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誕生

 その大陸は、深い谷で半分に切り分けられていた。


 谷底は見えない。

 晴れることを知らぬ白き闇で閉ざされている。


 その向こうに、森が在った。


 北側を谷に、残り三方を切り立つ崖と荒れ狂う大海原に守られて。


 それは人類未踏の森。

 この惑星(ほし)に残された最後の聖域。


 彼らはそこに住んでいた。


 人に似た外見でありながら、人よりもはるかに長い時を生きる者。


 ウンディーネと共に生き、サラマンダーを恐れ、シルフと共に歌い、ノームと共に安らぐ者。


 エルフと呼ばれる『人ならざる者』たちが。





「ジュリオンはいる?」


「……シャ、シャルーラ様?!」


 聞き馴れぬ声に振り向いた若いエルフは、そこに漆黒の髪の水精霊(ウンディーネ)の姿を認め、慌てて深々と一礼した。


「ジュリオンは? あなたたちの(おさ)は………いない、のね?」


「ウ、ウンディーネの(おさ)さま、に、わざわざお越しいただいて、恐縮なのですが………」


 若いエルフが口ごもる。

 シャルーラはふぅっとため息をついた。


「やはり『彼女』の所? 森の長老たちが言っていたとおりね」


「……申し訳、ありません」


「謝らないの。あなたの責任じゃないでしょう?」


「ですが……」


「それにしても、予想以上に重症ね……。長老たちが雁首並べて『長をお救いください』って泣きついてきたときには、何を大袈裟なと思ったけど」


 そっと、目の前の巨木を撫でる。


「ジュリオンの宿り木がこんなに弱ってる……。ここ数カ月ろくに戻ってきてないのね」


「お判りに、なりますか」


「これだけ弱っていれば、エルフでなくても判るわ。あのバカ、死ぬ気なの……?」


 一口にエルフと言っても様々だ。

 その中で、『森の民』と呼ばれる彼らには他にはない特徴がある。


 彼らが産まれる時、同時に一本の木が芽吹くのだ。

 その木は、生涯をそのエルフと共にする。

 エルフが壮健であれば木もまたよく育ち、病めばしおれる。死ねば枯れる。


 故にその木は宿り木と呼ばれている。

 木に宿るのか、木が宿るのかはわからない。両方かもしれない。


 森の民自身、己の宿り木の傍に居る方が調子がいい。

 逆に、離れると徐々に身体が弱る。同時に宿り木もしおれ、ついには枯死する。

 すると、死ぬのだ。森の民も。


 故に、森の民たちは自分の宿り木があるこの森に集まる。

 遠出をすることはあっても移住することはない。

 それは森の民の宿命。


 年老いた森の民は、日がな一日、自分の宿り木の傍で過ごすことが多いという。

 まるで双方支え合うかのように。


「シャルーラ様、お願いです。長を……ジュリオンさまを、救ってください。ここ数カ月『ろくに戻ってきてない』のではなく、

『全く戻ってきてない』のです」


「え……ッ?」


「このままでは……ジュリオンさまは、本当に………」


「……そんな顔しないの」


 巨木を離れ、シャルーラは、若いエルフの髪をくしゃっとかきまわした。緑の香りがふわっと広がる。


「大丈夫。死なせないから」


 聖域(もり)を、風が駆け抜けた。





「ジュリオン、ねえジュリオン、大丈夫?」


 顔中に不安を張り付けてのぞき込む恋人に、弱々しいほほ笑みを返しながら、ジュリオンはようやく立ち上がった。


「大丈夫です。少し、目眩がしただけ」


「『少し』じゃないわ。朝からこれでもう、三回目よ」


 ルキアの言うとおりだ。

 椅子に座りながらジュリオンは苦笑する。

 もう限界だと、判ってはいるのだ。


 しかし……


「ねえ、ジュリオン。お願い。森に帰って」


「できません」


 膝にすがりつき懇願する恋人の銀色の髪を、ゆっくりと愛撫しながら、優しく、しかしきっぱりと答える。


