二人で過ごした忘れられない日々には 第3話
(――『ファーラ』なのか? でもまさかそんなところに僕が来れる訳無いし……きっと似た場所に違いないよな。でもイシンが言ってた場所とそっくりな景色だなんて、そんな都合のいい場所がこのスピリアにあるのか?
もう頭の中が混乱して何が何だか分からなくなっていたが、何処からかフウトを呼ぶ声が聞こえてきた。
(フウト……フウト……)
聞き覚えのある声にフウトはキョロキョロと辺りを見回すが誰の姿も無い。
(この声は聞いた事があるぞ……僕の事を何度も何度も呼ぶ声……一体誰なんだ?)
必死に辺りを捜しながらフウトは朧気だった記憶を思い出すのだった。
(そうだ。僕は前にもここに来た事がある。そして今回と同じように僕の名前を呼ぶ声の主を捜して見回したんだ。確か向こうの方に立っていた筈だ……)
そう思いながら前来た時に女性が立っていた方向に目をやると光の中から人影が歩いて来るのが分かった。フウトも人影に向かって歩いて行く。徐々に大きくなっていく人影に前来た時と同じ女性だと確信する。
(青い水玉のワンピースに腰まで伸ばした長い黒髪……間違いない前会った女性だ……)
一歩ずつ近付いて行くと前の時には見る事の出来なかった女性の顔がゆっくりと明らかになる。優しい笑顔の女性はとても綺麗だった。色白の肌に二重の瞼、大きな瞳を潤ませながらフウトを見詰めていた。
表情を見る事が出来たが、フウトはその女性をやっぱり知らなかった。名前を呼び、優しく微笑んでくれる女性をフウトは知らなかったのだ。でも何故だか前にも感じたような懐かしさを感じる事は出来たのだった。
そんな不思議な感覚で戸惑うフウトに女性が優しく話し掛ける。
「今回は早く見付けてくれたね。フウトにまた会えて凄く嬉しいよ」
ちゃんと声を聞くのは初めてだった。微かに聞こえていた声では分からなかったが甘く澄んだ声をしていた事にこの時、始めて気付く。
フウトはその言葉に余計に戸惑いながらも勇気を出して口を開く。
「……ど、どうして僕の名前を知っているんですか? 何処かでお会いしましたか?」
「会った事はきっと無いわね。でも私はずっとフウトの事を見てたよ。名前を知っているのはきっとそういう名前のような気がしたから……かな」
無邪気に笑いながらそう答えるが、フウトにはさっぱり答えになっていなかった。正直意味不明だった。困惑した表情を浮かべながら言葉を探していると女性が質問をしてくる。
「フウトって今配達のお仕事してるんだよね? 楽しい? コートラルの皆さんとは仲良くして貰えてる? あと、この間『風のトンネル』から落ちたけど、もう怪我の具合は大丈夫なのかな? ちゃんとポトさんにお礼言っておくんだよ」
「……本当に何でも知っているというか僕の事を見てるんですね。配達の仕事は楽しいですし、コートラルのみんなは仲間ですから」
「そう、それは良かったね!」
「『風のトンネル』の事までも知っているんですね。一体何処から見てたんですか? スピリアの事も『地上』での事も知っているなんて一体何者なんですか?」
「私には何でも見えるのよ。想えば見たいものが見えるの。不思議な力でしょ! きっと神様のお陰ね」
全てが見えているなら最初二つの質問は聞かなくても良かったんじゃないのかとフウトは思ったが、敢えて触れなかった。
「あとポトにお礼って何でですか?」
「もしかして知らなかったの?」
「何がです?」
「フウトがバランスを崩して『地上』に真っ逆さまになった時、ポトさんがスピリア上空から風を起こして衝撃を和らげてくれたのよ。本当ならあんな怪我では済まなかったんだからね。 ポトさんは何も言ってないみたいだけど、内緒でもいいからお礼は言っておくのよ」
「そうだったんですか……じゃあちゃんとお礼は言っておきます。『それは』聞けて良かったです」
「それは?」
「い、いや何でも無いです」
色々聞けてやっとまともな事が知れたなんて口が裂けても言える訳が無かった。
そしてフウトは一番気になっていた事を女性に質問する。
「あの……ここってもしかして『ファーラ』ですか?」
ずっと笑顔のままだった女性は表情を曇らせて俯くと微かに頷いてみせた。
「やっぱりここが『ファーラ』だったんですね。でもどうして僕はここに二度も来てしまったのでしょうか? 意識がはっきりしてるって事はただの夢では無いんですよね?」
「私がフウトをここに呼んだの。どうしても会いたくて……」
「会いたくて? それなら普通にスピリアに会いに来て貰えれば良いのに」
女性は僅かに唇を噛み締めると
「……スピリアには行けないの……でもフウトに会いたくて二度も呼んでしまった。だけど、もう会う事は出来ないから最後に私のお願いを聞いて欲しいの……私の……私の『想い』を届けて欲しい人が居るの!」
そう言いながら女性は膝を地面に付けて涙を流した。両手で顔を覆うようにして泣いた。
フウトは女性に近付いて行くと、
「泣かないで下さい。そんな態々直接会ってまで僕に依頼するなんて余程大切な人なんでしょうね。必ず僕があなたの『想い』を渡し伝えてきますから安心して下さい」
フウトは優しい笑顔をしていた。これまで無表情か僅かな表情をする事しか出来なかったが、ちゃんとした笑顔を浮かべたのだった。その表情を見た女性はフウトを抱き締めた。
突然の事に驚いてしまったが、フウトもゆっくりと女性の事を抱き締めて頭を撫でながら
「いつも僕の事を見てくれていて有難う御座います。今度は僕があなたの『想い』が伝わる先を見てきます」
言葉一つ一つが女性の胸に温かく沁みていった。抱き締めていた手が解けるとフウトは女性の頬を流れる涙を右手の甲で拭った。
「あなたに会えて初めて知れた事がありました。『想い』を伝えられた人はその『想い』に触れる事で沢山の涙を流し、喜んだり悲しんだり悔やんだりもします。でも『想い』を送る方も相手への精一杯の『想い』を伝えたいと涙を流しているんだという事です。きっとその『想い』が沢山詰まった涙が輝いている程に伝える『想い』は輝くんだと思います。僕には失った人や伝えられる『想い』は無いかも知れませんが、『想い』の一つ一つの輝きが伝わっていく瞬間は自分の事のように嬉しくて嬉しくて心がポワンって温かくなるんです。だからあなたの『想い』を届ける人にその涙の輝きも含めて届けてきます」
女性は涙を流しながら綺麗な笑顔を浮かべた。するとフウトの意識がゆっくりと薄れていった。朧気に女性の言葉が聞こえるが聞き取る事は出来なかった。
(フウト……私は………………だよ……)
……フウト
…………ト
……………
フウトが目を開けると覗き込んでいたハルが驚いた表情で声を上げる。
「おっ! 起きた!」
長椅子から身体を起こし座ると右手を見詰めた。手の甲に微かな涙の感触が残っていた。先程まで見ていた夢は夢じゃないと確信する。確かに教会の長椅子で寝ていたが未だに残るあの女性の声・温もり・涙――
ふと真横を見ると真ん中の通路を挟んだ向こう側の長椅子に手紙が置いてあるのを見付けると無言のまま立ち上がり、ハルの横を通り過ぎて手紙の所まで行き、手に取った。




