遺産
『ここが入口ですか?』
メルニと名乗った神獣は、リートを月神殿のすぐ裏にある小さな洞窟に誘った。
『ああ』
簡単明瞭な返答に背中を押され、リートは洞窟へ一歩踏み込んだ。湿った空気が身を包む。
(これは……確かに、ずっと奥まで続いている)
幅と高さはリートがようやく通れるほどであったが、その奥行は呆れるほど深い。
リートは後ろを振り返った。
『ありがとうございました、気高き陸の王よ。ここから先は私一人で行きます故』
『承知』
答えるとメルニは、軽やかにその場を離れていった。
どのくらい進んだだろうか。
入り口の光は全く届かない。
無論、リートの目は人のもの。
光がなければ何も見えない。
が、見えなくても感じることは出来た。
足元の隆起を。
左右の曲がりを。
天井の凹凸を。
ゆっくり、ゆっくり、歩を進める。
自分の感じる通りにゆっくりと。
やがて扉が現れた。
宇宙船の入口。
『誰か』
人ならざる者の言語で呼びかける。
『教えてください。この扉はどうすれば開きます?』
『教エレバ、何ヲクレル?』
響いた声はドワーフのもの。
メルニが言った通りだ。
リートは無言で、メルニから貰った『フヌウの爪』を2枚、取り出した。
細工師であるドワーフの好む良質の材料。
4枚渡されたが、2枚で充分だろうとメルニは語った。
残りは人の世を旅する足しにしろと。
『イイダロウ。モウ少シ、前ニ』
言われた通り進む。
『右手ヲ延バセ』
延ばした指先に冷たい感触。
『ソノ取ッ手ヲ右回リニ半回転』
回すと同時に、キイッと音がして小さな扉が開いた。扉の中に小さな灯り。扉が開くと同時に点灯する自動装置はまだ生きていた。真っ暗な洞窟のそこにだけ光が生まれる。
『ソノすいっちヲ押スト、扉ガ開ク』
『……どれを押すのです?』
そこに並ぶのは、0から9までの数と、*、#が刻まれた12個のスイッチ。
『上カラ1段目左、2段目中央、1段目右、1番下ノ中央、下カラ2段目右……』
言われるままに押していく。
7、5、9、0、3………
Gi……GiGiGi…………
軋んだ音と共に扉が開いた。
ドワーフに約束のフヌウの爪を渡すと、リートは中へ入っていった。
ひんやりとした空気。
今まで体験したどの空気とも違う、異質な感触。
リートが歩くたびに、通路の明かりが点灯する。
人感センサーは健在のようだ。
カツーン、カツーン………
歩く度に生まれる音も、その足先が伝える床の感触も異質。
カッ……
リートの足が止まった。通路が2つに分かれている。
「どっちだろう」
呟きが辺りに反響する。
「御用は何でしょうか」
かけられた声に、リートは文字通り飛び上がった。
「今、声をかけたのは、君?」
リートは早鐘を打つ心臓をなだめながら足元のそれに視線を落とした。
「はい」
それが答える。
「君は……何なの?」
誰、と問いかけなかったのは、それが、どう見ても生物には見えなかったからだ。
青いゼリーの固まり、としか、言いようのない、モノ。
「私はSR-AI型ロボットです。俗に『スライ』と呼ばれております」
「ロボット……?」
以下、SR-AI型ロボット通称スライによると、彼はこの宇宙船の移民たちに奉仕すべく作られた人工知能を有する『軟式の』万能型ロボットで、限られた宇宙船の空間を有効利用するために開発されたものだという。
青いゼリーの固まりのような外見は、用途に応じて変形したり、触手を伸ばしたりすることができるらしい。
リートが宇宙船の中へ入り、照明が自動点灯したのに合わせ、仮眠状態だった彼に覚醒の信号が入ったのだ。
スライはエネルギー的には宇宙船の一部で、宇宙船の一部――壁面でも床でも天井でも――に触れている限り、船内部に蓄えられたエネルギーがスライの動力になる。
逆に言うと、宇宙船のどこかに触れていないと動けないのだ。
それゆえに、移民団がこの宇宙船を出て行った後も、ここに留まっていたのだという。