「でも……」


「身重のあなたを、一人置いていくことはできません」


 言われてルキアは反射的に自分の腹部に手をあてた。もう、いつ生まれもおかしくない。


「大丈夫ですよ。心配しないで。ね?」


「いいえッ!」


 ルキアは激しく(かぶり)を振るとジュリオンの両の手を握り、真っすぐにその瞳を凝視(みつ)めた。


「森の民がその宿り木を長く離れているとどうなるか、私でも知ってるわ。お願い、森に帰って。宿り木に戻って。じゃないと、この子が生まれる前にあなたが死んでしまう」


「そんな……ことは……」


「『ない』って言える?」


 押し黙るジュリオン。


「……言えないわよね。エルフは、嘘がつけないんですもの」


「………」


「私なら大丈夫。あなたがいなくても、一人でだって子供は産めるわ。私の母さまだって……」


 その話はジュリオンも聞いていた。ルキアの母は文字通り、たった一人でルキアを産み、育てたのだと。


 だが、ジュリオンはゆっくりと(かぶり)を振り、そして言った。


「今、帰る訳には行きません。もし私が帰れば、あなたはエルフたちに引き裂かれてしまう」


「何度も聞いたわ、その話。森の民の乙女、白樺の姫が、私を恨んでいると」


 聖域の端。

 谷を縁取るように白樺の群れがある。


 それらを宿り木とする森の民のうち、もっとも美しい故に、周りから『姫』と呼ばれている乙女がいる。

 それが『白樺の姫』。


 彼女はジュリオンに憧れていた。

 憧憬はいつしか恋慕となり、やがてその妻となることを夢見るようになった。


 周りまた、それは叶わぬ夢でなく、未来の現実と信じた。彼女は長の妻たるに相応しいと。


『なのに何故(なにゆえ)』、と姫は長に問うた。


『なのに何故(なにゆえ)、あなたは人の子などに情けをかけられますのか』と。


(わらわ)はずっと夢見ておりました。

 あなたの隣に並ぶことを。


 ええ勿論、それは、あなたが約された事ではありませぬ。

 (わらわ)の勝手な思い込み。


 なれど何故(なにゆえ)、人の子なのです。

 ()りにも()って、何故(なにゆえ)に!


 森の民であれば、あるいは他のエルフであるならば、あきらめもつきましょう。


 (わらわ)のプライドはいたく傷つきましょうが、それでもあきらめることはできましょう。


 なれど何故(なにゆえ)、人の子なのです。

 何故(なにゆえ)、人の子でなくてはならぬのです。


 何故(なにゆえ)に…ッ!』


何故(なにゆえ)、か…)


 苦笑する。他人に解ろうはずがない。自分にも解らぬのだから。


 何故(なにゆえ)、彼女を愛したのだろうと、時折自らに問うてはみた。

 しかし答えは見つからない。


 が、どうでもいい。

 何故(なにゆえ)愛したのか、などということは。


 今、現に彼女を愛していることは事実なのだから。

 この想いだけは確かなのだから。


「ジュリオン?」


 いつしか自分の思いに沈み込んでいたらしい。

 心配そうにのぞきこむ恋人に、安心させるようにほほ笑みかけると、そっと抱きよせ、口づける。


「大丈夫……私がここにいる限り、あなたに手出しはさせません」


「でも、このままではあなたが死んでしまう……。そんなの、嫌……」


 幾度となく繰り返した会話。

 終わりのないメビウスの輪。

 不毛な、だがどこか甘美な堂々巡り。


「早く生まれてくれればいいのに……」


 そっと腹部をなでるルキア。

 子供さえ、この子さえ生まれれば、もう白樺の姫を恐れる必要はない。


 白樺の姫は『長の恋人』を害することはできるが、『長の子供の母親』には手が出せない。

 理由はない。そういう掟なのだ。



 ふいに、ジュリオンの身体に緊張が走った。


「……どうしたの?」


「しっ……」


 真剣な表情で、気配を探るジュリオン。


 今、感じた『気』は……?


