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もののけ三銃士・左子と文蔵


 うみねこ高校化学部は、化学資料室のフロア半分、机とソファと二脚のパイプ椅子、および本棚一つを備品としてあてがわれており、ここで実験の計画を練ったり、化学の論文を読んだりするのが主な活動内容であった。

 部活動のために化学薬品をいじるのは、今の御時瀬なかなか難しく、実際に実験をできる機会は数える程度しかない。ちゃんと計画を立案し、顧問の先生に添削してもらい、先生立会の元でなければ、薬品を扱わせてはもらえない。しっかりしている。

 また、この顧問の先生が結構忙しく、なかなか話す機会も得られない。月に一度、顧問を交えた部会をして、方針を決めたり、校外活動の許可を取ったり。

 毎日の放課後は、もっぱらどんな実験をするかを話あったり、煮詰まったらお菓子を食べながら関係ない話に花を咲かせたり、科学博物館の催しものを皆で見に行くこと。


 意外と、青春していた。


 しかし、物凄く地味でインナーサークルを作り上げる化学部には、安定した人材の供給がなされず、人員は目減りしていく一方。

 今年度の頭には、二年生たった一人になっていた。

 それでも、必死の勧誘活動の成果か、五月の初めには、三人の新入部員を迎え、計四人の新生化学部が生まれたのである。

 しかし、入った新入生はどいつもこいつもキャラが濃く、勇名悪名を耳にしたことのある曲者ぞろいであった。

 おかげで、今やうみねこ高校の生徒達は、化学資料室に集まる連中のことを『化け学部』と呼んでいる。

 左子自身、そう思っていた。




 閑話休題





 放課後、化学資料室。

 背の低い、三つ編み眼鏡というわかりやすいキャラ付けのなされた少女、島左子はソファに腰をおろし、学術誌に眼を通していた。顧問の先生がモノ好きな生徒達のために、理科系の月刊誌を購入してくれている。ほかに陳列するところがないため、化学部の本棚に整理する。生物、地学、物理、それに農業などの畑違いの分野もあり、よく地学部や物理部、園芸部などが本を借りに遊びに来ていた。そんな同好の士のために本棚を整理したりお茶を入れるのが、左子の部活動の半分を占めている。なんとも、居心地のいい私だけの場所というやつを、彼女は持っているのだった。姉と妹と共有の自室に比べて、まるでここが自分のプライバシーとなっていた。

 しかし、今そのプライバシーを浸食するものがいる。

 自分の隣に座って、化学の教科書を読む男が一人。

 あまりに大きな体格はふかふかソファの三分の二を占用し、見ただけでわかる重量で体を緩衝素材に沈めきっている。

 とにかくでかい。太っている。のだが、それ以上にただ大きい男である。

 特注で作ったという学ランは暑苦しいからと、脱いで鞄の上に放り置かれている。

 ちょっと動いたらシャツも破れてしまいそうなくらいはちきれてしまうんじゃないかと思うが、このシャツも特注なので大丈夫との言である。

 これだけ貫禄があって自分の後輩だと言うのだから、恐ろしい。


 今年から、化学部に入部した、証城寺文蔵である。


 化け学部になってから、数週間が経ったが、全員がそろうことはない。

 うっかり間違えて声をかけてしまった左子に三人は快諾したものの、それぞれ用事があるらしく、あまり頻繁にはこれないとことわりを入れた。

 願ったり叶ったりなので、それでいいよと言ったものである。

 しかし、なんだかんだで全員来ないということはない。

 狸みたいな大男と、狐目の美形と、猫みたいな少女の誰かは、必ず化学資料室に訪れて、左子に心の悲鳴をあげさせていた。

 しかし、後になって知ったのだが、三人は話あって、必ず誰かは部活に参加するように予定を調整し合っていたのだそうだ。彼らなりに、気を使っていたことを知らずに、左子は初めての後輩で、初めて出会う濃さのキャラに、緊張しっぱなしだったのである。

 まだ、馴染めていなかったのだ。

 


 さっきから、手元の雑誌をなんど読み返しているかわからない。読んでいる内容もさっぱり頭に入ってこない。

 こうして、二人きりになる状況はたまにあるが、いつもいたたまれない空気になるのである。

 しかし、そんなあわれな少女の心に気付いているのかいないのか、大男は教科書とにらめっこしている。

 すごく緊張する。

 証城寺文蔵は、部活動に来るたびに、いつもどっすと体を椅子に沈めると、本を読む。

 本棚の化学雑誌のバックナンバーであったり、鞄から取り出した文庫本であったり、今日のように化学の教科書であったり。

 そして、時間が来るまで黙々と、読書に精を出す。

 左子に、関心をまったく示さない。


 変に話しかけられるよりは楽だが、ほんとにそれでいいのだろうか、と思わなくもない。

 ぶっちゃけ、左子もつい最近までそんな感じだったからだ。

 理系部活動黄金世代と呼ばれた年代の人たちは軒並み卒業してしまい、地学部も物理部も、総合理科研究会も、のきなみ勢いを失っている。昔のように頻繁に資料室に本を借りに来る人もいなくなった。生物部に至っては、間に合わず廃部となってしまった。(その時の生物部員だった子は、もうやる気を失ってほかの部活に移ることもしなかった。今思えばどうして声をかけなかったのだろうと、悔やまれる)

 だから、一人になってから、左子もずっと、本を読んでいた。

 プライベートな空間の中で、一人っきりの居心地のよさと、あの時の皆にお茶を淹れてあげていた頃を思い出して。


 私がいなくなったあと、彼らはどうするのだろう。この部を残してくれるのだろうか。

 


 コミュニケーションをとる必要があると思った。

 左子は立ち上がる。

 立ち上がって、資料室の出入り口に行く。化学室とつながる方でなく、電気ポットと急須のある、化学教員室の方に。

 五分後、戻る。

 文蔵は、まだ本を読んでいた。よし、声をかけよう。

「あ、証城寺君?」

「はい、なんでしょうか」

 文蔵は、結構簡単に反応して、本から目を離した。

 その体格と面貌からは思いつかないくらい、優しい声が返ってきた。

 優しい声を出して、文蔵は左子が運んできた急須と湯呑を載せたお盆を見た。

 必要以上に笑おうとして、ちょっとひきつった笑顔で、左子は後輩に言った。

「え、と。お茶飲まない?」

 文蔵は、ゆっくりと立ち上がり左子に近づく。


 え? 何? どうする気?



