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白竜

 港町で手に入れた小船は、高波に持ち上げられ、あっと言う間に引っくり返った。


 北の海は冷たい。たとえ夏であっても。


――あ~あ


 海に投げ出された瞬間、脳裏に浮かんだのはそんな意味のない呟き。


 形のない水が全身を切り裂く。


――これで、終わりなのか………


 人ならざる言語は水中では紡げない。


 冷気が手足の自由を奪う。身体がゆっくりと沈んでいく。


 銀髪がそれにひきずられる。まるで体を引き上げようとする網のよう。だとすればそれはなんと空しい努力か。


 リートは抵抗を諦め目を閉じた。

 その寸前、何かに呼びかけられたような、そんな気がしたけれど――






 気が付いたら岩の上だった。

 岩礁の海岸。その波打ち際。


『気が付いた?』


 声の方向に視線を向ける。

 ウンディーネが居た。

 とても不機嫌そうな。


『あなたが助けてくれたのですか?』


『不本意ながら』


『不本意?』


『北の大地に渡ろうとする阿呆どもはみんな魚の餌になればいいッ』


 ウンディーネは、苦いものを吐き捨てるかのように言い放った。


(では、何故………?)


 精霊が、自己(おのれ)の意に添わぬ行動をとるなど、考えられない。


(おさ)の命令だから』


 疑問が表情に顕われたか、ウンディーネがぼそりと説明する。


(おさ)……。シャルーラ様?』


(おさ)から伝言。次に海を渡るときには自分を呼べ、だって。ったく……。じゃ、伝えたからねッ!』


 そう言うとウンディーネは、あっと言う間に波間へ消え失せた。


 (おさ)の命令とはいえ「北の大地に渡ろうとする阿呆」を救ったことがよほど腹に据えかねているらしい。


 リートはしばらく呆気に取られていたが、ややあってポツリと呟いた。


『お礼、言い損なっちゃいましたねえ……』


 言われたところで喜びはしなかっただろうけれど。


 リートは小さなクシャミを一つすると、少し離れたところに置かれていた荷物の点検を始めた。


 緑竜の妙薬、OK。

 宝珠、ある。

 財布、無事だ


 しかし食料は全滅だった。

 そして竪琴は――


(弦が……)


 切れていた。全部、ではないが、残された弦が3本しかない。


 その上、先端にはめ込まれたあの翠緑玉(エメラルド)に、ヒビが入っている。


(………………………)


 無残な姿に変わった竪琴を、呆然と凝視める。


 が、再びクシャミの発作に襲われたのをきっかけに、無理やり気持ちを切り替えた。


(後で考えましょう。今は濡れた服を乾かす方が先ですね)


