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二人が、出会い、ともに歩くことを決めた日のこと

「どこまでも遠く、どこまでも白い月の下」


 昏のことであった。

陽が陰る空。

 少女は、天を仰ぐ。薄く青い中空に浮かぶ丸月を、細めた眼で見つけ、言葉を継いだ。

「私の好きな言葉なの。意味は特にないわ。ただ、私が美しい言葉だと思ったから、好きなだけ」

 まるで、囁くような、薄い声質。

 透き通るような肌というものが、この世には本当にある。

 髪、眼、鼻、唇、うなじ、指、肩、背筋、腰、脚。そして微笑。

 今、目の前にいる少女は、人が持つ「儚い」という要素の全てを取り入れているような絵に描いた美少女であった。

 妖しげな気配さえ漂わせて、月を愛する少女は薄くほほ笑む。

「哲学的なことでも言えたらいいのでしょうけれど、本当に意味はないの」

 空を向いて、けれど、正面の少年に向かって語ると、彼女はくるりと、少年に背中を向けた。

 ただ、月の方だけを向いた。


「僕だって、特別哲学談義をするつもりはないよ」

 赤い夕焼けの光を背に、少年は答えた。

翳りつつある赤光のせいか姿がはっきりとせず、黒い輪郭だけを、立ちつくす。

 目線が見えず。

「遠くて、淡い月は美しいかい」

 赤い光を映す白い背中に、ただ、訊いてみた。

「ええ、遠くて淡いから、月は美しいのよ。あんなもの、天体望遠鏡なんかで見たら、ゴツゴツのクレーターだらけの岩塊よ。届かないくらい遠くて、この世で一番弱い光だからこそ、私達は幻想を抱く。月を通して、人は夢見るのよ。この世には、人以上のものがあるって」

 浮世離れな少女の言葉に、少年はただ陳腐な台詞を吐く。

「詩人だね。しかし、随分と被虐的な言い回し。もっとメルヘンな女の子だと誤解してた」

少女は、背を向けたまま。

「そんなメルヘンな子でいられたら、魔女になんかなってないわよ」

 その言葉は、きっと、一番の本音で、一番の情の籠った言葉であったろうに、儚げな彼女の声帯からは、それでも限りなく薄い音を空に染み込ませた。

 満月を見つめる少女の背中を、赤い夕焼けの光が照らす。

 季節は夏の終わり。

 夏の酸素を燃やしつくすような、炎色光が世界を包んでいた。

 




時刻は、『午後10時』






「ねえ、魔法使いさん。一つ訊いていい?」

 少年は、落ち着いた声で応えた。

「なんなりと」

 儚げな少女は質問した。

「この夕焼けは、あなたの仕業?」

「左様でございますが」

「世界を夕焼けにする魔法なんて、物凄いわね。おかげで、月の光を使う私の魔法が完全に封じられているわ」

「それは君が本気を出していないからだよ」

「もう余力なんてないわよ。私が呼び出した使い魔は、あなたが呼び出した陽光で全部消えちゃったわ。こうやって、平然とした声出してるけれど、本当はもうどうしていいかわからなくて、怖くて仕方ないの。怖くて、あなたの顔も見れないの」

 背中越しに、少女の微かに震える声が続いた。

「意外だった? 余裕綽々に見えても、私だって、ただの女の子なんだよ。きっと、人には浮世離れした変人にでも見えてたのかもしれないけれど。でもね、近付いてみれば、醜い岩の塊よ。眠れなくて、肌荒れだってひどいんだから」


 遠くて白い月に、あこがれていたのかもしれない。



 少女はそこで黙ってしまった。





 二人の通う、柊高校。

 その屋上。

 月夜と落日が同時に存在する空間。


 魔法使いは魔女に声をかけた。

「哲学しないんじゃなかったのかい」

「してないわ」

「そっか」

「ねえ、炎。あなたは、どうして私を探してくれたの」

「知り合いに、自殺した魔女がいてな、今日の君と同じことを言ったから、気になってた」

「……そう」

「あと、顔色がいつもより若干悪かったし、授業中も病院の方角を向いていることが多くなった。あと、弁当を残すようになったし、人から綺麗って言われる度に顔に翳が差してた」

「……、よく見てるのね」

「見てるさ」

「……、勝手よね。私が魔法で人を傷つけたのに」

「正当防衛ってやつでしょ」

「過剰防衛よ。さっきあなたが言ったじゃない。私は、確かに意識してあいつを痛めつけた」

「あんだけひどいストーカー被害受けてりゃ仕方ないよ。怖かったんだろ? 女の子だもんな」

「違うのよ。違うの」

 

 沈黙のあと、告白。


「あの夜も、平気だった。付きまとわれて、二人っきりになっても、私の心はどこまでも遠くて、どこまでも白かった。でもね、あいつが言ったの。『儚くて孤独な君の心を癒してやれるのは、俺しかいない』って」


 溜息。


「その言葉の意味がわからなくて、何度も反芻して、理解した時。私、あいつを殺そうとしてた。本当は私だって、皆の輪に入りたい。けれど、生まれも育ちも異端で、心の在り方も、性格も捻じ曲げて今の在り方になった私には、どうすればいいのかわからない。その上、嫌がらせみたいに制服盗まれて、手紙送り付けられて、私物に体液塗りこまれて、それでも平気なふりをしなきゃいけない気がして、そうやって、そうやって我慢してきたのに、それを馬鹿にされたような気がした……。それで、気が付いたらあのざま」

「そうか」

「結局、あなた達、心をつなぐ魔法使ラブソングいと違って、心を拒む魔女ヘイルホーリーの魂は歪んでいるということだったのよ」

「そうかな?」

「そうよ。だから、私は逃げてしまって、あなたは追ってきていくれている。この行為に、私達の関係が集約されていると思わない? ああ、思わないわよね、あなたは優しいから」

「……、そういう言い方されると、ちょっと傷つく」

「……それで私も、自己嫌悪。ねえ、見てて嫌にならない?」 

「嫌になる」

「なら、もう私のこと見捨ててもいいよ?」

「綺麗なところも、そういう嫌なところも含めて、僕は君が好きだよ」



 少女と少年は、一度も顔を合わさないまま。


 少女は、

「それって、恋愛ラブ? 友情ライク?」

 少年は

人間愛アガペーかな?」

 真面目に答えた。

「何よそれ。それじゃ私、あなたに泣きつけないじゃない」

「ごめん」

「冗談よ」


 どこまでも遠く、どこまでも白い月の下。


 燃えるような落日の陽光に染まる空。



 昼と夜の混ざる異界で、少年と少女は時間を過ごしていた。





 絶望を抱えていた広瀬ひろせ罪雛つみひなは、それでも生きようと思った。


「私は、生きる気力が人より薄いって言われた。言葉も、想いも、どこか遠くにあるようだって。私の心の中には、灯火がなかった」


 鬼灯炎の人生の在り方は次の言葉によって、決定した。



「炎、ありがとう。どうしようもない時に、一緒にいてくれて。灯になってくれて」

 



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