二人で過ごした忘れられない日々には 第6話
時が止まったかのように見詰めていると女の子が楓月に気付いた。視線が合った時、まるで目の前で六尺の花火玉が爆発したかのような感覚になった。
そんな衝撃を受けながら立ち尽くす楓月に女の子はニコッと微笑む。不意に目を逸らしてしまった楓月は体中の関節が機能しなくなったかのように、ぎこちない感じで女の子に背中を向けるとその場から歩き去ってしまった。
ずっと高鳴る鼓動は家に帰っている間も治まる事は無く、頭の中には女の子が自分の事を見詰める目が鮮明に焼き付いていた。玄関のドアを開けると丁度そこには母親の姿があった。
「あ、楓月お帰り。今日は先輩のお見舞いに行ってきたんだよね。様子はどうだった?」
「……」
心、ここにあらずといった感じでボーっとする楓月を不思議な目で見る母親。
「楓月……どうしたんだい? 何かあったのかい?」
「…………綺麗だった」
「はぁ? 綺麗って先輩がかい?」
咄嗟に気付いたように慌てる楓月は目を真ん丸にして顔を赤く染めた。
「いや、何でも無いんだ! 先輩はめっちゃ元気だったよ! あっそうだ明日もお見舞いに行かなくちゃね。毎日暇にしてるから相手になってあげないといけないからさ!」
「そう。兎に角、元気だったなら良かったじゃないの。毎日行っても良いけど先輩の邪魔にだけはならないようにしないとダメだからね!」
いつもと違う楓月の様子に母親は気付いていたが、敢えて触れなかった。そんな風に気を遣われている事など知らない楓月は「分かってるよ!」と言葉を残して階段を駆け上がって行った
自分の部屋のドアを開け、中に入るなりベットに倒れ込む。
(ついボーっとしていて母ちゃんに変な事言ってしまった……まぁ何とか誤魔化せたから良かったんだけど……それにしても本当に綺麗な子だったなぁ……)
うつ伏せになっている身体をゴロンと転がして、腕を真横に伸ばすと真っ暗な天井を見詰めながら考える。
(……入院してるって事は病気なのかな? 歳は俺とそんなに変わらないくらいなのに病院に缶詰だなんて可哀想だよな……外を見ていた時のあの子の顔、凄く寂しそうな感じがした……でもきっと偶々だよな。あんな綺麗な子に友達が居ない訳が無いし、もしかしたら彼氏だって居てもおかしくないし……俺なんか知り合う事すらも難しいよな……
徐に頭の下にあった枕を引き抜くと顔に押し付けた。今までずっと陸上の事しか考えてこなかった。毎日毎日少しでもタイムを伸ばしていく事しか頭に無かった楓月は初めて恋をしたのだった。それは突然の一目惚れであった。
胸は押し潰されそうになる程に苦しく。頭は大風邪をひいてしまったかのように熱を帯びてクラクラしていた。
(誰かの事を好きになるって……こんな感じなのかな……)
楓月の心はその女の子を想えば想う程に切ない感情で一杯になった。だが、切ない気持ちが増すにつれて自分自身では叶う筈が無いと決め付け、諦めようと考えるのだが恋した心が簡単に「そうですか」と納得してくれる筈も無かった。
相手の気持ちが分からないというのは凄く怖い事でもあり、孤独感に押し潰されそうになる。だが、その反面相手の事を想う度に強く脈打つ鼓動を感じる事が出来るのは素晴らしい感情を持っているという証なのだ。
そんな遣り切れない気持ちの中で苦しんでいる楓月だったが、下から母親の声が聞こえて我に返るのだった。
「楓月、いつまで部屋に居るの! お父さんが帰って来ないうちにさっさとお風呂に入ってしまいなさい!」
「分かったよ! 今行くよ!」
現実とは残酷なものである。さっきまで天使のような女の子に微笑まれたかと思うと気付けば母親が何やら下で「風呂に入れ!」と叫んでいる。全て現実として繋がっているのに場面場面で世界が変わってしまうんだと楓月は学んだのだった。