 手早く服を脱ぐと、日の当たっている岩の上に広げた。


 同時に荷物と、自分自身をも乾かすことにする。


 素っ裸のままのあられもない姿だが、こんなところに人の目があるはずもないので、リートはしばし日光浴にいそしむことにした。


 人でないからこそできる所業。何と言ってもここは北海の果て。極寒の北極大陸だ。気温は驚くほど低い。人であれば間違いなく凍死する。


 吹く風に銀髪をなびかせながらぼんやり海を眺める。


 どれくらいそうしていただろう。


 沖合いから何やら、黒い固まりが向かって来るのに気付いた。


 それは、ペプと呼ばれる海鳥だった。


 鳥でありながら泳ぎが巧みで、そのくせ飛ぶことの出来ない鳥。


 体は紡錘形で足は短く、足指には水掻きがついている。


 陸上では直立で、その小さな足をちょこまかと動かして移動する。


 その姿はユーモラスで可愛らしい。翼は短く、ヒレ状になっている。


 地球上の動物で例えるなら、ペンギンの首をもう少し長くしたようなもの、というのがもっとも近い形だろう。


 ペプの集団はリートのいる岩場に向かっていた。ほどなく先頭部隊が岩礁の上に顔を出す。プルルッと体を一振りし、海水を弾き落とすと、次々に上陸を始めた。


『こんにちは』


 人ならざる言語で挨拶する。


 された方はキョトンとした顔でリートを見つめると、チョコチョコと近づき見慣れぬモノを観察しはじめた。


 右に左に首をかしげ、のぞき込むその仕草が可愛らしくて、リートはついつい笑い出した。


 その声にびっくりしたようにちょっと後ずさるペプ。が、すぐに好奇心を身体中に張り付けて寄ってくる。


 一匹の、勇気あるペプがついにリートに接触した。手のひらをつつき、サッと引く。


 一泊置いて、今度はクチバシを擦り寄せた。リートが、そのペプの頭を撫でてやると、それが合図になったのか、残りのペプたちが、わっと押し寄せた。


『アナタ誰?』


『ドコカラ来タノ?』


『ドコニ行クノ?』


『私はリート。人とエルフの間に生まれし者。南の大陸から白竜に会いにここに来ました』


『白竜?』


『見タコトアル』


『飛ンデタ。飛ンデタ』


『住ンデルトコ、遠イ。ココカラ遠イヨ』


『遠くても、行かなくてはならないのですよ』


『ドシテ?』


『ドシテ?』


『どうしても。それが私の使命ですから』


『シメイ?』


『ナニソレ?』


『「やらなければならないこと」という意味ですよ』


『ネエネエ、コレナアニ?』


 一匹のペプが立て掛けてあった竪琴に気づき、クチバシで軽く触れる。


『――竪琴、です』


 リートは静かに立ち上がると、3本しか弦の残っていない竪琴を取り上げた。


(残った3本も弱っている。いつかは切れる弦ならば……)


『ではお近づきの印に』


 リートはにこやかな笑みを浮かべると、3本だけの弦で即効曲を奏ではじめた。






 その夜、リートはペプの群れと共に休んだ。


 彼らは岩礁の岸辺から少し内陸へ入ったところに群棲している這松(エイアス)――寒冷で風の強い地域に自生できる匍匐(ほふく)性常緑低木――の中に、巧みに巣を造っていた。


(ふう……)


 這松(エイアス)の香りに包まれ、夜空に輝く白と赤の二つの月を眺めながら、リートは深くため息をついた。

 その枕元には全ての弦を失った竪琴が置かれている。


 竪琴に剣を仕込んだドワーフの言葉が脳裏によみがえる。


――コイツノ弦、モシ切レタラ、コノ世界デ替エハ効カナイゼ。


(もう二度と奏でられない。私は、オグマの竪琴を、貴重な竪琴を。失ってしまった……)


 それだけではない。


 あの翠緑玉(エメラルド)


 父であり、森の民の(おさ)であるジュリオンの「気」が込められた宝珠まで。


「失ってしまった……」


 声に出すといきなり現実味が増した。心に大きな空洞が出来た気分だ。


 涙が出るかと思ったが、しかし瞳は乾いたまま。代わりに、胸の奥に何だかわからない何かが、溜まっていくのを感じた。


 おかしな話だ。心にはぽっかり穴が空いているのに、胸には何か余計なものが詰まっている。


 もしかしたらそれは、もっと前から空だったのかもしれない。


 もしかしたらそれは、もっと前から、わだかまっていたのかもしれない。


(気付かなかっただけかもしれない……)