 シャアアアァァ…ッ 


「……ッ!」


 部屋の片隅の水瓶から、いきなり水が噴き出した。


 椅子を蹴倒し、恋人の身体を守るように立ち塞がったジュリオンの前に、噴き出た水が渦を巻く。


 巻きながらスウッ、と人型になり――


「……シャルーラ?」


 正体に気づき目を丸くするジュリオンの目の前で、水の中から漆黒の髪の精霊が現れた。


「お久しぶり、ジュリオン」


「何用です?」


「……あら。それが久方ぶりに会う友人に対する台詞?」


 苦笑するシャルーラ。が、ジュリオンは警戒を解かない。


「長老たちに頼まれました?」


「ええ」


「無駄です。戻りません。この子が生まれるまでは」


「死ぬわよ」


「構いません」


 ジュリオンの左頬が鳴った。シャルーラが思いっきりひっぱたいたのだ。


「……?」


 だが、痛みはなかった。逆に、清冽な『気』が注ぎ込まれたのを感じ、呆気に取られる。


「私の『気』を注いだわ。少しはもつでしょう?」


「シャルーラ……」


「事情は大体聞いたわ。あなたの意志に反して無理やり連れ帰ろうとは最初から思ってません。あなたが見かけ以上に頑固だってことは、よぉく知ってます」


「……すみません」


「謝る相手は私じゃないでしょう? あの日向ぼっこ大好き、出歩くの大嫌い、ほとんど宿り木と同化した半植物の森の民の長老たちが、杖をつきつき、はるばる私のところまで『長をお救いください』って泣きついてきたのよ?」


 うなだれるジュリオン。自らの行動が長として相応しいものでないことなど百も承知だ。とは言え、他人に指摘されると、やはり少々後ろめたい。


「その熱意に打たれて、わざわざ出向いてきたのだけど……正直言って、宿り木見るまで、ここまで深刻な状況だとは思ってなかったわ」


「私にとって命より大事……。それだけです」


「判ってるって」


 シャルーラは、恋人たちに向けて片目をつぶるとニコリと笑った。


「要は、無事に子供が生まれさえすればいいんでしょう?」


「それはそうですが……」


「とにかくあなたは一旦帰りなさい。その間、私が彼女を見ててあげる」


「……!」


 弾かれたように顔を上げる友に、シャルーラは肩をすくめつつ、だが優しくほほ笑んだ。


「安心して。『白樺の姫』とやらに手だしはさせないから。それとも、私じゃ不安?」


「とんでもない」


 ウンディーネの(おさ)に、森の民ごときが敵うはずはない。


「……有り難う」


 ややあって、ジュリオンは友人のその手をしっかと握り締め、礼を述べた。


「好意に、甘えさせてもらいます」


 遠くで、白樺の姫の呪詛の声が聞こえた気がした。






「生まれたわよ」


 赤の月と白の月が高きところで重なったその日、ジュリオンは親友の報告に喜び勇んで恋人の元へと駆けつけた。


 シャルーラもそれに同行する。


「どっちです?」


「男の子よ。髪は母親譲りね。目鼻立ちは、あなたに似てるわ。成長するにつれて変わることもあるけど」


「早く会いたい……」


 心なし頬を紅潮させ、愛しい人の待つ扉を開けるジュリオン。


 が、しかし。


「……ッ!」


 息を飲んだ。

 ウンディーネの長と、森の民の長が、揃って。


 思いがけない、光景。


 避けられたと思っていた、光景。


 小さな家に満ちていたのは


 血の、匂い。


 そして


 朱にまみれた女性。


「ル……」


 ジュリオンの喉が呻く。


「ルキア……ッ!」


 駆け寄り、抱き抱える。まだ、微かに息がある。


「ルキア、ルキア、ルキアッ 」


 恋人の必死の呼び声が届いたのか、うっすらと眼が開く。


「ジュ……リ……」


 弱々しくほほ笑むその口から


「シャルーラさんの……所為じゃ、ないわ……」


 こぼれた最初の台詞は、恋人の親友の無実を知らせるものだった。


 彼女の傍らに、血にまみれた布の塊が転がっている。


 まさか……?


