優しさが伝わった時の涙には 第4話
風にコートを揺らしながらスピリアの街中を歩いて行くフウト。
(――今日は何だか風の流れが速いな)
空を見上げると雲の流れがいつもと違っていた。
そんな事を感じながら『風のトンネル』がある街の端に向かって歩いていると道行く中年くらいの女性が声を掛けてきた。
「あれ? 今日はいつもみたいに走ってないんだね」
「……はい。そうですね」
いつものように単調で答えるフウトに対して優しく笑う女性。
(今、僕は特に何もしていなかったのにどうして笑ったんだろう?)
疑問でしか感じられない街の人の行動。それはいつもの様に走り回っている時には感じられない別の感じであった。早く走り回っている時にしか感じられないモノがあるように、ゆっくりと歩いてみないと感じる事の出来ないモノもあるという事。今のフウトにはまだ分からない感覚なのかも知れないが――
どんどんと街から外れていくフウトの目の中に『風のトンネル』がある場所が入ってきた。唯一『地上』とスピリアを繋いでいるこの『風のトンネル』はスピリアの住人である証を持った者、つまり背中に翼が生えている者にしか見えないし、通る事が出来ないのである。
『風のトンネル』の入り口前まで来たフウトはトンネル内で渦巻いている風が視界の中に入ってきた。空に住むスピリアの住人といえども流石に不安定な風の中に入って行くのは相当な勇気がいるのだ。それは普段、無表情で通っているフウトにしても同じ事が言えるだろう。少し緊張した様子のフウトは深呼吸を一回、二回した後に息を飲み込むようにして意を決するとゆっくりと『風のトンネル』に足を踏み入れて行ったのだった。。その瞬間、渦巻く気流のスピードに乗っかったフウトは勢い良く滑る様に『地上』へと向かって下りて行く。
恐怖のあまり最初は目を閉じてしまったフウトだったが、滑らかな流れはとても安定していたし、『風のトンネル』内はとても気持ちが良かった事もあり、ゆっくりと目を開けるとそこには広大な景色が広がっていた。
(――今までこんなの見た事が無い。『地上』の世界ってスピリアとは比べ物にならない程、広く美しかったんだ)
いつしか状況を楽しむ事さえも出来るようになっていた。少し足を捻れば左右に移動する事も出来たし、勢いをつければトンネル内をクルッと一周する事だって出来た。
徐々に大きくなっていく『地上』の風景に僅かなり心を躍らせていたその時だった。突然横殴りの激しい突風が『風のトンネル』の気流を乱した。慌てて体勢を整えるフウトだったが、目の中に小さなゴミが入ってしまったせいでパニックになってしまい、『風のトンネル』の気流から外れてしまった為にあと僅かに迫った『地上』目掛けて真っ逆さまに落ちて行くのであった。
「うわぁぁぁぁ!」
そんな叫びと共に木々が生茂った森の中に吸い込まれるようにして落ちて行った。大きく幾重にも広がった枝にぶつかりながらスピードは緩んでいくものの、体へと掛かってくる衝撃は並大抵のものではなかった。肩に掛けてた鞄の紐は切れ、羽織っていたコートは枝にぶつかる度に破れていった。
最後の枝にぶつかる瞬間に少し柔らかな感触がした後、ドスンっという音と共に地面へと落ちていった。あまりのショックでフウトは意識を失っていた。
そこに木の陰から恐る恐る近付いて来る女の子がいた。
(あっ、人が倒れてる! どうしよう……)
女の子はフウトの傍まで来ると動揺した様子で体を震わせていたが、無意識に「う~ん」とフウトが唸るように声を出した事で、ちゃんと生きているんだと分かった女の子は森の中を押して歩いていた台車にフウトを何とか乗せると、自分が暮らしている小屋まで運んで行った。
その間にもフウトは何度も「う~ん」と苦しそうに唸り声を上げていた。
何とか小屋まで辿り着いた女の子は小さいながらもフウトの腕を肩に回して一歩一歩と中に連れて入った。ドアを入った先にある奥の部屋まで運ぶと自分のベッドにフウトを寝かすと、ボロボロになっているコートを脱がしていった。
(こんなにコートがボロボロになるなんて余程の衝撃だったのね。でも何で木から落ちたんだろう?)
そんな疑問を感じながらコートの袖を引っ張り、フウトの左腕から脱がしていくと背中が見えるように体を横に向けた時、女の子は言葉を失ってしまう。
(……どうしてこんな『モノ』があるんだろう)
まるで見てはいけない様な『モノ』を見てしまったかのように息を飲み込んだが、コートを右腕まで下ろすと体をまた仰向けに寝かせる。
どうして少女が急いだかというと、もし背中を見られた事を知ってしまったら何をされるか分からないと感じたからだ。だが、コートを脱がせた今の状態は背中が丸見えである。逆に何も見ていないと言ったとしても信用される訳が無い。
少女は思い悩んだ。
(やっぱり脱がせずにあのままにしておいた方が良かったかな……)
そしてもう一度着せようかと悩みながらコートを握り締めていると「うっ……」と声を上げながらフウトが目を覚ました。
驚いた少女は隣の部屋へと反射的に身を隠し、柱の影からフウトの事を見ていた。
体中がズキズキする痛みによって意識を取り戻したフウトは頭を右手で抱えながら上半身を起こす。自分の身に何が起こったのか分からず困惑した様子だったが、『風のトンネル』で『地上』に向かっていた途中で気流から外れてしまった事を思い出した。
「あんな高い所から落ちたのに無事だったんだ……」
思っていた事が自然と言葉になったように小さな声でそう言うフウトだったが、自分の体を見ると服はボロボロになっており、擦り傷や切り傷、そして打ち身による全身の痛みを感じると「無事……ってな訳にはいかないよな」と溢すと同時に「それにしてもここは一体何処なんだろう」っと部屋中を見回した。
すると『ファーラ』の手紙が入っている鞄が見当たらない事に気付く。特別な手紙だというのに無くしてしまったなんて事になれば、送り主や届け先の人が悲しんでしまうと思ったフウトはベッドから立ち上がろうとした時、
「ダメ! まだ安静にしてないと体中ボロボロなんだから!」
ずっと様子を伺っていた女の子が咄嗟に出てきてしまった。その瞬間、「あっ……つい出てきてしまった!」とでも言ってしまいそうな表情をしていた。
「……君は?」
こんな時でも相変わらず単調に話すフウト。
そんな口調が元々だなんて知らない女の子からしてみれば、ただの不機嫌な人にしか見えないのであった。