もののけ三銃士・導入
地球を守る神様と、宇宙を守る神様がいて、それぞれが命を生み出して、そしてその二つは交わるはずがなかった。
けれど、眼の前には彼女がいる。自称宇宙から来た人魚さんが。
なのに、うっかり重力に触れた彼女は、彼女の細胞は引力を手に入れた。
無限の宇宙空間から素粒子を引き寄せ、肉体を形成し、そして重力に引かれ、大気圏を突破した。両方の神様から祝福された。
いや、それはもしかしたら、追放されたのかもしれない。
それでも、彼女は楽しく時間を過ごしている。
港の、持ち主不明の廃倉庫の中で、水槽にゆったりとつかり、お気に入りの本を読んで(文蔵の差し入れである)、お菓子を食べて(千草が買ってきた)、CDコンポからお気に入りの音楽が流れてきている。
こんちくしょう、いい身分である。
彼女、宇宙人魚が左子達に求めたのは、時間であった。
宇宙を泳ぐ彼女は、アクシデントにより惑星にて人類と出会っただけである。
しかし、この上空60万km先にいるであろう彼女の仲間たちは、哀れな墜落者を助けにくることができない。
禁忌の星に近づけば、皆もきっと、落ちてきてしまう。
だから、彼女は独力でこの星から脱出する必要がある。
そのための方法は、実はある。
しかし、そのためには時間が必要というのが主張だった。
「まあ、僕たちは乗りかかった船だから、最後まで付き合うけれど、先輩は帰ってもらってもいいですよ。とりあえず、僕たちが部活休んでる理由だけ知ってほしかったんです」
というのが文蔵の言葉。
しかし、そんな船に無理やり乗せたのはどこのどいつだ。
左子は、止めておけばいいのに、妙な対抗心が心に芽生えていた。
『私としては、話のわかる人に文ちゃん達に私に構うのを辞めるよう説得してもらいたかっただけなのよ。確かに「助けて」って言ったのは、私だけれど。最近の子って、こんな律儀なの?』
というのが、宇宙人魚の言葉。
たぶん、彼らが特殊な類なのだとは、思う。
そして、止めておけばいいのに、妙な義侠心が内に湧いてくる。
なぜだ? 自分はそんなキャラじゃないだろう。もっと、地味地味として、なんというか、嫌々巻き込まれるタイプだと思っていたのに。
この状況に、とっても興奮していた。
そういうものなのかなあ。
島左子は、本人が思っている以上に、青春を楽しんでいるようだった。
そういうわけで、うみねこ高校化学部の面々は、無許可で、たまたま倒産したスーパーマーケットの解体工事で処分に困った本格的な生簀が保管されていた倉庫にて、人魚の世話を始めたのだった。
数日後。
放課後。
うみねこ高校科学準備室の、唯一の豪華な備品であるソファに体を沈める男が二人。
見るからに大雑把そうな文蔵は、姿勢正しく化学の教科書に目を通す。隣に人がいるのに、完全に無視して読書を続ける。
その横、スマートそうな外見の誠一は膝を組み頬杖をつき窓の外を眺める。つまらないのか、考え事をしているのか、わからない目をしていた。
気を許している間柄。自分の部屋にいるようである。
「なあ、誠一」
唐突に、つぶやくような、左子の前では出さない、砕けた声色。誠一は顔を友人の方に向けたりもしない。しかし、聞き耳を立てていることは知っているし、別に自分相手ならいいかなと、短い付き合いながら距離感の取り方を考えている。
「島先輩な、別に静かなのが好きなんじゃないみたいだ」
「……」
「僕たちがあんまり緊張して口数が少ないから、我慢してたみたい。だから、誠一もがんがん喋ってけばいいと思う。君も無理にお喋りするキャラじゃないだろうけれど、喋りたい時に喋ったって、先輩は怒らないよ。ほんとはコミュニケーションとるの、好きなんだと思う。だって、去年の話を訊いたら、すごくうれしそうに話していた。よっぽど、この空間が気に入っていたんだな。本当は、わいわいやりたいんだよ」
「……」
「誠一と、同じさ。誘ってもらえて、嬉しかったんだろう?」
「なんでわかる」
優しく笑う。
「見りゃわかるよ、お前さん、確かにクール面したキャラだけれど、自分で思ってるより、感情表に出てるよ」
「……」
そこで、会話が途切れた。
言いたいことが終われば、それでいい。そんな気心の知れた関係である。
不思議な気分であった。
沈黙を共有することが苦にならない。
誠一も、そして文蔵も、お互いを特別に思う瞬間でもある。
次に沈黙を破ったのは、目を細めた無表情な方であった。
「文、お前緊張してたのか。あの図々しさで」
思わず、本音が口に出てしまった。
同時刻。
件の廃倉庫には、二つの影がある。
どこからかひっぱてきたホースで水を継ぎ足して、やっと満杯になった水槽の中で、青く長い髪をクラゲのようにゆらゆらと揺らし、水面をぷかぷか浮いている体長3mくらいの人魚。ポテトチップスの袋をラッコのように腹に乗せ、マンガ本を読んでいる。
いいのか、幻想がこんな体たらくで。
