祝福
その翌日。
リートは、あのペプの集落の側に座り込んでいた。
じっと、ペプたちを見つめる。
ペプたちは、夫婦共同で一匹の子供を育てる。
雌が巣にいる時は雄が、雄が巣にいる時は雌が、海へと食料を取りに行く。
巣にいる時は、その体毛で雛をあたため、同時に外敵に目を光らせる。
海にいる時は、己の食事をしつつ、雛への食料を餌袋へと溜めこむ。
今も、沖合いに何やら黒い固まりが浮かんでいる。
食料を集めているペプの群れだ。
(ペプたちは、何故、生きるのかなどと問うことはないでしょうね)
目の前では、小さな生命たちがチイチイと、声を上げている。
親は、それに応えるようにクチバシで雛をなでる。
(…………のどかですねえ…………)
リートがそんなことを考えていたちょうどその時、
「ピーーーーーーーーッ!!」
突如、引き裂くような鋭いペプの叫びが響いた。
サッと、巣にいた親鳥たちが、雛を己の身体の下に隠す。
海獣だった。
食料を得、巣に戻ろうとしたペプの一団を、一頭のザラン海獣が襲っているのだ。
「!!」
リートが腰を浮かせた時は、もう遅かった。
遅れていたペプが一匹、海獣の牙に捕らわれた。
「ピーーーーッ、ピーーーーッ、ピーーーー、ピーーー、ピ………………」
牙に肉を裂かれながら、もがくペプ。
だがその動きはだんだんと弱くなり――
やがて、完全に肉塊と化したペプを、海獣は鋭い牙で引き裂き、咀嚼し、飲み込んだ。
そして。
海獣は海へと帰っていった。
巣の中のペプたちは起き上がり、無事に戻った一団を迎え入れ、交代した。
餌を求めて、雛たちが声を上げる。
海から戻ってきたペプたちが、雛に餌を与える。
それは、先程から繰りかえされてきた光景。
一匹のペプを襲った悲劇など、まるでなかったかのような。
いや、それは確かにあったこと。
その証拠に、一匹の雛が、餌ももらえず、親鳥の羽毛に包まれることもなく、ぽつんと置き去りにされている。
チイチイ、チイチイ
雛は、餌を求めて声を上げる。
温もりを求めて、声を上げる。
しかし、答えてくれる親鳥はいない。
先程まで雛の傍らにいたペプは、食料を取りに海へと向かっている。
交代し、この雛鳥に餌を与え、羽毛に包むはずのペプは、さきほどザラン海獣に飲み込まれたのだ。
チイチイ、チイチイ
雛は、餌を求めて声を上げる。
温もりを求めて、声を上げる。
だが周囲の他の親鳥たちはそれに答えない。
答えるわけにはいかないのだ。
何故なら、彼らには自分の雛を護る役目があるのだから。
他の雛まで護る力はないのだから。
この雛は、おそらく死ぬだろう。
飢えか、あるいは、寒さにやられて。
(………………)
リートは一瞬、その雛に手を伸ばしかけ…………そしてやめた。
手を伸ばして、そしてどうなる?
自分がずっとこの雛の面倒を見るわけにはいかないのだ。
だとしたら。
手を伸ばして一時の庇護を与えたとして。
結局それは、雛の死を先延ばしにするだけではないか?
(そういえば昔、同じようなことがあった。聖域で…………)
あれは、ガルーダと呼ばれる猛禽の雛だった。
巣から落ちて、もがいている雛を巣に戻そうとして、止められたのだ。ジュリオンに。
――ガルーダの雛は、お互いを蹴り合うのです。その雛を巣に戻したところで、また兄弟に蹴落とされるだけです。
――兄弟で蹴り合うの? どうして?
――そうして、最も強い雛にだけ、生きる資格が与えられるのです。
――じゃあ、弱い雛は…………死ぬしかないの?