原理は理解できないが、状況を把握したリートに、スライは最初の質問を繰り返した。
「ところで、御用は何でしょうか」
どんな初歩的な質問をしても、何度同じことを聞こうとも、「そんなことも知らないのか?」「何度同じ事聞くんだ」などと言うこともなく、ただひたすら誠実に求める答えを差し出す『スライ』のおかげで、リートはほどなく、この宇宙船のメインコンピューターの扱いをマスターした。
端末の一つに向かい、様々な情報を呼び出し読みふけるリート。
「マスター」
ややあって、スライが遠慮がちに声をかける。彼はとって人間に全て『マスター』であるらしい。
「そろそろお食事を取られた方がよろしいかと。マスターがこの宇宙船に入られてから、五時間が経過しております」
一日二日は食事抜きでも平気だが、スライにそれが判るはずもない。
が、リートは説明するより従った方が面倒がないと立ち上がり……そして気づいた。
かなり目が疲れている。
食事はともかく、休む必要が確かにありそうだ。
「ここで食事できる?」
「申し訳ありません。貯蔵庫は空になっておりまして……」
「そう。じゃあ、外で何か食べてくるよ。また来るからそれまでここはそのままにしておいて」
「かしこまりました」
忠実なロボットに後を任せて、リートは一旦、宇宙船を後にした。
(ロボットか……)
人間がロボットを忘れてもロボットは人間を忘れない。ただずっとそこに待機するだけ。エネルギーが底をついてもなお、彼らはそこでじっと待つだけ……。
何とも形容のしがたい感情を胸に、リートは森を歩いていた。微かな水の匂いを頼りに。喉を潤して一休みしてから宇宙船に戻るつもりで。
既に日暮時。
太陽が大地に別れの一瞥を投げかけている。
(……?)
何か聞こえた。
一瞬止まった足が、自然にそちらへ向かう。
(何だろう)
段々、大きくなる。
ややあって、リートは立ち止まった。
視線の先に、音の原因。
絡み合った二つの影。
男と女。
何をしているのかはすぐ判った。聖域の動物たちのそういう場面は幾度も目にしている。彼らに羞恥心はないから。
引き返そうとしたその時、組み敷かれていた女と視線が合った。合ってしまった。
リートの足はその場に凍りついた。
それはあの、アニーと名乗った少女だった。
やがて男は、いくらかの金を置いて立ち去った。リートに気づいた様子はない。
少女はその場に座ったまま。
リートもその場に立ったまま。
少女は何も言わなかった。否、言えなかった。
リートも、何も言わなかった。否、言えなかった。
そういう職業がある、ということは知識として知っていた。身寄りのない少女が生きて行くには、それしか方法がないのだろうということも、推察できた。
だが、それだけだ。何も、言えなかった。
リートは、自分の感情を持て余していた。今まで感じたことのない、熱い、感情。どこか怒りにも似た――
後日、今少し世間を知るようになってから、あれは『嫉妬』だったのだと思い当たることになる感情を、今はただ、持て余して、立ちすくんでいた。
チリン………
ふと身動きした拍子に、微かな音がした。フヌウの爪だ。ドワーフに与えた残り。
取り出し、凝視める。
冷たい感触が手に心地いい。じっと見ているうちに、ふと、肩の力が抜けた。
アニーの傍らに寄り、座り込む。
ハッと顔を背けるアニー。
そこで初めてリートは、彼女が泣いていたことを知った。
「……もし、良かったら」
リートは、できるだけ何気ない調子になるよう、努力しながら言った。
「今晩も泊めてくれませんか?」
少女は、コクン、とうなずいた。
かなり長い間をおいてから。
その夜リートは、今、森の賢者にいろいろ教わっているので、その間ここに滞在したいと申し出た。
滞在費用としてフヌウの爪を差し出した。
フヌウの爪は貴重品だ。
防具や細工ものの最良の材料でありながら入手が困難なものだから。たった一枚の神獣の爪を求めて山中深く分け入るものや、それを生業とする者もいる。
