二人で過ごした忘れられない日々には 第8話
(取り敢えず病院の前までは来れたけど、ここからどうすれば良いんだ。いきなり病室を訪ねて行くのはあまりにも唐突過ぎて、あの子に引かれてしまう事が目に見えてるし、窓から顔を出すまで待って、ここから話し掛けるったって六階だしなぁ……。それこそ外で騒いでる高校生が居るって通報されて連れて行かれてしまうのがオチだと思うし……どうすれば良いんだ?)
脳内フル回転で色んな方法を考えてみるのだが、思い付く八割方は逮捕される方法ばかりだった。それはそれで興味が湧いてしまうのだがここは敢えて控えておこう。
全く考えが浮かばない楓月は頭を抱えながら見上げた視線の先にあの子が窓から顔を覗かせていた。突然の事に条件反射で木の陰に隠れてしまう楓月。
(俺は何をやってるんだ。隠れていては今までと一緒じゃないか。とはいえ、良い方法が浮かんでる訳でも無い。ええい! こうなったら当たって何とやらだ!)
覚悟を決めたように木の陰から飛び出した楓月は一直線に向かって行く。その時、徐に汗を拭おうとハンカチを取り出した女の子だったが、風にさらわれて六階から落としてしまう。ゆっくりとハンカチはヒラヒラと舞い降りていく。気合い充分に地面と睨めっこしながら歩いていた楓月の目の前にハンカチが落ちてきた。不思議に思いながらも拾い上げると何処から落ちてきたのか見上げて捜すとあの子が上から見下ろしていた。
女の子は自分が落としたのだという事を伝えるように軽く会釈する。
(まさかこんな事ってあるのか……)
緊張のあまり強張った表情のままそそくさと病院の中に入って行った楓月は、エレベーターの六階のボタンを震える指で何とか押すと、口から心臓が飛び出てしまいそうなのを必死で堪えていた。
(こんなチャンスが訪れるなんて! あの子と話す為に色々考えていたけど、この手の中にあるハンカチを病室まで届ければ、自然な形で話す事が出来るじゃないか! っていうかあの子の病室に行けるって事はめっちゃ真近で会えるって事じゃん! あぁヤバイ頭の中が真っ白になってきたぞ……話したいと思っていたのに現実問題何を話して良いのか全く分からん。根本的に俺って女の子と話した事なんて数える程しかないぞ。中学の時、陸上部のマネージャーをしていた女の子に買い出しを頼んだぐらいだな。まさかあの子に買い出しを頼む訳にもいかないし……)
徐々に上昇していくエレベーターの中で女の子が落としたハンカチを握り締め、一点を見詰めながら頭の中は今から何を話すかという事で一杯になっていた。因みに買い出しを頼む事は会話に入れるかどうか微妙なところである。
余談はさて置き、そんなゆっくりと時間を掛けて楓月の考えが纏まるまでエレベーターが動いてくれる訳も無く、チンッと軽快な音が六階に着いた事を知らせてくれると共にドアが開く。
一瞬、もう着いたのかと言わんばかりの驚きの表情を見せると慌てて降りて行く。左右をキョロキョロ見回して女の子が居る病室の場所を捜した。
(確か門がある方向はあっちだからこの辺りの病室かな?)