 大男は左子の手から盆をゆっくりと受け取って(見た目に似合わない優しい手つきだった)、にっこりと笑った。

「ありがとうございます。僕が淹れますね。それにしてもなんだ、こんなセットがあるんだったらお茶汲みくらいさせてもらったのに、左先輩もお人が悪い」


 当たり前のように、軽口をたたかれた。え、そんな距離感なの……?


 

「ところで、理科教員室に勝手に入ってもいいのですか?」

「あ、大事な書類とかは職員室にあるから、掃除をする代わりにお茶とか、使わせてもらってるの。えと、鍵のスペアはあずかってるけど、本当は駄目だから、秘密にしといてね」

「信頼されてるんですね。でも先生もこんな得体の知れない連中が入部してきたなんて知ったら鍵変えちゃうかもしれませんね。今の内に理科室のバーナーでお湯わかす方法考えときますか?」

 当たり前のように、手なれた手つきで急須を扱う文蔵を見つめながら、呆気なさに驚いていた。

 なんだ、こんな簡単でよかったんだ。




 それからお茶を飲みながら、世間話をした。

 二人並んでソファに座る。

 パイプ椅子があるが、もしこれから「4人」で座るなら、向かい側にももう一つソファ欲しいな、なんて思った。


 いろいろ話を聞いた。

 小学生の時から大きかったこと。化学の成績だけが極端に悪いこと。少しは成績をあげる手段になるかと思って化学部に入ったこと。一緒にいた誠一と千草とは、高校に入学してから友達になったこと。彼らがどうして化学部に入る気になったのかは話をしたことはないが、まあ根ほり葉ほり訊き合わなきゃならない間柄でもないということ。

 入学当初に残した伝説。『乗用草刈り機で登校』事件は、野球部に入部したクラスメイトのために、校舎裏の広い荒れ地を整備するために親戚のおじさんから借りてきたということ。おかげで二軍練習場ができたことを喜んだ野球部員達から感謝の胴上げをされそうになったが、重過ぎて上がらなかったこと。お父さんが、工業都市うみねこ町の主要産業を担う月本コンバーティングで働いていること。化学の授業があった日は、放課後教科書を読んで復習しているが、さっぱりわからないこと。昨日、小テストで4点を取ったこと(20点満点)正直、凹んだこと。


「暗記なのはわかってるんです。でも、なぜか原子と分子の話だけはどうしても頭に入らない。過去分詞だとかホルモンのフィードバックだとかはわかるんですけど。ナトリウムはだめです。人の扱う単語じゃありません。そういえば、味塩ってナトリウムなんですね、初めて知りました」

「ふふ、勉強していたら、覚えるのも楽になってくるよ、わからないうちは本当に全部暗記するしかないかなーって思うけれど、実はとっても簡単な仕組みなんだから、一度気付いたら、楽勝だよ」

 言って、まさに今の状況だなと、左子は心の中で苦笑する。


「そんなもんですか、そんなもんなんでしょうね。経験者の言ですね」

 うんうん、と一人頷いてお茶に口をつける。すぐに戻す。

「熱い、すごく熱い」

「あ、ごめん。証城寺君は猫舌だった?」

「いえ、口の中が切れててちょっと痛むんです。迂闊でした。忘れていました」

 

 なんだかその言い方がおかしくて、笑ってしまった。

 不思議そうな顔をして、文蔵は問う。

「なんか、変なこと言いました?」

 わざと、なのだろうか。それとも、こういう素、なのだろうか。


 なんだか、一人で緊張していた自分がおかしくて仕方なかった。



「ううん、証城寺君がこんなに面白い人だなんて思わなかったから」

「ええ、それはよく言われます。見た目は怖いって」

「あ、ごめん」

「いえいえ、僕の方こそ。先輩はいつも静かに本を読まれているから、物静かなキャラでいた方がいいのかなと思って大人しくしていたけれど、やっぱり僕ぁ頭悪いこと口にしてふざけてる方が合いますね、うん」

 さりげなく、そんなことを言う。

「え、じゃあ証城寺君、私に合わせてたの? ずっと黙ってたのも?」

「そういう部活なのかと思ってました」

「違うよー! もっとお喋りしたり、実験の打ち合わせしたり、よその部活の現地調査について言ったり、合宿だって昔はしてたんだよ!」

「化学合宿か、すごいですね」

「すごかったんだよ、だから、私も……、昔みたいに活気の……ある化学部に……」

 言葉が詰まる。

 ずっと、言えなかった。

「先輩?」

 心配そうに見つめる後輩に、やっと言った。

「証城寺君、化学部に入ってくれてありがとう」



 1秒、顔をきょとんとさせて、その後、大きな笑顔で彼は応えた。

「それは、誠一と鍋島に言ってやってください。僕は、僕の方こそありがとうございます」


 泣くのは、なんとか我慢した。

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