優しさが伝わった時の涙には 第1話
今日も縦横無尽に走り、手紙を配達しているフウト。
スピリアに住んでいる街の人達にとってコートラルは唯一の通信手段である為、働いているフウト達はちょっとした有名人でもあった。
空まで伸びた高い建物が左右に並んでいる道を走っていたフウトは慣れたように建物の壁を駆け上って行き、六階の窓で洗濯物を干していた年老いた女性の所まで行くと僅かな出っ張りに摑まり、片手で鞄の中から手紙を取り出して言う。
「手紙をお届けに上がりました」
「いつも態々ここまで届けてくれて有難うねフウト君! 正直、一階の郵便受けまで取りに行くのが大変でねぇ~。本当助かってますよ」
「いえいえ、それでは失礼します」
そう言うと出っ張りから手を離し、今度は勢い良く壁を駆け下りて行くとそのまま道の上を走り去ってしまった。
サービス業と言って良い程の郵便配達という仕事なのだが、フウトは届け先の人に対して一切笑顔などを見せる事は無かった。だが、そんな無表情なフウトの事を悪く言う人も居なかった。何故ならみんな知っていたからだ。フウトが『優しさ』を人一倍持っている事を――
こうして配達を終えたフウトはコートラルに戻って行った。
ドアを開けて無言で入って来るフウトに気付いたイシンとハルが「お疲れ様」と声を掛けると、それに対して小声で「お疲れ」と返す。そしてそのまま奥へと入って行くと自分の机に腰を下ろし、徐に鞄を机の上に置くと中の書類を整理し始めた。
こんな態度を傍から見たら途轍もなく節度を欠いてる傲慢者にしか見えないのだが、コートラルの仲間達から言えば至って普通の事だった。
「フウト。今、テツキが配達してる分で今日の仕事は終わりだから帰って来るまでこっちで待っていよう」
イシンがいつもと変わる事の無い笑顔で言うとフウトは立ち上がり、二人が居る机まで来ると腰を下ろした。
すると今度はハルが立ち上がり二人の顔を見て言った。
「それじゃ飲み物でも持ってきますね。イシンさんは何が良いですか?」
「悪いね。じゃあ俺は珈琲を頼むよ」
「フウトは何が良い?」
「お茶」
相変わらず単調な声で答えるフウトだったが、ハルは頷くように「珈琲とお茶ね」と言って奥の事務所の隣にある給湯室に入って行った。
その様子を目で見送っていたイシンだったが、「ところで――」と言う言葉と共にフウトの顔に視線を移動させた。
「フウトはこの仕事をやり始めてどれ位になるんだっけな?」
「三年と……ちょっとかな」
フウトは少し目線を上にしてそう答えるとイシンは更に質問を投げ掛けた。
「そっかぁ~もうそんなになるんだな。この配達っていう仕事は楽しいか?」
「うん。楽しく無い事は無いよ。ただ……」
「『ただ……』何だ?」
「うん……ちょっと不思議に思う事があるんだ。コートラルのみんなもそうなんだけど、手紙を届けに行く先々で出会う人達がみんな笑って居るんだけど、どうしてなのか分からないし、僕はどうして良いのか分からない」
何時だって無表情を変える事の無いフウトだったが、この時は何処と無く表情を曇らせたように見えた。
「それは街の人達にとって手紙という物がとても大切な物だからだよ。通信手段の無いこの街で大切な人から送られて来る手紙という物は相手の言葉や想いが沢山詰まった、謂わばどんな宝石よりも輝いていて価値のある物なんだ。だから嬉しくなって、つい笑顔になってしまうんじゃないかな」
「そうなのか……」
「でも本当に街の人達がその事だけで笑顔になっていると思うか?」
「――他にも笑顔になる理由があるって事?」
「きっとそれはフウト自身だ」
「僕? 何で僕なの?」
「自分では分かって無いかも知れないが、お前が街の人達に対して、している優しさがちゃんと伝わっているんじゃないのかって思うんだ。全然笑うどころか愛想笑いもしやしないし、ただ無表情で淡々と仕事をこなしているように思えるが、色んな場面でちゃんと人の事を考えた上での行動をしてる。ちゃんと知ってるんだぞ! スピリアの建物っていうのは限られた土地の上に沢山の人々が暮らせるようにどうしても上へ上へと高くなっている。そんな中で態々手紙を取りに行くという行為はとても高齢者の人にとっては負担となってしまっている。でも、お前はそんな人には直接配達してあげているそうじゃないか。折角の送り主が込めた言葉や想いを受け取るのに辛い事や苦しい事に決してなってはいけない。そういう事を知ってか知らずかお前は出来ているんだ。その気遣いが手紙という輝く物を更に輝かせているんじゃないのかと思う。だからあの手紙を受け取る時に見る笑顔はお前自身の『優しさ』が作り出した物でもあるんだ」
そう話すイシンの目を見ていたフウトは何かを考えているかのように無言のままだったが、ふと視線を落とした。その様子は何処と無く『照れ』に近いものを感じさせた。
「……良く分からないけど、それって街の人達にとって良い事をしてるのかな?」
少し間を溜めるようにして言った言葉にイシンはすぐに返した。
「あぁ、とても良い事をしてると思うぞ!」
「……なら良かった」
何を話そうともほぼ無反応に近い反応しかしなかったフウトだったが、自分が考えてやった事なのか否かは定かでは無いが、そんな行動について褒められるという少し心を擽られるような気持ちになったようだ。
だからと言って今までに褒められた事が無いかというと、そういう訳では無い。街に配達に行っている最中に何気無く掛けられる言葉には感謝の想いが込められているものも沢山ある。だけどフウトは当たり前の事を当たり前のようにしてきた訳で、そこに自分が褒められている事や感謝されている事など思ってもいなかったのだ。こうして面と向かってイシンに街の人から感謝されている事を言われた事で初めて知ったのだった。