少年
黒竜の言う通りアネルヴァルドで腕のいいドワーフに出会うことができた。
彼は、聖剣の製作――数カ月かかるらしい――を快く引き受けると同時に、一つの情報をリートに与えた。
白竜が北西へ飛んで行くのを見たと。
リートは人の世に戻ると、北西に向かう道を尋ねた。
示された幾つかのルートの中から、その道を選びだしたのは偶然だ。
だがその道を選んだ以上、その小さな宿場町に泊まったのは必然だった。
このルートを旅する者が、ほとんど全員、ここで夜を明かすのだから。
しかし、その宿場町に幾つかある宿の中から、その宿を選んだのはやはり偶然だ。
人はそれを、あるいは運命と呼ぶのかもしれない。
宿の外見には不似合いな極上の手料理を平らげると、リートは財布の中身を確認した。
思ったとおり、ここの宿代を辛うじて払えるだけの金額しかない。
「やれやれ……」
呟く声は食堂の喧騒に紛れ、誰の耳にも届かない。
(フィンを買ったのが響いてますね……)
フィン、というのは地球の馬に似た草食の四足獣だ。使われ方もほぼ同じ。
二日前、リートはフィンを売る一人の男に出会った。
売り主は無口だったが商品は雄弁だった。
――おかみさんがね、病気なんです。
薬が沢山いるんです。
売れるものはね、売ったんです。
でもね、元々そんなにたくさん売れるものなんてなくて。
でも、お金がどんどん必要で。
だから、もう、あたししか売るものないんです。
そりゃ、寂しいですよ、おかみさんや親父さんと離れるのは。
なにせ、あたしが乳飲み子の時から世話になってますからね。
まあ、最近はあたしが世話してますけど。
とはいえ、あたししか売るものがないのはわかってますからね。
売られることに文句はないっていうか、喜んで売られていきます。おかみさんのためですからね。
でもねえ、あたしももうだいぶ年取ってるし、毛並みもあんまりよくないしね。
そう高くは売れないと思うんですよ。
いえ、おかみさんがそう言ってたんです。
でもね、なんか、いい薬があるらしくて。
せめてそれを買うくらいにはって思ってるんですけどねえ。
だからね、ここで、あたしの言葉が分かる人に会えたって言うのは、それこそ『神のお導き』ってヤツだと思うんですよ。
だからぜひ高く買ってくださいな。
……ところで、神ってなんですかね?
延々と続く訴えにほだされ、というより音を上げて、つい、言い値で買い取ってしまったのだ。特に必要はなかったのだが。
とは言うものの、これから北西へ向かう『山越え』をする以上、フィンがいた方が楽なのは確かだ。
(まあ、フィンは山を越えてから売り払うとして、とりあえず、ここで稼ぎますか)
当たり前の結論に達し、竪琴を取り出したリートの耳に、軽やかな笑い声が届いた。
何気なくそちらを向き、息を飲む。
笑い声の主は二人の女性だった。
一人は黒髪の少女。
頬杖をつきながら香茶を飲んでいる。
ここからでは残念ながらその後ろ姿しかわからない。
その向かい側に座っているのは――
(美しい)
美しい、というありきたりの形容詞しか浮かばない自分が情けないほど、美しい少女であった。
遠目にもその滑らかさがわかる白い肌。
すっきりと伸びた細い鼻梁。
切れ長の碧い瞳に長い睫。
透けるような金髪は、後ろで緩やかに束ねられている。
リートは竪琴を抱えて立ち上がると、彼女たちに近づいた。
「失礼、宜しいですか」
声に驚いて振り向いた黒髪の少女は、予測していたよりも幼く見えた。
大きく見開かれた黒い瞳のせいかもしれない。
「何でしょう」
一瞬、間を置いて応えたのは、金髪の美少女の方だった。
瞳には警戒の色が浮かんでいる。
その声音に少し違和感を覚えつつ、リートは営業用の微笑みを浮かべた。
「麗しい方々に拙い詩ですが一曲差し上げたいと存じまして」
「麗しいって、あたしの事?」
黒髪の少女がおどけて応える。
「もちろんです。そして、貴女様も」
未だ警戒を解かない金髪の美少女の右手を取り、恭しく貴婦人に対する礼をする。が、その手は即座に振り払われた。