――そうです。
――そんなの…………
――それが、ガルーダの掟。
そして、生存競争に敗れた雛には、敗者としての役目があります
――敗者としての、役目?
――それは、他の者の糧となること。
――糧…………。食べられちゃうの?
――敗者となった雛の骸を餌とする者も居るのです。それが、食物連鎖。生命の環
――生命の……環……?
――リート。一時の哀れみから生命の環に手出しをしてはなりません。いいですね
「生命の…………環…………」
考えてみれば。
このペプたちだって、魚を餌にしているのだ。
海獣がペプを餌にするように。
その魚は、もっと小さな魚を、あるいは動かぬ海草たちを餌にしている。
海草だって、生命だ。
「生命は、生命を糧に生きている」
リートは、再び座り込もうとして…………そして気付いた。
雪の中に、何か小さなものが動いているのを。
それは、小さな昆虫だった。
昆虫たち、だった。
小さな手足を必死に動かし、這松の方へと向かっていた。
よく見ると、這松の幹に、同じような昆虫たちがいる。
(あ、そうか…………)
先程、立ち上がった時、手近の這松の枝を揺らしてしまったのだ。
その弾みに雪原へ放りだされたのだろう。
だが彼らは、恨み言一つ言わず、ただ己が生きるために必死で這松を目指して進んでいる。
(恨み言…………か)
そんなことをいうのは、人間と…………妖精くらいだろう。多分。
神官の言葉を思い出す。
(生きとし生ける者、動物、植物、全てが聖なる存在…………)
「聖なる…………存在…………」
(何故、聖なる存在なんだろう。生命は、生命を糧にしなければ生きられないのに)
(いくつもの生命の犠牲の上に、生命はあるのに)
目の前の、ペプたちの営みを見つめる。
一見のどかなその風景。だが、その裏には激しい生存競争が息を潜めている。
(彼らはそれでも生きている)
(何故と問うことなく、その生命の続く限り、生きている。生きようとしている)
(生きようと)
(何故………?)
(生きて……?)
(生きている…………から?)
(生きとし生ける者、全てが聖なる存在、というのは…………)
(生きていることが)
(生命そのものが)
(生命ある者は皆、生き続けようとする)
(何故、と問うことなく、どうして、と悩むことなく)
(生き続ける)
(生きようとする)
(それは、生きているから?)
(生命は…………)
(生命が尊いなら…………)
(尊い生命を犠牲にして生命があるなら)
(だから、尊いのか?)
(尊い生命を糧としてあるものだから)
(だから、聖なる存在、なのか?)
(生きている者はみな)
(生きているから)
(尊い?)
(だから生きている?)
――答えは既にそなたの中にある
洞窟の出口で耳にした声を、思い出した。
「一つ、教えて下さい」
その夜、リートは神官に尋ねた。
「なんでしょうか?」
「先日、あなたはおっしゃいました。『この地の全てが聖なる場所』だと。『極寒の地も、深き海の底も、全て』と。それは、そこに生命があるから、ですか?」
神官は、ただ、あの穏やかな笑みを浮かべただけだった。
数日後、リートはあのシュナの骨のところへ戻っていた。
竪琴に仕込まれたドワーフの剣を取り出し、骨の一部を切り取る。
そしてゆっくりと削り始めた。
やがて。
骨は竪琴の形になった。
雪に埋もれていたシュナの髭を探し出し、検分する。
選び出した数本の髭を張り付け、弦にする。
細かく弾いて調弦をすませる。
できあがった竪琴は、お世辞にも立派とは言えない。オグマの竪琴に比ぶべきもない。
だが、リートは満足していた。何故なら、これは自分一人の力で作り上げた竪琴だったから。
自分の生きる支えを、自分で作り上げたのだから。
その場に座り直し、シュナの竪琴をかまえる。
出来たばかりの竪琴の音色が、雪原に響いていった。