「安心して……。赤ちゃ……奥……、衣装、箱……」


 視線を追い、その考えを察してルキアが告げる。シャルーラが血まみれの布の塊を振りほどく。現れたのは、猫の死骸。


「何故……。子供が生まれたのに……」


「生まれた、から……な、の……」


「……え?」


「……ったのは、白樺……ひ……め、じゃ、ない……」


「なら、誰が!」


「村の……人、達……」


 人ならざる者たちは、一瞬絶句し、


「「何故ッ!」」


 同時に叫んだ。


「か……れ、らに……とって、私たち、は……呪わしき、存在、忌むべき……」


「忌むべきもの……? 何故?」


「理由なんて……ない、わ……。そういう……掟……」


 白樺の姫が、『長の恋人』は殺せても、『長の子供の母親』は殺せないように。


「……私……のぞ……まれ、ない……子供、だった、か、ら……」


「望まれない……子供?」


 精霊とエルフは顔を見合わせた。


 子供というのは、ただそれだけで歓迎されるものではないのか?


 出生率の低いエルフの中では、新しき命はいつでも歓迎される。望まれない子供など、いやしない。


「人間、は……、人の、世界は……、兄妹、で、子供、を、つくっちゃ……いけ、な……」


 ルキアの瞳が哀しみに煙る。何故、自分は人間に生まれてしまったのだろう。エルフならば……いや、犬でも猫でも小鳥でも良い。人間でさえ、なかったら…。


 望まれない子供。兄妹の間にできた子供。それだけの理由で彼女は人間の枠組みから外された。


 それ故、子を孕んだと判っても、初めから一切、他人に頼ろうとはしなかった。『望まれぬ子』が、『エルフとの混血』を産むのに、手を貸してくれる者などいやしない。


 精霊とエルフには、理解できなかった。

 彼女は歴とした人間だ。


 なのに何故、人間に頼ることができないのだ?


 子供が不吉だから、エルフとの混血だからと、子供を殺そうとするのはまだ理解できる。


 だが、何故彼女まで殺さねばならない?

 何故、両親が兄妹であったというだけで、彼女は忌むべき者とされねばならぬのだ?


 彼女自身は何もしていないのに?


 精霊にとっても、エルフにとっても、それはおそらく、永久に理解できない事柄。


「ジュリ……オン……。2つ、約束……して……」


「何です?」


 ルキアの声が段々と弱くなる。生命が、少しずつ指の間から零れ落ちる。それを感じながら、ジュリオンにはなす術がない。


「赤ちゃんを……お、願い……」


「勿論です」


 言われるまでもない。


「もう、1つ……。復讐は、し、ない、で……」


「……ッ!!」


「お、ね……がい……」


 ジュリオンは、目を閉じ……そして、開いた。


「……わかりました。約束します」


 答えるのに、数秒を要した。


「……あ……りが、とう…………」


 その時ルキアの顔に浮かんだ笑みを、ジュリオンは生涯、忘れることができなかった。


 優しく、澄んだ、透明な、ほほ笑みを。


「あなたに……会え……、良かっ……」


「ルキア?」


 抱えていた身体から力が抜けた。


「ルキア、ルキア、ルキアァーッ!!」


 慟哭するジュリオンの後ろでシャルーラががっくりと肩を落とす。


 相手が白樺の姫であろうとなかろうと、自分は彼女を守ると約束した。

 友人の恋人を守ると、約したのだ。


 子が生まれれば大丈夫と判断した自分が、甘かったのだ……。






 その翌日。


 人の村が一つ、水没した。


 川が氾濫したのだ。大雨も降らぬのに。


 なるほど。確かに復讐しないと約束した。ジュリオンは。


 だが、シャルーラは――?


 その村の滅亡の理由は、いまだに解明されていない。


 おそらく、永久に――


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