あの日から学校が終わると少し遠回りにはなるが病院経由で帰っていた。門のところであの女の子が顔を出していた窓を少し見詰めてから帰るのだが、部活を終えてからの時間帯だと風も冷たくなっている事もあり、姿を見る事は出来なかった。
(やっぱり日が沈んでしまう時間帯だとあの子を見るのは難しいのかもな。でも毎日部活があるからこの時間しか前を通れないんだよな……)
想いは募るばかりなのに姿さえも見る事が出来ない為か、楓月は少しずつ元気がなくなってしまっているように感じた。
そんな楓月の様子を変に思った同級生の達也が部活の終わり際に声を掛けてきた。
「おい楓月。何か最近調子悪そうじゃないか? タイムだって全然伸びてないどころか下手したら落ちてるんじゃないのか?」
「そんな事は無いよ。ちょっと……疲れているだけだよ」
「そっか……でも俺から見たら疲れているというよりはそれ以前の問題のように思えるんだけどな。これから地区予選も控えてるっていうのにこのままだとメンバーから外されても文句言えないぜ」
「それってどういう意味だよ! 何で俺がメンバーから外されなきゃいけないんだよ! ちゃんと練習だってこなしてるじゃん! タイムだって落ちてるかも知れないけど、まだお前にも負けてないじゃんか!」
「確かにタイムは楓月に比べれば俺なんてまだまだだけど、最近の練習態度を見てると全くやる気が感じられないんだが、一体どういう事なんだ? そんなんで全国の切符手に入れられる程甘い世界じゃないって事くらい分かってるだろ?」
「やる気は……あるよ……でも全然力が入らないんだよ。今の俺のままじゃダメだって分かてるし、みんなに迷惑を掛けてしまうかも知れないって感じてるよ。先輩の為にも予選突破してフルメンバーで全国に臨みたいって思ってるんだけど、体が変なんだ……」
「楓月……お前やっぱり何処か悪いんじゃないのか? 体が変ってどんな感じに変なんだ? 痛んだりするのか?」
「……たまにズキズキと痛むんだ。この辺りが……」
楓月が右手で胸を押さえると同級生は驚いた表情を浮かべた。
「お前……そこは心臓じゃないか! 今までずっと何でも無かったのに、急にこんな事になるなんて……もう走れなさそうなのか?」
「……何でだ? この辺りがズキズキするともう走れなくなってしまうのか?」
「だって心臓だぞ……一番大切な臓器に異常があるんじゃ激しい運動なんてしたら命を落とし兼ねないじゃないか……」
「自分でも気付かないうちにそんな事になってしまっていたのか……いや、異変には薄々気付いていたかな。胸が痛むだけじゃないんだ。最近食事もあまり出来なくなってしまっているし、風邪でもないのに何だか熱っぽくて頭がクラクラしてるんだ。脈は激しく波打って何もしてないのに息切れをしてしまうんだ」
「お前……末期じゃないか……何でもっと早く俺やみんなに一言でも相談してくれても良かったのに……」
「短い人生だったけどお前と一緒のチームで走れて本当に幸せだったぜ。俺が成し遂げられなかった全国制覇の夢をお前とチームで叶えてくれ!」
「何を弱気な事を言ってるんだ! 例え楓月がこの先一緒に走れないとしてもずっとチームだという事は変わらないんだからな! お前の夢でもある全国制覇が成し遂げられる瞬間まで何としても生きるんだぞ! これからは闘病生活で辛い事もあると思うけど、辛い時はいつだってみんなが付いてるからな!」
「分かった。俺ちゃんと治療してまたみんなの所に帰って来るから。それまで待っててくれ!」
涙ぐむ同級生の前から走り去ろうとする楓月だったが、それを部室の入り口で見ていたもう一人の同級生の聡史が部室から出てきた楓月にラリアットを食らわした。その場に倒れ込む楓月だった。