いつも門から眺めていた方向を予想しながら、ある病室の前に来た楓月はドア横に貼られている名前を見る。
(――って俺、あの女の子の名前知らないんだから見ても病室が合っているのか分からないじゃん! 仕方ないな……当たって何とやらで入って行くしかないな……)
深く息を吸い込んで緊張を和らげるとドアを軽く二回叩いて「失礼しま~す」っと弱々しい声を出しながらゆっくりと開けて中を覗いた。
楓月の予想は見事的中した。
病室のベットの上に座っているあの女の子が、こちらを向くと同時に「あっ!」と声を上げた。その声に少しばかりビクついた楓月はしどろもどろになりながら言った。
「あの……さっき下でハンカチを拾いましてですね……えっと……ここの窓からあなたが顔を出してたので届けに来たのですが……今日は風が強いですからハンカチが良く飛びますよね……僕も今日学校で……な、七回くらい校庭に飛ばしてしまいましたよ!」
自分でも何を言ってるのかさえ訳が分からなかった。緊張のあまり頭だけでなく、目の前さえも真っ白になっていたのだった。冷たい空気が流れてしまったように感じた病室内に、居ても立っても居られなくなった楓月は下の方を向いたまま女の子の顔を見る事が出来ずにいた。きっとおかしな人だと思われてしまったに違いないと感じたからである。
……クスッ
(あぁ……やっぱりね。どうせこうなるとは思っていたから別に良いんだ……さっさとハンカチを返して帰ろっと……)
「あはは……あっごめんなさい。何かさっき下でハンカチを拾って貰った時は凄く不機嫌そうに感じちゃったので……。だからてっきり怒られちゃうのかなって思ってたので、何か……拍子抜けしちゃって」
そんなに面白い事を言った訳では無かったのだが、女の子は笑っていた。その姿をただただ見蕩れてしまっていた。何故なら拍子抜けしたのは楓月も同じ事だったし、何より初めて聞いた女の子の声がとても温かく優しかった事にどうしようもないくらい胸が強く締め付けられているような感覚になってしまったからだ。
ずっと遠くから見てるだけだったのに今、自分の目の前に居て笑っている状況を不思議に感じる楓月。
「あの……気分悪くしてしまいましたでしょうか?」
何も考える事が出来ないくらい見蕩れてしまっていた楓月に女の子が申し訳無さそうに言った。その声で我に返った楓月は手を振りながら
「い、いや! 何でも無いです! 気分なんて全然悪くしてませんから大丈夫です!」
「それなら良いんですけど……」
不安そうな表情を浮かべる女の子。
(ヤバイ……ついつい見蕩れてしまったから変に思われちゃったかな? 何か話題を変えないとな)
そう思い、話しを切り出そうとした時だった。
「いつも病院に来てますよね? 誰か知り合いの人が入院されているんですか?」
女の子は楓月が毎日病院に来ていた事を知っていた。
別に悪い事をしていた訳ではないが、来ている目的が目の前に居る人だなんて口が裂けても言える訳が無く、
「あぁ……学校の先輩が怪我して入院しているんです」
「そうだったんですか! 毎日お見舞いに来るだなんて余程仲が良いんですね」
「まぁそうですね。って言っても毎日部活でしごかれていただけなんですけどね。本当無茶苦茶な人なんですよ」
「同じ部活の先輩だったんですね。部活は何をされているんですか?」
「陸上部で長距離をやってます」
「そう言われると何だか陸上部っぽいですよね」
(……う~ん。どういう意味だろうか? 痩せてて、ひ弱そうに見えるって事なのかな?)
少し複雑な心境になる楓月。
だが、女の子は意外と興味を持ってくれたみたいで話を続ける。
「でも長距離ってずっと同じペースで走り続けないといけないから凄く辛いんじゃないんですか? 良くテレビとかでも見ますけど、横の歩道を全力で走ってる人でも追い付けないくらいの速さをずっとなんですよね?」
「確かに走っている時は本当に辛いって感じますね。でも歩道で見てる人達から声援を送って貰ったり、応援に来てくれた仲間達の姿を見ると不思議なんですけど、力が湧いてくるんですよね。だからずっと走り続けられる事が出来るんだと思いますよ。でもまぁ、それが出来るのは毎日の練習があってのものなんですけどね」
夢中で陸上の事を話していた楓月は、さっきまで緊張していたのが嘘のように凄く自然な感じで女の子と話していた。そんな心から楽しそうに話しをする姿は、女の子の目にどのように映っていたのだろうか。だが、一つだけ言えるのは笑い合っていたという事であった。