フヌウの爪一枚で2年は暮らせるとも言われている。
それを2枚も手渡されて、アニーは仰天した。返そうとするアニーに、リートは自分がハーフエルフだということを思い出させ、そんなものはいつでも手に入るからと、無理やり受け取らせた。
それがあれば、当分『仕事』をしなくてもいいだろう、と言うセリフは、結局口にしなかった。しない方がいいように思えたから。
アニーは感謝の言葉と共にそれを受け取ると、いつまでここにいるのかと尋ねた。
反射的に春になるまで(この辺りは北半球なのでこれからが冬。リートは1年の間に二度冬を経験することになる)と答えてしまった後で、リートは少しばかり頭をかかえた。
宇宙船から必要な情報を入手するにはあと二、三日で充分なのに。
「まあ、情報は多いに越したことはないか……」
ややあって、リートはそんな言葉で自分を正当化した。本当はただ単に、彼女と一緒に少しでも長くいたいだけだということに気づかない振りをして。
数週間が過ぎた。
赤道近くのため、さほど積雪量の少ないこの地域だが、今日は朝からやんわりと雪が降っていた。
雪の中、リートは宇宙船にむかって歩いていた。
必要最低限の知識は既に得ていた。今は『娯楽』に分類された地球の古い物語や音楽を楽しむだけ。
(吟遊詩人には、この手の知識だって必要なはずだし……)
というのが言い訳に過ぎないことは自分が一番良く知っている。覚えなくてはいけないのは『今の世界』だ。
ふと。
足が止まった。
気配を感じたのだ。
懐かしい、気配を。
(そんな、はずは……)
居るはずが、ない。こんなところに。
だが、今自分がいるのは『森』の中だ。
おそるおそる、振り返る。ゆっくりと。
目に入った人影は。
緑のフードに身を包んだエルフ。
『リート……』
懐かしい呼び声。
『……父様?』
ジュリオンは、凍りついたようにその場を動かないリートに近づき、無言で抱きしめた。
両の腕に、ありったけの思いを込めて。
『これを……』
ジュリオンはようやくリートを解放すると、懐から何やら取り出した。
『これは?』
それは大きな翠緑玉であった。
『それには私の「気」が込められています。そなたがそれを持っている限り、私はそなたがどこにいるのかが分かります。そなたがそれに向かって語れば、その声は私に届きます。そなたがそれを耳に当てれば、私の声が届きます』
そう言って、ジュリオンはリートに翠緑玉を握らせる。
『……持っていて……くれますか?』
気弱なセリフに、リートは目を丸くして父親を見上げた。
どこか不安そうなジュリオンの表情がそこにあった。
そう、不安なのだジュリオンは。
息子の心が、もう二度と元に戻らないのではないのかと。
もう二度と、自分に対して心をひらいてはくれないのではないかと。
自分は永久に息子を失ってしまったのではないかと、不安なのだ。
恐れていたと言ってもいい。
そんなジュリオンの心を、リートはダイレクトに感じ取った。
あるいはそれは、翠緑玉の所為かもしれない。
『父様……』
今度は、リートがジュリオンを抱きしめる番であった。
両の腕に、ありったけの思いを込めて。
『ところで』
翠緑玉を大事にしまい込む息子の姿に安堵しながら、ジュリオンは言いにくそうに口を開いた。
『いつまであの少女のところに居るつもりですか?』
リートの動きが止まった。
風が、二人の間を吹き抜ける。
『勘違いしないで下さい。責めている訳ではないのです』
沈黙に耐えられず、口を開いたのはジュリオンの方。
『そなたが、あの少女と共に居たいというのであればそれはそれでかまいません。我々にとってそれはたいした時間ではないのですから。仮にそれが、あの少女の寿命が尽きるまでであったとしても。ただ……』
口ごもる。そう、エルフや竜族にとってはたいした時間の浪費にはならない。
だがリートにとっては?
寿命が尽きるほどではないにしても、貴重な時間を費やす結果になりはしないか?
