンは、魔剣ティルフィングの気配がシグールトに向かったと告げたのだ。
ふと、リートは、数年前、共に山越えをした麗しい少年のことを思い出した。
何故だか、また遭えるような、そんな予感がした。
もう、レイは少年ではなく、立派な青年になっているはずだ。
「『麗しい青年』になっているでしょうね、きっと。そして、相変わらず『旦那』が影のように付き従っていることでしょう。羨ましい限りです」
くすくす笑いながらそう呟く。
彼らと再会できるかもしれないという想像は、シグールトまでの旅を楽しいものにしてくれるだろう。
リートは、昨夜ジュリオンが現れた辺りを懐かしむかのように一瞥すると、シグールトに向かって歩き出した。
(そういえば、私が生まれたのも『二つの月が重なった時』だったそうだけれど……)
そんなことを思い出しながら。
一週間後。
リートは月神殿の近くを通りかかった。
(月神殿………)
神殿自体に足を踏み入れたことはない。
だが、神殿の地下と………そして神殿の近くになら。
滞在したことが、あった………。
(アニー………)
リートの耳を見ても逃げ出さなかった人間。
人間の方が信じられない、と語った少女。
(今でも、あの小屋に……いるのだろうか)
だが、会いに行くことは出来ない。
あれから20年(地球歴で32年)以上経っているのだ。
だのに自分の外見はほとんど変わっていない。
会いになど、行ける訳がない。
と、その時。
(…………?)
妙な波動を感じた。
(この波動は……?)
目を閉じ、微かな波動の、その源を探る。
(………泣いている………。何か……人でないものが……。波動の源は……………月神殿?)
ゆっくりと目を開けると、リートは月神殿に向かう脇道へと足を踏み入れた。
月神殿裏手の森の中。
とある木の下に、フヌウがうずくまっていた。
そのフヌウには右角がなかった。
『気高き陸の王よ。右角はいかがなされました?』
人ならざるものの言語で呼びかけられ、そのフヌウは顔を上げた。
『………リート殿』
そのフヌウはリートのことを知っていた。
会うのは初めてであったが、己の父にあたるフヌウから聞いていたのだ。
若き日に、ハーフエルフの吟遊詩人を案内したと。
人の匂いと森の匂いの双方をあわせもち、なおかつ人ならざるものの言語を操る吟遊詩人など、他にいるはずもない。
『殿、はお止め下さい、陸の王よ』
リートは苦笑しながらフヌウに近付いた。
『私は、人でもなければエルフ妖精でもない、中途半端な吟遊詩人………。あなたから敬称で呼ばれるような存在ではありません』
『なれど、そなたが森の民の長ジュリオン様の一人息子であることに変わりはない』
『………母は人です』
リートの表情が苦しげに歪む。
が、それも一瞬。すぐに飄々とした顔に戻った。
『やめましょう、その話は。それより、角はどうされたのです? 見れば、脇腹に傷まで。とは言え、ほとんど治っておられるようですけれど』
『話を……聞いて頂けるか? 一人の友を……救う事の出来なかった愚かなフヌウの話を……』
リートは黙って、フヌウの横に腰を下ろした。
『あれは……そう、二週間ほど前のことです……』