 そんなことを(おぼろ)に感じながら、リートは眠りに落ちていった。






「リートは無事ですか?!」


 常に礼を失しぬ穏やかなジュリオン。


 だがこの時ばかりは親友の顔を見るなり礼儀も忘れてそう尋ねた。


 あの翠緑玉(エメラルド)はおのれの分身。その分身に、何やら強い衝撃が走ったのが分かってから、いても立ってもいられなかったのだ。


 とは言うものの、すぐに北海に飛ことはできない。


 だが、ウンディーネならば。


 この惑星の大半は海。海もまた水。であればそれはウンディーネの住処。


 その中で、あるいはその上で、起こったことは、全てウンディーネの知るところなれば。


「大丈夫。彼自身はね」


 問われた親友、ウンディーネの(おさ)、シャルーラは苦笑しながら事の顛末を語った。


「そうですか、良かった……」


 ジュリオンは、ほっと溜息をついた。

 だが、シャルーラの表情はどこか心配気だ。


「ただ……」


 そう言って口ごもる。


「ただ……なんです?」


「助け出した者の話によると、どうやら、あの竪琴は壊れてしまったらしいわ」


翠緑玉(エメラルド)が壊れるほどの衝撃です。無理もないのでは?」


「それはそうだけど……。リートは、最初に良いものを持ちすぎたわね」


「……え?」


「一度『オグマの竪琴』を、ドワーフの手による最高傑作の竪琴を手にしてしまったのよ。もう、そんじょそこらの竪琴じゃ満足できないでしょう?

 でも今、この世界にオグマに匹敵する竪琴がある? 彼にとって、竪琴は「生きていく上での」必需品なのに」


 言われて初めて、ジュリオンはようやくそのことに気が付いた。


 そう、竪琴はリートにとって必需品だ。吟遊詩人だからというわけではない。竪琴は、否、音楽は彼にとって、彼にとって、なくてはならぬもの。彼の「生命」の支え。


「………『オグマの竪琴』の代替品など……ないでしょうね」


 ややあって、ジュリオンはようやく、それだけ呟いた。






 ペプたちとすごした翌朝。


 リートは一人、北へ向かった。竪琴でなくなった竪琴を抱え、ペプの言う『ココカラ遠イ白竜ノ住処』へ。


 遠い、と言ったところでそれはペプの感覚でのこと。リートは、雪と氷に幾度か阻まれながらも、その日の夕刻には『白竜の住処』にたどり着いた。


 それは、深いクレバスの底、氷柱の連なる氷の洞窟の先にあった。


 冷たく、固い、薄暗い洞窟のその先に、白竜は住んでいた。


 そこには光があった。


 頭上に、極点の空が広がっていた。


 太陽の恵みを受け、きらきら光る氷壁。


 光が氷柱を通り抜け、あるいは弾かれて鮮やかに色づき、氷壁を、白竜の鱗を、七色に染め上げている。


 まるで氷の宮殿に住まう女王のよう。


 そう、その白竜は女性だった。


『何用か?』


 白竜が気配に気付き、もの憂げに顔を上げる。


『白き竜よ、気高き氷の女王よ。我が名はリート。人とエルフの間に生を受けし者。人であって人でなく、エルフであってエルフでない者。突然寝所をお騒がせいたした無礼、深くお詫びいたします』


『何者か、とは聞いておらぬ。我が問いに答えよ』


『は……』


 リートは冷や汗をかきつつ、己の目的を語った。


『要するに』


 だが、聞き終えた白竜は、フン、と鼻で嗤った。


『南海の孤島に赴き、幻竜様を目覚めさせるため、(わらわ)の力をその宝珠にこめて欲しいというのであろう。それだけのことをよくもまあ、そんなに長々と話せるものよ』


『……恐れ入ります』


『力をこめてやっても良い。ただし……』


『ただし……何でしょうか』


(わらわ)の質問に答えたらの』


『質問、ですか?』


 どんな試練が課せられるかと身構えていたリートは、いささか拍子抜けした。


『質問はこうじゃ。リートとやら、そなたは何故、この世を生きる?』






『…………え……………?』


 質問の意味が胸に落ちるまで、かなりの時間を要した。


『今すぐ答える必要はない』


 白竜は、薄く笑った(ように見えた)。


『答えを得るまで考えるがいい。期限は定めぬ。ゆうるりと、おのれの心を見極めよ』


 そう言うと白竜は、目を閉じた。会見は終了、というわけだ。


『……………………』


 リートは、当惑しながらも一礼し、きびすを返した。


 氷の宮殿を抜け、薄暗い洞窟を進む。


 洞窟の出口に近付いたその時、


『答えは既にそなたの中にある』


 唐突に声がかけられた。


 が、振り向いたリートの目に映ったのは、冷たく、固い、薄暗い洞窟の壁だけであった。

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