心の中でツッコミを入れたが、ふと目の前の異形が念波で交信することを思い出す。
「迂闊!」と言った表情をした島左子に気付き、宇宙人魚は声をかけることにする。
もちろん、声を言っても、果たして、音として認識しているのかもあやふやなものでああるが。
『左子ちゃん、私の『声』は思いを届けるだけだから、心を読んだりはできないわ』
「なんでわかったの?!」
『だって、顔に出てたわよ。左子ちゃんって、マンガに出てきそうなくらい天啓的なイジラレキャラだけれど、それでも自分が思ってるよりたくさん、感情表に出てるもの』
「あぅ、そんな楽しそうに言わなくても」
今日の見回りは左子の番であった。
別に頼まれてもいないのに、買って出る。今や、週4のペースである。そんなに入れてどうすんだ、である。部活はどうすんだ、でもある。
でも、左子はここに来る。
妙にフィーリングのあう彼女に、会いに来てしまう。
何か、感じ入ることもあるのだろうか、人魚の方も、左子を歓迎する。地球人を巻き込みたくない、などと言っておきながら、とても楽しそうに彼女も笑う。
『だって、楽しいもの。この星って、楽しいものだらけよ』
まるで子供みたいに目を輝かせて、世界を見つめる。
こんなボロ倉庫の中でも、特別な場所であるかのように。
『私の生きる宇宙は<無>しかないから、おいしい食べ物も、面白い本や音楽も、ひんやりと冷たい水も、こんなにたくさんの人も、こんなにたくさんの心をつなぐ物であふれた世界があるなんて、奇跡みたい』
そうか。
私が彼女に見た高揚を、彼女もまた私達に見ているのか。
しかし、心をつなぐとは、乾ききった世界に生きてきたという割に、ずいぶんと詩的な表現をするものだ。
『本当に、すべてのものが、簡単に心をついでくれる』
人魚が突然、中空に手を伸ばす。
水槽から離れたところに積んであった本の山から、一冊の本が、彼女の手に向かって飛んでいく。それをナイスキャッチして、ページをめくる。
化学の教科書だった。
『面白いわね、原子核と電子って考え方。でも、人間の眼で見えないものをどうやって調べたのかしら。やっぱりこの電子顕微鏡って奴? 左子ちゃん持ってる?』
「持ってないし、電子顕微鏡でも見えないじゃないかな……。それよりも、えと、人魚さん? 今、何したの? 本が触ってもないのに動いたけれど」
『え?』
左手に持ったポテチを口に運びかけて、突然された今更な質問に、首を傾げた。
『何って……、『大気』と心をつないで、風で運んでもらったんだけど……なんか変だった?』
「たいき? え? 大気? 意味わかんない。最近はそういうのありなの?」
よく見たら、彼女の右手にある本は、あんな雑に扱われているのに、少しも濡れていない。あんなにぼろぼろとお菓子を食べこぼしているのに、水槽の水は少しも濁っていないし、よくよく考えたら、先ほどから音楽を流しているコンポの電源はどこから取っているという?
この空間が非常に不思議なことになっていることに、今さら気付く。
『そういえば、地球人は基本的に『コレ』できないんだっけ?』
本が宙に浮いた。
『私は、私の心と相手の心をつないで、言葉を届けるでしょ?』
『そんな風にして、私の心と相手の心をつないで、お願いするの。そして、現象を起こしてもらう』
『大気に、風を起こしてと。紙に、濡れないでと。水に、不純物をはねつけてと。酸素に、私の仮初の肉体を酸化させないでと』
『え? 無生物に命令できるのか? って? 違うわ、お願いするの。そして、心が通じれば、動いてくれる。生物である左子ちゃんにはわからないかもしれないけれど、無生物でも心はあるの。ただ、魂の仕組みがちょっと違うから、認識できないだけ。だから、解り合おうと思えば、心を発信できるなら、塵芥とだって友達になれる』
『そうやって、ありとあらゆるものと友達になることで、私達は広い宇宙を生きている。助け合いの精神を具現化するために生まれた遊泳調停者。それが私につけられた属性』
『で、さっきからどうして黙ってるの?』
「あの!」
「それって、人間にもできるんですか?」
『できるわよ? ……、ああなるほど、私がこの力を使って文ちゃん達に身を守らせてるんじゃないかって疑問ね? それは大丈夫よ。これは、私が心を発して、受け止めてくれる人がいて初めて使えるの。私がお願いして現象を起こせるのは、友達になってくれる人だけだし、友達を自分のためだけに利用するなんてのは、宇宙人魚の本来に外れる行いだから、しないわ。そんなことをすれば、私は泡になって消滅するしかない』
そこまで言って、彼女は自分の口をふさいだ。
『あらやだ、これってまさか死亡フラグ?!』
悪い漫画の見せすぎである。もうちょっと高尚な書物を用意しようと、左子は思った。
そして、この真面目でとぼけたやりとりを別の場所でもしたことを思い出して、くすりと笑った。