「私は男です」
冷たい返答は、確かに『少年の』声色だった。
周りがざわめく。
皆、女性だと思っていたのだろう。
リートも目を丸くする。
よく見れば、まとう雰囲気は確かに少年。
外見に惑わされた自分に内心で舌打ちした。
「すみません。お怒りにならないで下さい。てっきり、女性だと思ったものですから」
素直に過ちを認め、頭を下げる。
金髪の美少女、いや美少年は謝罪を受け取る意味で微笑んだ。表面だけの笑みだ。
しかし周囲に再びざわめきを生むにはそれで充分だった。
喧騒の中、リートが美少年に向きなおる。
「お詫び代わりに一曲、受け取っていただけますか?」
美少年はリートの抱える竪琴に目をやると、ついで目の前の黒髪の少女に向かって、どうする? と目で問いかけた。
それを見て取り、リートは改めて、黒髪の少女に向かって一礼した。
「お嬢さん、リクエストが有りましたら何なりとおっしゃって下さい」
「……あたし、お金持ってないよ?」
少女は困惑しているようだ。
「『お詫び』というからには、お金はとらないでしょう?」
美少年の言葉に、大袈裟にうなずくリート。
「ええ。勿論です。『お二人からは』いただきません」
そう言うとリートは、笑みを浮かべたまま、周囲をぐるりと見回した。
「ですが、その他の皆さまからはお代を頂きますよ?」
「つまり、私たちは『だし』に使われるわけですね」
美しい唇から飛び出す台詞にはしっかり刺がある。
「これが私の商売ですので」
が、リートはそれに臆するどころか、楽しそうに笑った。
実際、楽しかった。はしゃいでいた、と言ってもいい。
何故と問われても答えられないが。
「ああ、申し遅れました。私の事はリートとお呼び下さい」
「……リートさん?」
黒髪の少女が声をかける。
「何でしょう、お嬢さん」
「本当にタダでいいの?」
念を押す少女の瞳は既に期待で溢れている。それを見て取った美少年は、少女の希望を遮ろうとはせず、その代わり、ほんの少しだけ体勢をずらした。
リートが少女に対して危害を与えようとしたらそれを防げる体勢だ。
リートは、そんな彼らを安心させようとニッコリ微笑むと、少女に尋ねた。
「さて、何がよろしいですか?」
「あのね、ユーファ様の話が聞きたいんだけど……」
「美の女神ユーファですね。分かりました」
うなずいて竪琴を構えながら、リートは少々驚いた。美の女神ユーファの物語は、その可憐な名前とは裏腹に、あまり『女の子向け』ではない。
美の女神ユーファ。
彼女はありとあらゆるものに潜んでいる。
詩人は言葉の中に彼女を探し、彫刻家は岩や木の中に彼女を見つける。
しかし、彼女の最大の武器は『時』。
どんなに辛く悲しい思い出ででも、彼女は『時』の魔力を使ってそれを美しく化粧する。
彼女の夫医学の神アグネールは体の傷を治し、彼女は心の傷を癒す。
どんなに辛く悲しい過去であっても、それはいつしか必ず癒される。
そういう詩なのだ。
(普通ならば愛の女神アルシャルクの恋歌か、知恵の神ペルタニウスと商売の神ミクの滑稽な知恵比べの歌を好む年頃でしょうに)
思いながらもしかし、竪琴は歌い始める。
最初の一音を発すると雑念は消えた。
後はただ、没頭するのみ――
(結構いい稼ぎになりましたね)
美の女神ユーファの歌の後、周囲から次々リクエストが飛び出し、結果、財布は十二分に温かくなった。
歌い続け、疲れた喉を潤そうと人気の消えた食堂の隅で果実酒を飲んでいたその時、ふいに目の前に影が差した。
「いいかい?」
目の前に黒髪の大男が立っていた。
「どうぞ」
断る理由はない。男は重たげな革袋を床に降ろすと、向かい側の椅子に腰掛けた。
ギシッと嫌な音を立てて椅子が軋む。
「ここの親父に聞いたんだが、あんたも山越えをするんだってな」
何故、ここの親父がそれを知っているのか、ちょっと考え、宿帳に名を書く時にそう告げたことを思い出し、うなずいた。
「明朝、立つつもりです」
「俺たちも山越えをするんだ。良かったら、一緒に行かないか」
(……え?)