「さて。これをどうしましょうか…………」
弾き終わると、リートはオグマの竪琴だったものを手に、しばし考え込んだ。
とりあえず、ドワーフの剣の鞘になっていた部分は削り出し、そのまま鞘として使うことにする。
しかし、残りは…………。
リートは、一つ頷くと、そのまま雪原にそれを埋めた。
翠緑玉ごと。
「もう、僕は大丈夫だから。ありがとう」
愛しげに語りかけると立ち上がり、白竜の住処を目指して歩き出した。
『答えは得られたか?』
白竜が尋ねる。
『はい』
『ならば答えよ。そなたは何故、この世を生きる?』
『今、生きているからです』
ここ数日、考えつづけてきた想いを吐き出す。
『生き続けること、生きること。それが、尊い生命持つ者の、最大級の権利にして義務だからです』
しばしの沈黙。
やがて白竜は、ふっと微笑んだ(ようだった)。
『………………それで良い』
そう言って、前足をリートの方に差し出した。
『宝珠をお貸し』
リートが差し出した宝珠に、白竜がふうっと息を吹きかけると、宝珠の中に、ふわっと白が広がった。混ざり合うことなく宝珠の中をゆらゆらと流れる緑、黒、白。
『我が力は「疾風」。掲げて唱えれば、そなたの周囲に風が吹き荒れる』
『ありがとうございます』
受け取った宝珠を大事にしまい込む。
『リート』
『はい?』
『先の答え、忘れるな。例え使命を果たし終えても、生ある限り、生き続けよ』
『あ………………』
ようやく、リートは気付いた。
白竜が何故、生きる意味を問うたのかを。
彼女は、案じていたのだ。この地に、一人取り残されるリートの身を。
そうなった時、またもや、生に背を向けはしないかと
『はい。忘れません、けして…………』
あの時、洞窟の出口で聞いた声。
――答えは既にそなたの中にある
あの声は、やはり白竜のものだったのろう。
問うても、答えてはくれないだろうけど。
リートは、深々と頭を下げると、洞窟を出てファームリン半島へと向かっていった。
大祭には、まだ間に合うはずだから。
「あ…………」
集落の手前、あのシュナの骨のところで、リートは思わず足を止めた。
「芽………………?」
オグマの竪琴を埋めたところに、小さな、緑の生命が生まれていた。
「こんなところに、どうして…………」
口にしてから気付いた。
そうだ、自分はここに、あの翠緑玉も一緒に埋めたではないか?
「父様の、力…………?」
他に考えられなかった。そっと、小さな芽に触れてみる。
「生きている…………」
小さな、小さな、生命。けれど確かな脈動。
「そうか。竪琴から、生えてるんだ」
やがて、この芽は木になるだろう。
大木には、なれるまい。この地は少々寒すぎる。
しかし、不毛の大地に、ここだけ緑が生い茂るだろう。
それを人々は、おそらく奇跡と呼ぶだろう。
ふいに
明るくなったような気がしてリートは上空を見上げた。
「あ……………………」
空が、光っていた。
自然の神秘。
極点の奇跡。
「オーロラ………………」
それは、天空で繰り広げられる光の祭典。
その下を。
飛んでいた。
白竜が。
まるでリートの行く末を見守るように。
その決意を祝福するかのように。
虹色に輝き、揺れ動く、光の芸術。
はるかなる高みからの贈り物と共に――――
ファームリン半島。
極寒のこの地に、ただ一個所、緑の生い茂る場所がある。
近くの集落にはこんな伝説がある。
あるブリザードの夜、神の御使いが大地に降り立った。
ファームリンの民の、貧しいけれども心のこもった歓待に、御使いは満足された。
歓待の礼にと、御使いは、雪原に祈りの歌をささげた。
ファームリンに住まうものに祝福あれと。
すると大地は祈りに応え、祝福の歌を受けた場所に温もりを与えた。
祝福の緑がそこに芽生えた。
御使いはやがて、海の向こうへと去っていった。
しかし祝福の緑は、今なお、我らの側にある――――