いや、それ以上に耐えられるのだろうか。
少女だけが年を取っていくことに。
リートだけでなく、少女も、耐えられるのだろうか。
ジュリオンは心配だった。
少女の方が確実に早く死ぬ。
その死が、再びリートの心を傷つけはしないかと。
と、同時に逆の心配もある。今ここで無理に旅立たせることは、リートの心を傷つけはしないかと。
が。
『心配しないで下さい』
リートの答えは明快だった。
『旅立ちます。……明日にでも』
『ナンダ、モウ行ッチマウノカ』
宇宙船の扉の前で、いつぞやのドワーフがぶっきらぼうに呟く。あの後リートの竪琴を聞いて、すっかりそれが気に入っていたところだったのだ。
『ヨシ、ソノ竪琴ト翠緑玉、貸セヨ』
『……どうする気です?』
『心配スンナ。悪サスルワケジャナイ。チョットシタ餞別サ』
妖精は嘘がつけない。
リートは黙ってその二つを差し出した。
『日ガ暮レルマデニヤットイテヤル。ユックリ、最後ノ仕事シテキナ』
そういうと、ドワーフはサッとどこかへ消えていった。
宇宙船に入ると、リートは『最後の仕事』にかかった。
メインコンピューターから、情報を引き出した痕跡を全て消し去る。無論、スライの協力付きだ。
全てを終えると、リートはスライに命じた。
「私はもう、ここには来ません。私がここを出て行った後、君の中の私に関する記録は全て消去しなさい。そして私が来る前と同じ状態で待機するのです」
「承知しました」
ロボットに『何故』と問いかける能力はない。命令どおりに動くだけ。
リートは、胸の奥底で何やら罪悪感のようなものを感じながら、宇宙船を後にした。
これより数百年後、この宇宙船はついに人間に発見され、リートの命令どおり『待機』していたスライによって、多くの知識や技術がもたらされ、この星の歴史に多大な影響を及ぼすことになるが、それはまた別の話になる――
『ホラヨ』
宇宙船を出たところで約束どおりドワーフが待っていた。
渡された竪琴に、翠緑玉がはめこまれている。
が、変化はそれだけではなかった。
『重くなってる……?』
翠緑玉の所為ではない。
もっと重い。
『ソノ、蛇ノ首ノトコロ、引イテミナ』
言われるままに、意匠の蛇の首の部分を引いてみる。
抜けた。
『あ……』
光輝く刃が現れた。
短剣が仕込まれていたのだ。
『苦労シタゼ。竪琴ノ音色ヲ変エズニ仕込ムノハ』
得意気にニヤリと笑うドワーフ。
『人ノ世ハ物騒ダカラナ。多分、役ニ立ツゼ』
『そうですね』
リートはにっこり笑って礼を述べた。できればこれが役立つような事にならないで欲しいものだと、内心で思いながら。
アニーの手から木の皿が滑り落ちる。
にぶい音が響く。
ゆっくりかがみこみそれを棚に戻すリート。
「今……なんて……?」
「明日の朝、発ちます。今までお世話になりました」
「そんな……。だって、春になるまでって……」
「……すみません」
「どうして今から? これからずっと寒さが厳しくなるのよ? 冬籠もりの季節に、どうして……」
「……」
リートは、黙って立ったままだった。
言い訳なら百も考えた。
が、そのどれをも口にする気にならなかった。
「……私には、やらなければならないことがあるのです」
ややあってリートは、彼女に真実を話し出した。
その夜。
床につこうとしたリートの腕に、柔らかなものがしがみついた。
「アニー?」
薄い、夜着をまとっただけの少女に大きな瞳でじっと凝視められる。
桜色の唇が近づく。
「アニー……。私は……人間では……」
理性の、微かな抵抗。
が、少女は己の唇でそれを封じる。
甘い香りにリートは我を忘れた。
――『愛』ってのは、そういうものさ
意識の片隅をいつぞやのカラムじいのセリフがよぎる。
(これが……そう……なのか……?)
そんな思いが一瞬、通り過ぎた。
翌朝、振り返りもせずに去っていくリートを、アニーはいつまでも見送っていた。
やがて、彼女は自分が一つの生命を宿したことを知る。今までの『仕事』では決して宿らなかった生命が、ただ一夜の契りで宿ったことを驚きながらも神に感謝するアニー。
月満ちて、生まれた男の子に、彼女はいささか長い名をつけた。
アンディティネスリート、と。
人には、自分の名と行方不明の兄の名をつなげたのだと語った。
長じて、アンディと呼ばれることになる彼は、生まれつき人ならざる言語を自由に操ることが出来た。
だがその理由と、そして自分の父親のことを、彼は生涯、知ることはなかった――