リートは、キョトンとした顔で男を凝視めた。
ここから先、北西へ進む道は二本。
一つはルーフ連峰を越える『山越え』。
時間はかからないが危険だ。
最近では『賊』が出るという噂もある。
もう一つはルーフ連峰を大きく迂回する道。
安全だが、えらく時間がかかる。
腕に自信のある者は山越えをする。そうでない者は迂回する。
では急ぐ旅でありながら腕に自信のない者はどうするか。
腕に覚えのある護衛を雇うか、あるいは数にものを言わせる――つまり、同行者を増やすか、だ。
しかし目の間のこの大男は見るからに強そうだ。誰かに同行を頼まれることはあっても、自分から同行を求めるなど、ありそうにない。
リートは、理由が掴めずに問い返した。
「どうしてです?」
「連れがな……。知っているのに何もしないっていう事が嫌いな奴で……」
「連れ?」
「あんた、一人旅だろう?」
「ええ」
「それを聞けば、あいつは絶対あんたを誘う。それは、少しでも人数を多くして自分の身の安全を図るためじゃない。一人で山越えをするあんたの身を案じて、だ」
「それはそれは……」
「無論、知らなきゃそれまでだ。だが、俺は知っちまった。知らんぷりするのは簡単だが、後でばれれば、責められるのは俺だ。責められるだけならまだいいが、拗ねられるとな……ちょっと面倒なんだよ」
「拗ねる………。その『連れ』というのは女性ですか?」
「いや。女みたいだが男だ。ああ、同行者には確かに女の子もいるけど」
「もしかして、あの奇麗な金髪の少年ですか? 女の子というのは黒髪の?」
「……会ったのか?」
「ええ。最初、女性だと思って、怒られてしまいました」
「だろうな。まあ、会ったんなら話は早い。正直な所、俺はあいつに弱い。といっても、別段弱みを握られているとかそういったものでは無いが、あいつに頼まれると否とは言えないんだ。今回はまだ頼まれた訳ではないが……」
「なるほど。好きなんですね、あの少年が」
大男の耳朶がやや赤く染まった。
「まあな。あいつが男だった、ってことは誤算だったが、それを補って余りあるほどに惚れちまってるからな」
「あの容姿だけ取ってみても惚れる価値は充分過ぎるほどにあると思いますが、今のお話を聞く限り、その中身も素晴らしい方のようですね」
リートの台詞を聞いて、大男の目が嬉しそうに細まった。
「そうなんだ。表面だけ見てあいつに惚れる奴は、それこそ星の数程いるだろう。だが、内面の美しさを知ろうとする奴がその中に何人いることか」
「それは、仕方ないかもしれません。普通の人はまず、あの外見に目が奪われてしまうでしょう。そして中身なんてどうでも良くなる。その点で、彼はかなり損をしているのかも知れませんね………」
「その通り。あいつの本当の良さは顔じゃない。って言い切ってしまうには、美形過ぎるが……」
自慢げに話す大男。
ふと、リートは羨ましくなった。
「……羨ましいですね」
思いをそのまま口にしたのは果実酒の効能か。
「え?」
「あ、顔の事ではありません。そこまで言い切ってくれる人が側にいるという事に対してです。私は独りですから……」
ふわっと、過去に飛びそうになる想いを、リートは慌てて押し止どめた。
「あー、同行の件、OKで良いな?」
そんなリートの様子に何を感じたのか、大男は強引に話を元に戻した。
「勿論です。むしろこちらからお願いします」
了承すると、男は椅子から立ち上がった。
「ついてきてくれ、他の同行者に紹介する。えーっと……」
名を呼ぼうとして、肝心の自己紹介がされていなかったことに気づいたようだ。
「そういえば、お互い名乗ってなかったな。
俺は、シグル・ジ・グラフィネイシャル・サンルージ。
サンルージ島の生まれだ。名前で分かると思うが、一応土地持ちだ。
今は、あいつに引っ張り出されて一行の用心棒でしかないが」
名前に土地の名が付くのはその土地の有力者だけである。
但し、ミドルネームが『ジ』であるため、跡継ぎではないことも分かる。
跡継ぎならば『ド』であるはずだ。
(サンルージ島……確かガンレム海にある歓楽街で有名な島でしたね。跡継ぎでないとはいえ、その島の有力者が一緒に旅をしているわけですか……)
あの美少年に対する興味がさらに増した。
「私はリートと申します。見ての通り、吟遊詩人です」
「リート? フルネームは何と言う?」
シグルが微かに眉をひそめて問う。
フルネームを伝えたらフルネームを返す。
それがこの世界の礼儀だから。
「私の名は『リート』だけです。訳あって幼少の頃、エルフに育てられました。
そのせいで少々、他の人とは違った所があるのです」
事実の半分だけを口にする。
これが旅で覚えた処世術であった。
いくら人と同じようにふるまおうとしても、必ずどこかにボロがでる。
下手に取り繕うより『エルフに育てられた』と告げる方が、大抵うまくいくのだ。
「エルフに………」
シグルの目に驚きと好奇の色が浮かぶ。
そこに嫌悪や恐怖が見当たらないのを確認して、内心安堵のため息をついた。
(不思議なものですね、人というのは。『エルフに育てられた者』には興味津々なのに、『エルフと人間の間に生まれた者』だと、恐ろしがって近寄らないのですから――)
そんなことを考えながら、リートは、シグルの後について、宿屋の2階へと上っていった。




